関東の動き
関東の動き
春の早い時期に交易で北川辺を訪れた三殿台の交易官は、北川辺の広場に、シカが狩られた18頭が解体されるのを見て、どうしたらこんななにいっぺんに狩れるのか訪ねた。
女達が嬉しそうに三部落の共闘の話をしてくれた。
交易官は、北川辺の族長に挨拶した。
「族長、こんなに一度に狩るなんて凄いですね。」
「我らは、共闘してるのだ。」
北川辺の族長は、多くは語らなかった。
三殿台の者と分かっていた。
三殿台の交易官は、三殿台に戻り、自分の族長に報告した。
三殿台の族長は、近畿圏からの関東への侵攻に対してどうなってるのかと言われていた。
族長は、交易官の話を聞いて、どうしたものかと、困惑した。
シカ18頭討伐は、千葉にも伝わっていた。
千葉も舟での交易を行なっていたからだ。
千葉では、海巫女が、共闘ということへ注目した。
海巫女は海の猟にも共闘の強さを理解していた。
集落のつながりを超える共闘、、、
このことであった。
紀元0世紀には、信濃を通じて、東山道の土台になった道から、祭祀や鉄器などが宇都宮や那須に入った。
信濃から、もちろんその前の上野に入るのだが、近畿圏からの力ともいえた。
元々山岳信仰の巫女として宇都宮や那須の巫女はあった。
平地を水田開発で人々が集まり、増えて、司祭としての仕組みが巫女たちにもはいることになった。
また、鉄器は、主に農機具として使われ、技術者も入ってきていた。
水田開発が、佐野や桐生にも広がり、狩りをする者たちには、北川辺で起きたシカを18頭狩猟した噂が広がっていた。
那須は、山岳信仰そのものの暮らしはそのままで、わすがな平地に水田が増えた。
しかも、巫女のいた山間の暮らしは縄文のままであった。
特に、竹弓の技術が独自に育っていた。
三殿台では、近畿圏が、何故領地が広がらないのか問い合わせの圧力が強かった。
横浜あたりでの弥生化の集落は増えていたが、関東の先にある大きな平地に何故、入らないのか理解されてなかった。
近畿圏からの使いは、頻繁には来なかったが、族長の焦りは大きかった。
交易相手としての千葉には弥生化する住民も増え、大きく集落も広がっていた。
そこで交易官は、千葉の海巫女に話を聞くことにした。
「海巫女様、北川辺への弥生化への影響が中々伸びません。何か原因があるのでしょうか?」
海巫女は、海に浮かぶ舟を眺めながら、潮風に当たりながら応えた。
「関東は縄文の力が魂として根付いておる。北川辺は、権現堂やケヤキの民とともに新たな力をもち始めていて、弥生化に関心が回らんのだろう」
「しかし技術者達は簡単に入り込んでいるのに、なぜでしょうか?」
交易官は、近畿圏が大きなつながりとしての北川辺に入り込む期待を聞いた。
「北川辺は、大巫女様がいらっしゃるから、そなた達の思い通りにはならんのだろう」
交易官は引き下がった。
三殿台の族長は、話を聞いて、理解した。
大巫女を飛ばすつながりを持つことが必要なこと。
時間をかけて準備が必要であった。




