第156章:【オカルト研究会】
久々にデスクへ向かったアレンは、作業効率化によって完璧に整理され、綺麗に片付いた事務机の上で、積み上がった申請書類の山を一枚ずつ淡々と処理し始めていた。
事務作業の最適化を極限まで突き詰め、普段から無駄な動線や無意味な手続きをすべて排除している彼にとって、こうして回ってくる書類仕事などただのルーティンワークでしかない。ペンを走らせる手は淀みなく、一枚につき数秒という驚異的なペースで処理が進んでいく。
そんな中、一枚の少し風変わりな部活設立申請書がアレンの目に留まった。
「シャルロット、これなんだ? 『オカルト研究会』……? 変な活動だな」
俺が何気なく書類を持ち上げながら尋ねると、少し離れた場所でお茶を淹れ直していたシャルロットの手がピタリと止まった。
「えっ……オカルト研究会……?」
「誰だ部長は……ヴィクトリア・フォン・グランヴェル? いたか、そんなの」
アレンが書類に記載された名前を淡々と読み上げた瞬間、シャルロットの肩がビクッと跳ね上がった。持っていたティーポットの蓋がカチャリと小さく音を立てる。
(ヴ、ヴィクトリア様……!? まだ懲りずにそのようなものを……! あまり聞きたくないお名前ですわ。あの武闘派公爵家の令嬢が、なぜそのような怪しげな部活を新設しようとしていらっしゃいますの……?)
シャルロットが露骨に嫌そうな顔を浮かべ、眉間にしわを寄せているのにも気づかず、アレンはトントンと書類の端を叩いて整えた。
「活動拠点、つまり部室か。……まあ、この生徒会室の隣の部屋しか空いてないな。隣なら管理もしやすいし、まあいいか。承認っと」
ハンコをポンと書類の捺印欄に押し、アレンはそのまま「部室の引き渡しと鍵の受渡確認」という名目で、隣の部屋へと向かって歩き出した。
◇
生徒会室のすぐ隣。新設されたオカルト研究会の部室へと足を運ぶと、ドアを開けた瞬間に部屋の中から独特の香辛料と薬品が混ざったような怪しげな匂いが漂ってきた。部屋の中はすでに謎のろうそくが何本も並べられ、床には怪しい陣が描かれ、不気味な骨や怪異の図録といった装飾で満たされており、えも言われぬ怪しげな雰囲気が充満していた。
部屋の中央には、あの大貴族グループの筆頭、ヴィクトリア・フォン・グランヴェルが腕を組んで佇んでいた。
彼女はアレンが入ってくると、以前廊下で論破され引き下がらされた屈辱を微塵も表に出さず、誇り高い公爵令嬢としての平然とした態度で部活のプレゼンを開始した。
「……来てくださったのね、アレン役員。我がオカルト研究会は、この世の解明されざる怪奇現象、怪異、そして恐怖という感情を科学的かつ魔導的に探求する、極めて気高き結社なのですわ」
アレンは腕を組み、壁に寄りかかりながら淡々と彼女のプレゼンを聞いていた。
(……大体内容は分かったな。要するに、恐怖とか不可思議な現象の情報収集ってやつか。小説の新しいネタになりそうな気もするな)
思考を整理したアレンは、ふと自著のアイディア出しのメモを思い出したように口を開いた。
「なるほどな。……実は俺も、一つ知っているんだ」
「え……? 貴方が、怪異の情報を……?」
ヴィクトリアが不審そうに眉をひそめ、薄い唇を噛んだ。アレンはどこか遠くを見るような、静かで冷ややかな声で語り始めた。
「生徒会に代々伝わる話でな。――この学園の『七不思議』ってやつだ」
「……! 学園の、七不思議……!?」
ヴィクトリアの目が妖しく輝くと同時に、その背筋にゾクリと冷たいものが走る。アレンは周囲のろうそくの火が揺れる中、静かに、だが恐ろしく通る声で一つ目を語り出した。
「一つ、深夜の音楽室。 誰もいないはずの閉ざされた部屋から、静かにピアノの音が聞こえてくるらしい。気になって部屋を覗いても、当然誰もいない。誰も座っていない椅子と、開かれた楽譜があるだけだ。仕方なく気のせいかと帰り道へ背を向けた瞬間――鍵盤が『ポーン』と一つ、寂しく鳴る」
「ひっ……!?」
「さらに遠ざかろうと廊下を歩を進めると、今度は先ほどより『高いキー』で音が鳴る。……いいか、途中で絶対に振り返ってはならない。遠ざかるたび、音はどんどん高く、そして耳元へと近づいてくる。もし耐えきれずに振り返れば……そのまま『あちら側』へ引き込まれ、精神に異常をきたすほどの恐怖を与えられるそうだ」
「っ…………〜〜〜〜っ!?」
ヴィクトリアは必死に気品ある表情を取り繕おうとしていたが、完全に目が泳ぎ、顔からは見る見る血の気が引いていた。プルプルと震える唇を必死に噛み締めているが、隠しきれない恐怖で膝が微かに笑っている。
「ふ、ふん……な、なかなか興味深い怪談ですわね……! で、では二つ目は……!?」
必死に虚勢を張るヴィクトリアに、アレンは一切の感情を挟まず淡々と畳みかける。
「二つ、夜の理科研究室。 誰もいないフラスコの中で、緑色の液体が永久に自発的な反応を示し、沸騰し続ける」
「三つ、深夜の体育館。 誰もいない暗闇の中から、一定のテンポでバウンドし続けるボールの音と、こちらへ近づく足音が聞こえる」
「四つ、図書館の視線。 誰もいない本棚の深い隙間から、ずっと自分を凝視する『引きちぎられた瞳』が存在する」
「五つ、旧校舎の3階にある開かずの部屋。 扉に耳を当てると、中から自分の名前を呼ぶ悲痛な泣き声が聞こえる」
「六つ、今は閉鎖されたある部室のロッカー、左上4番目の謎。 中を開けると――」
「ひゃいっ……! も、もういいですわ! もう十分ですの……!」
ヴィクトリアはついに限界を迎え、半泣きになりながら両手で耳を塞ぎかけた。しかし、オカルト研究会の部長としての探求心と圧倒的な恐怖が激しくせめぎ合い、引きつった声で尋ねる。
「……で、では、最後の……『七つ目』は……何なのですの……?」
アレンはふっと言葉を切り、少し重い表情を作ってみせた。
「……いや、あれはダメだ。教えられん」
「な、なぜですの!? ここまで言っておいて生殺しなんて卑怯ですわ! お願いです、教えてくださいまし……!」
怯えていたはずのヴィクトリアが、必死の様相でアレンにドレスの裾を揺らしながら懇願してくる。アレンは「仕方ないな」という風に一つ大きなため息をつき、静かに語り始めた。
「……実はな。毎年この学園では、名簿にない生徒の数が『1人多い』のだという」
「……え?」
「噂では、その1人は生きた人間ではない。かつてこの学園で誰かを庇って命を落とし、今もこの土地に留まり続けている残留思念――『地縛霊』だと言われている」
「じ、地縛霊……」
「だが、ただの悪霊ではない。その霊は……『大切な誰かを守るため』だけに存在し、その誰かが本当の危機に陥った時、必ず現れて助けてくれる存在らしい」
ヴィクトリアは生唾を飲み込み、息をのんだ。
「人生で最も大きな危機が訪れた時、たった一度だけ助けを呼べば、その地縛霊は姿を現し、持てるすべての存在を賭してその者を救ってくれる。……ただし、一度きりだ。救った後、その存在は二度と姿を見せることはなくなる」
アレンの低く静かな声が、暗く静まり返った部室に重く響く。
「おそらく……大切な者を守るという最後の未練を果たし、満足して消えていくのだろうな」
「…………っ、あ…………うっ…………!」
直前まで恐怖で震えていたヴィクトリアだったが、アレンの語る最後の『七不思議』を聞いた瞬間、その瞳からボロボロと大粒の涙がこぼれ落ちた。
直前までの恐怖はどこかへ吹き飛び、胸を突く圧倒的な感動と切なさに、彼女は口元を両手で覆い、激しく嗚咽を漏らし始めた。
「う、ううっ……なんという……なんという切なくも気高い存在なのですの……! 自分の存在を賭してまで、大切な人を護り抜くなんて……っ! ああ……うわぁぁぁんっ……!」
感極まって床に膝をつき、ドレスを湿らせながら大号泣するグランヴェル公爵令嬢。
そのあまりの感動ぶりに、アレンは心の中でそっと呟いていた。
(……いや、全部俺が今その場で作った『使い古された学園怪談セット』なんだが……。最後の一文でそこまで感動されるとは思わなかったな)
自分の適当な怪談(※自著の展開づくりのついで)によって隣の部屋で公爵令嬢が大号泣していることなど露知らず、書類の引き渡しを済ませて生徒会室へ戻ったアレンは「よし、これで隣の部屋も静かになったな」と満足げにペンを執り、自作小説の執筆に戻るのだった。
◇
一方、アレンが戻ってきた生徒会室では、シャルロットたちが張り詰めた表情で彼を迎えていた。
「アレン様……お隣のヴィクトリア様とは、無事に引き渡しが終わりましたの?」
シャルロットが心配そうに尋ねる。彼女たちの耳にも、隣の部屋から聞こえていたヴィクトリアの金切り声や、その後の激しい泣き声がかすかに届いていたのだ。
「ああ、問題ない。部屋の鍵も渡したし、趣旨も理解した。泣いて感動していたから、活動に満足してくれたんだろう」
「か、感動……? あのヴィクトリア様が……!?」
シャルロットとソフィアは顔を見合わせた。あの気高く武闘派で知られるヴィクトリアを涙させ、完全に掌握してしまうとは、一体どのような恐ろしい対話が行われたというのか。
(やはりアレン様……言葉一つで人の心を揺さぶり、屈服させる恐ろしい支配力の持ち主……! グランヴェル公爵家すら、彼の掌の上で転がされているに過ぎませんのね……!)
シャルロットの誤解はさらに深い領域へと落ち込んでいく。
「……さて、シャルロット嬢。俺は自分の作業に戻るから、君たちも用が済んだなら各自の仕事に戻ってくれ」
アレンは静かにデスクに向かい、原稿用紙を開いた。
「いいえ! アレン様、先ほども申し上げました通り、私たちは生徒会のお手伝いをさせていただきますわ! 貴方がお隣で重大な交渉をなさっている間、私たちも手持ち無沙汰でいるわけにはいきませんもの!」
シャルロットは意気揚々と胸を張り、ソフィアとリゼット、そしてニーナを引き連れて生徒会室の資料棚へと向かった。
「さあ皆様、アレン様の負担を減らすため、過去の膨大な資料の整理から始めますわよ!」
「「「はい、シャルロット様!」」」
テキパキと動き始める4人の少女たち。
アレンはこめかみを押さえ、深いため息をついた。
(……一人で静かに執筆をするはずだったんだが、どうしてこうなったんだ……)
しかし、一度走り出したシャルロットたちの決意と過剰な勘違いを止める術はなかった。
「アレン様、この過去の予算申請書ですが、数値にわずかな歪みがございますわ。我が家の会計手法を用いて再計算しておきました!」
「アレン様、こちらの魔導設備の点検記録、最新の構造理論に基づいて分類し直しておきましたの」
「あ、あの……アレン様! 私、お部屋の掃除と、お茶の差し替えを……!」
次々と持ち込まれる「完璧すぎる成果」の数々。アレンからすれば、自分の作った効率化システムが勝手に他人の手で改変されていくようなものであり、ありがたい反面、居心地の悪さは加速する一方だった。
「……ああ、ありがとう。助かるよ」
棒読みで感謝を述べながら、アレンは原稿用紙の隅に文字を走らせる。
(主人公が頼んでもいないのに周囲の人間から過剰に感謝され、周囲に配下が増えていくシーン……これ、実際に体験するとものすごく気まずいな……。小説の描写に活かすか……)
こうして、静寂を求めていたはずのアレンの生徒会室は、公爵令嬢シャルロット率いる「完璧すぎるサポート部隊」と、隣の部屋で怪談の切なさに目覚めて黙々と怪異の愛を探求し始めたヴィクトリアの「オカルト研究会」に挟まれ、奇妙な熱気に包まれていくのだった。
「アレン様、次は何をなさいますの? どんな過酷な作業でも、私にお命じくださいませ!」
満面の笑みと深い愛憎混じりの尊敬の眼差しを向けてくるシャルロットに対し、アレンは静かに原稿用紙を伏せ、心の中で切実に祈るのだった。
(お願いだから、早くみんな家に帰ってくれ……)
放課後の柔らかな夕暮れ時、少年のささやかな平穏への願いは、少女たちの熱意とどこまでも平行線を辿りながら、校舎の奥へと静かに消えていくのだった。




