共闘の意味
共闘の意味
結局、北川辺からは10人、権現堂では、巫女と弓使いが6人、ケヤキの民から7人が参加してシカの群れの狩りが行われた。
23人動員して7頭の成果だった。
始めてだったので、北川辺の広場に持ってきて、北川辺の皆や参加した権現堂やケヤキの民、全員で血抜き、解体、肉の捌きを行った。
北川辺の大巫女も広場に集まり、成果を見て、満足していた。
冬場には、その後数回行われた。
冬が深くなるとシカの収穫が少なくなって、春まで各自の集落での動きになった。
春になり、今度はイノシシの集団戦での狩猟をすることになった。
今度はケヤキの集落の北側の山沿いでの狩りが計画された。
今度もケヤキの民のリーダーが、計画をまとめた。
今度は北川辺の網による追い込み、そして、権現堂の竹弓の攻撃、ケヤキの民による大きめの石での攻撃、そして網で被せ捕らえる手順だった。
冬越しの後で、春先の肉不足の時に、イノシシを6頭狩れた。
役目や手だてが変化したが無事出来たのは、大きな自信にもなった。
イノシシの解体、肉のさばきは、ケヤキの民の老人代が中心になり、薫製まで行った。
北川辺の大巫女の小屋に集まり、共闘の成功を祝することになった。
北川辺の大巫女、権現堂の巫女、ケヤキの巫女が集まり、その他の狩猟に参加した者たちが集まり、宴会が行われた。
どぶろく的な酒で乾杯し、イノシシの肉のスープが出た。
ケヤキの民のリーダーが大きく、皆に頭を下げて、お礼を言った。
「皆様、本当に助かりました。我らのような弱小の集落を参加させて頂き、助かりました。」
すると大巫女が切り返した。
「よいよい、そなたの率直な言葉も、この冬や、今回のイノシシの収穫の成果は、皆の者の結果ぞ。」
すると権現堂の巫女が続けた。
「我も楽しかった。シカの一匹狩るのは造作もないが、イノシシを竹弓一本で狩るのは難しい。よくぞ、誘ってくれた。嬉しいぞ。」
皆に褒められ、気恥ずかしくなったリーダーが凝縮した。
ケヤキの巫女が発言した。
「北川辺の大巫女様、権現堂の巫女様、この共闘は、狩りをする為の動きでしたが、これほど動けるなら、大きな力になりますね。」
北川辺の大巫女も権現堂の巫女も、ハッと気がついた。
なるほどこれは大きな力だな。それだあった。
ケヤキの巫女がニコニコしていた。
狩猟をした者共には何の話か理解していなかったが、大巫女や巫女にとって大きな知恵となった。
関東のその他の巫女たちはどの様になって居たんだろうか。
宇都宮や那須は、近畿圏の力が東山道に見え隠れしていたが、道の大きな整備は、まだまだで、弥生化が進んで水田開発が進んでいたが、巫女たちを信じてくれる民に対して、感謝しつつ、それぞれ縄文の巫女としての力を信じていた。
土浦では、千葉に向かって水がひき始め、霞ヶ浦での漁業が細くなり、周りでは、陸地が増え、水田開発が行われた。巫女の力が衰えていった。
海の巫女は、どうしていただろう。
千葉の海が引き始め、海がなくなり、まだ湿地帯の大いが陸地が増え、弥生化が進んでいた。
しかし千葉には大きな海が目の前に広がっていた。
弥生化は進んだが、舟の活動にも大きな力をつけていた。
元々三浦半島からの流れがあることで大型の船も中型も丸木舟も、使いこなす、漁業中心の弥生化という特殊な地域であった。
さらに三殿台とは違い、近畿圏の力は弱かったようだ。
利根川や江戸川の河口は、広く荒い、舟での移動以外に勢力が入り込む事が無かった。
これが紀元前1世紀の関東の姿であった。




