第157章:【婚約指輪?】
アレンはポケットに突っ込んでいた小物を一つ取り出すと、未だ涙目で鼻をすすっているヴィクトリアへ無造作に差し出した。
「……涙を拭け。これはその学園七不思議の『七つ目』に関わるアイテムだ。せっかくだから君に進呈しよう」
アレンの手のひらにあったのは、派手な装飾こそないものの、重厚でどこか神秘的な輝きを放つ緻密な彫刻が施された指輪だった。
「ひぐっ……指輪、ですの……? でも、あのお方は大切な方を守り抜いて、もう成仏なさったのでは……?」
ヴィクトリアが涙を拭いながら不思議そうに聞き返す。アレンは至極当然のような顔で答えた。
「最初に言っただろう。毎年、生徒の計算が『1人合わない』と」
「……あ! そうですわ……! 1人……つまり、引き継がれ、今も学園のどこかに……!」
アレンの言葉(※ただの適当なハッタリ)に勝手に納得したヴィクトリアは、その指輪をまるで世界で最も価値のある宝物であるかのように、両手で恭しく受け取った。
「感謝いたしますわ、アレン役員……! 私、この想いと絆を生涯大切にいたします!」
そう言うと、彼女は溢れる愛おしさを抑えきれない様子で、その指輪を自身の左手薬指へと嵌めた。
別に特別な意図があったわけではない。たまたまサイズがぴったり収まった指が、そこだったというだけの話である。
しかし、その瞬間――ヴィクトリアの脳内に悪魔的な名案が閃いた。
(……待ちなさい。この指輪……アレン様から直接いただいた特別な品……。そして左手の薬指……)
溢れ出る感動が急速に公爵令嬢としての対抗心と誇りへと変換されていく。彼女はニヤリと不敵な笑みを浮かべると、優雅にスカートの裾を翻し、勢いよく隣の生徒会室の扉を押し開けた。
――バァン!
「シャルロット・ローゼンベルク! ご機嫌ようですわ!」
生徒会室で優雅にお茶を飲んでいたシャルロット、そしてお手伝い(?)をしていたニーナ、ソフィア、リゼットの視線が一斉にヴィクトリアへと集まる。
ヴィクトリアはこれみよがしに左手を胸元にかかげ、窓から差し込む太陽の光を反射する薬指の指輪を、シャルロットの目の前に叩きつけるように見せびらかした。
「見てご覧なさい! この輝きを! たった今、アレン様から直々にいただきましたの! この指輪を!!」
「「「「「……!!!????」」」」」
生徒会室に激震が走った。
シャルロットは手に持っていた高級ティーカップをガタガタと激しく揺らし、目を見開いて絶句した。
(ゆ、指輪……!? アレン様から……っ!? しかも、左手の……薬指に……!!??)
「ひえええっ!?」
ニーナは悲鳴を上げてその場にへたり込み、ソフィアとリゼットは「し、正妻の座を巡る公爵家同士の戦争が始まってしまった……!」と顔を真っ青にして抱き合った。
シャルロットの脳内では、先日からの「親が裏で画策している極秘の婚約」という大前提がガラガラと崩れ去り、巨大なパニックが巻き起こっていた。
(ど、どういうことですの!? お父様たちが極秘に進めていたはずの婚約……! なぜヴィクトリア様がアレン様から指輪を……!? まさか、グランヴェル公爵家が横からアレン様を掠め取ろうと……!? いいえ、アレン様が二股を……!?)
「ふふん! 羨ましそうに指を咥えて見ているといいわ! 私とアレン様の間には、誰にも邪魔できない『魂の絆』が結ばれましたのよ!」
高らかに高笑いを上げるヴィクトリア。その顔は、先ほどまで大号泣していた者とは思えないほどの全能感に満ち溢れている。
しかし、ローゼンベルク家の長女たるシャルロットも黙って指を咥えているような柔な令嬢ではなかった。一度落ちかけた冷静さを気合で引き戻すと、ガタガタと揺れていたティーカップをそっとソーサーに戻し、冷ややかな微笑みを浮かべて立ち上がった。
「……ヴィクトリア様。何を根拠にそのような戯れ言を仰っているのか分かりませんけれど、そのような品ひとつでアレン様との深い絆を主張なさるなんて、浅はかにも程がありますわ」
「なんですって……!? 負け惜しみを言わないでちょうだい! 現に私は、左手の薬指にこのお品を賜ったのですのよ! これが何を意味するか、ローゼンベルクの令嬢なら分かりますでしょう!?」
「まあ、左手の薬指? ええ、存じておりますわ。ですが……本当に大切な『真の誓い』というものは、そのような分かりやすい装飾品などではなく、もっと内なる場所……ご家訓や、両家の暗黙の了解によって交わされるものですの」
シャルロットの言葉には、自分こそが「親公認の裏の婚約者」であるという(間違った)絶対の自負が込められていた。
「な……なんですって……? 両家の暗黙の了解……?」
「ふふ、これ以上は野暮というものですわ。ヴィクトリア様、アレン様が下さったその試練の品……せいぜい大切になさることね」
扇を静かに広げ、勝利を確信したような笑みを浮かべるシャルロット。
一方で、ヴィクトリアも負けじと左手を掲げ、眼光を鋭くする。
「言い逃れを……! いいでしょう、どちらがアレン様の真のパートナーにふさわしいか、はっきりさせて差し上げますわ!」
二人の公爵令嬢の間に、火花を散らすような壮絶な火種が激しく燃え上がった。
◇
一方その頃。
隣の部屋で「あ、アイテムボックスの肥やしになってたあの指輪、バルツァー・ラボで試作した『魔力消費を1%抑えるだけの駄作リング』だったな。まあ要らないし、喜んでくれたならいいか」と呑気に息を吐き、静かにペンを走らせていたアレン。
生徒会室から漂ってくる妙に殺伐とした空気に気づき、原稿用紙からひょっこりと顔を上げた。
「……ん? なんだ、まだみんないたのか」
廊下へ続く扉から顔を出したアレンの姿を見た瞬間、ヴィクトリアとシャルロットが同時に詰め寄ってきた。
「アレン様! この指輪は、私とアレン様の絆の証として下さったのですよね!?」
「アレン様! このような分かりやすい品で戯れるよりも、私との間にある『もっと深い約束』を重んじてくださいますわね!?」
左右から詰め寄る公爵令嬢ふたり。
アレンは心底面倒くさそうな顔で、ふーっと息を吐いた。
「いや、ただの不用品処分だが」
「「不用品処分……!?」」
ふたりは息をのんだ。しかし、彼女たちの脳内フィルターは都合よくアレンの言葉を変換していく。
(……不用品処分だなんて! 私への想いを素直に認められない照れ隠しですわね……! 照れ屋なアレン様も素敵……!)とヴィクトリアが思えば、
(……そうよね! ただの不用品を下賜されただけで増長するなんて、ヴィクトリア様も哀れな方……! 本当に大切なのは、形ではなく両家の信頼関係ですもの!)とシャルロットも自己完結する。
当のアレンは、自分の言葉が全く響いていない二人の様子に完全に諦めの境地に達していた。
「……はあ。とにかく、二人ともうるさい。俺はこれから集中して書類(と小説の執筆)の整理をするんだ。用がないなら自分の部屋に帰ってくれ」
アレンは冷酷に言い放つと、二人を置き去りにして自分のデスクへと戻り、カリカリと軽快な音を立ててペンを動かし始めた。
冷たく突き放されたはずの二人だったが、その瞳にはより一層熱い火が灯っていた。
「……見ましたか、シャルロット。あの大局を見据えた冷徹な眼差し……! 私たちのような小娘の戯れ合いに付き合うことなく、己の義務を果たそうとする孤高のお姿……!」
「ええ……本当に素晴らしいお方ですわ。私たちがどれだけ騒ごうともブレない、あの圧倒的な軸の太さ……! やはり、私が見込んだお方に狂いはありませんでしたわ」
すれ違いどころか、あらぬ方向へ突き進む彼女たちの情熱。
後方で様子をうかがっていたニーナたちは、もはや青ざめて声も出なかった。
(あ、アレン様が適当にあしらえばあしらうほど、シャルロット様たちの中での評価が爆上がりしていく……! この学園の権力構造、どうなっちゃうのー!!??)
ニーナの悲鳴のような心の叫びも虚しく、その指輪ひとつが、両公爵家を巻き込む「学園史上最大の正妻争奪戦(という名の壮大な勘違い)」の火蓋を切ったことなど、当のアレンは知る由もなく、今日も今日とて静かに自作小説のページをめくるのであった。




