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関東の縄文  作者: 熊さん
第二章:弥生の影
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北の弥生化

北の弥生化



北川辺では、新たな技術者を三殿台から向かい入れていた。

新たな弥生の能力を持った者たちが、その他にも何人か来るものがいた。


三殿台では、こうした若い技術者に対しては、動きに任せていた。

物品の交流のみで北川辺との交易を進めていた。


千葉では、移住してくる弥生の人間も落ち着き、混血による新たな集落が形成され、海の巫女が精神的指針を示し、弥生集落としての形ができていた。


こうした三者三様の動きに対して、行田のケヤキの集落のリーダーは、北川辺の大巫女や関東各地の巫女との連携に足を使い、つなぎを行う感じだった。


利根川や渡良瀬川は、ようやく落ち着きのある流れを見せていて、湿原の水も引き始めていた。

こうなると、移住してきた技術者が、水利を考え小さな田んぼを耕作し、わずかな水田の開発も進んでいった。

北川辺の女どもは、この技術者という事に従い耕作を手伝うものが出てきた。


男どもは、狩猟に集中し、武器の扱いや集団での大物の獣を退治するなど、その技術を鍛えていった。


紀元前3世紀から1世紀にかけて、このような形が固定され、関東の川の流れが安定してきて、弥生化した集落が生まれていた。


関東での交流も盛んに進み、互いの地域での特性が見えてきたようである。


北川辺でも、弥生の能力を持った技術者により、壺を焼く窯が工夫され、三殿台との交流で、わずかに鉄製品が入り、鏃やナイフなどが徐々に使われだした。


しかし北川辺では、大巫女が、大きな動きを伝え、神との交流はしてくれるが支配者ではなかった。


集落の族長のようなものはいたが、狩猟のリーダーだったり、女たちは採集を自ら行うなど、縄文の集落的な暮らしが続いていた。


三殿台では、すっかり弥生集落の形ができ、丸木舟による北川辺との交流のほか、千葉方面に出て、海の巫女がいる弥生集落との交流も行われるようになり、関東の広さをやっと実感する事が出来てきた。


近畿圏が北陸から中部地方に影響を示しつつ、弥生化は進んでいた。

しかも、群馬や栃木(宇都宮)は、既に弥生化の真っ只中にあった。


碓氷峠を歩く連中が先へ進み弥生化を推進したと思われる。


ケヤキの民のリーダーが宇都宮を見て、水田が開発され、集落が大きく膨れ上がるのを見て、宇都宮の巫女との面談をやめて、北川辺の大巫女に知らせた。


「弥生化が悪いわけじゃないが、縄文の理の外に行ってしまったのだな」


大巫女は、集落の者共にも知らせ、利根川や渡良瀬川の北方面への動きに注意を払うように告げた。


ケヤキの集落でも、むしろ来たと南の勢力の中で生きる模索を考えるようになった。


利根川の流れは、落ち着いてきていた。

風が川面から吹くことが心地よかった。


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