第151章:【面倒な人たち】
私には、どうしても苦手な人たちがいる。
武闘派の頂点たるグランヴェル公爵家の令嬢、ヴィクトリア・フォン・グランヴェル。
そして、その周囲を固める取り巻きたち――魔導の名門オルディス侯爵家のフランチェスカに、中央財政を握るベルンハルト侯爵家の長男ルーカスだ。
この方たちは、まるで我がローゼンベルク家との家格差や影響力を競い合うかのように、廊下や中庭ですれ違うたび、何かと難癖をつけて絡んでくる実に面倒な人たちである。
(まったく……相手にするだけ時間の無駄ですわ)
いつもなら、優雅な微笑みを崩さずに受け流すか、綺麗に無視を決め込むのが私のスタイルだ。相手の煽りに乗るなど、ローゼンベルクの長女として不手際以外の何物でもないからだ。
――しかし、今日の彼らは一線を越えた。
「あら、シャルロット様。ご機嫌ようですの。……あら失礼、横にいらっしゃるのは男爵家のお嬢様? あまりに存在感が薄くて、学園の清掃員か何かとお見間違えしてしまいましたわ」
ヴィクトリアの高笑いに合わせて、フランチェスカがくすくすと扇で口元を隠し、ルーカスが冷ややかな視線でニーナを見下ろす。
「ひっ……っ」
私の隣で、ニーナが大きな鞄を抱え直して震え上がり、小さく縮こまってしまった。
「……ヴィクトリア様。私の友人に対して、少々言葉が過ぎるのではなくて?」
私は咄嗟にニーナの前に歩みでて、彼女を背中に庇った。
だが、相手は飛ぶ鳥を落とす勢いのグランヴェル公爵家。周囲の生徒たちも息をのんで静観しており、いくら私が公爵令嬢とはいえ、理不尽な侮辱に対してどこまで強く出られるか……一瞬、言葉の組み立てに逡巡が生じる。
その、一触即発の重苦しい空気が流れた、まさにその時だった。
「――何を騒々しくしている」
静かだが、演習場で聞いたあの「ピストル」の衝撃波のように恐ろしく通り通る声が、二人の間に割り込んできた。
書類の山を抱え、仕立てのいい制服を崩さず着こなした少年――アレンだ。
「な……!? なんですの、貴方は! 生徒会の役員か何か知りませんけれど、いま私たちはローゼンベルク家との話し合いを――」
ヴィクトリアが不快そうに眉をひそめ、冷たく言い放とうとする。
しかし、アレンは表情一つ変えず、彼女の言葉を淡々と遮った。
「この学園内において、家柄や身分の上下など存在しない。入学時の規約を忘れたのか?」
「くっ……! 忘れるわけがないでしょう! ですがこれは――」
「俺の見たところ、あんたらが一方的に新入生へ絡んでいるように見えたものでな。生徒会業務の一環として、これは『仲裁』だ。これ以上、廊下の通行を妨げるなら相応の対応を取る」
そう言ってアレンが向けた視線は、感情が一切こもっていない冷徹なものだった。だが、演習場で『無造作な手首の一振り』を見た私には分かる。彼の全身から滲み出る、底知れない圧迫感を。
ルーカスがわずかに息をのんで一歩引き、フランチェスカも言葉を詰まらせる。
ヴィクトリアは屈辱に顔を歪め、アレンを激しく睨みつけた。
「……フン、興が削れましたわ。行きましょう」
吐き捨てるように言い残し、ヴィクトリアたちは怒りを露わにしながらその場を後にしていった。
静まり返った廊下で、私は背中のニーナを気遣いながら、目の前に立つ少年に目を向ける。
(……この方、やっぱり只者ではありませんわ)
多忙な生徒会の職務をこなし、身分の差など一蹴して公爵家を退ける孤高の存在。
その凛とした背中を見つめながら、私はますます彼から目を離せなくなっていくのだった。
(まさか彼が、『ふぅ、ちょうど通りかかって助かった。これでまた静かに小説が読める』と心の中で胸を撫で下ろしているだけだとは、この時の私たちは誰も気づいていなかったのである――)
◇
去っていくグランヴェル一行の背中を見送りながら、私は今しがた起きた出来事の重みを改めて噛み締めていた。
王国の武力を象徴するグランヴェル公爵家。その威光は絶大であり、学園内においても教職員すら彼らには一目を置いている。いくら「学園内では身分は平等」という名目上の建前が存在しようとも、それを正面から突きつけ、あの高慢なヴィクトリア様を退かせる者など、これまで一人として存在しなかったのだ。
「大丈夫ですか、ニーナ」
私が優しく声をかけると、私の背中に隠れていたニーナは、膝を小刻みに震わせながら「は、はい……」と小さく頷いた。
「ありがとうございます、シャルロット様……。私、生きた心地がしませんでした……っ。ヴィクトリア様たちのあの威圧感、まるで本物の魔物に睨まれたみたいで……」
「ええ、彼女たちの威圧感は伊達ではありませんもの。ですが、それ以上に……」
私の視線は、抱えた書類の山をわずかに持ち直し、何事もなかったかのように歩き出そうとしているアレンの背中に向けられた。
そう、あのグランヴェル公爵家の威光すらも、彼にとってはただの「廊下の通行の妨げ」に過ぎなかったのだ。
「あ、あの……アレン様!」
私は自然と声を張り上げていた。ローゼンベルク家の長女として、助けてもらった無礼をそのままにして立ち去るわけにはいかない。
アレンは足を止め、面倒そうに、しかし至極洗練された動作で振り返った。その黒い瞳には、一切の感情が浮かんでいない。私たちがローゼンベルク公爵家の人間であることも、助けた相手が特待生であることも、彼にとっては等しく意味を持たないかのようだった。
「何か用か、シャルロット嬢」
私の名前を正確に呼びながらも、その声の色はどこまでも平坦だ。
「……先ほどは、ご助力いただき感謝いたしますわ。私ひとりであれば受け流すこともできましたが、友人を庇いつつあの場を収めるのは、少々骨が折れるところでしたの。生徒会のお立場とはいえ、ローゼンベルク家としてお礼を申し上げます」
私は扇を胸元に添え、完璧な貴族の礼を執った。
だが、アレンは返答の代わりに、ただ淡々と自らの手に抱えた書類の山を指し示した。
「礼には及ばない。俺はただ、生徒会の定例業務として『廊下の安全と秩序の維持』を行ったまでだ。それと……あまり特定の個人に特別な感情を持ち込まれては困る。俺は公平な業務を遂行しているだけだからな」
「まあ……」
どこまでも徹底された公私混同の排除。
己の功績を一切誇らず、それどころか私という公爵令嬢からの感謝すら「過剰な特別扱い」として牽制してみせる。
(なんて非情なまでに完璧なお方なのかしら……! 普通の男子生徒であれば、私からの礼を受ければ少なからず鼻が高くなるはずですのに……!)
私の感嘆をよそに、アレンの脳内では全く別の計算が弾き出されていた。
(……やれやれ、妙なところで目立ちたくはないんだがな。だが、あのまま押し問答を続けられて廊下が封鎖されたら、俺が楽しみにしていた図書室の予約本回収が大幅に遅れるところだった。公爵令嬢だかなんだか知らんが、俺の貴重な読書時間を奪わないでくれればそれでいい)
アレンにとって最も重要だったのは、自らが執筆・読書に費やす「至高のプライベートタイム」の確保であった。あの場でヴィクトリアたちを追い払ったのも、正義感や誇りからではなく、「早くこの煩わしい人混みを散らして本棚へ向かいたい」という一心からの行動に過ぎない。
だが、そんなアレンの冷徹な仮面の裏側を見抜く術など、私にあるはずもなかった。
「……アレン様。貴方は、いつもそうなのですか?」
「何がだ?」
「ご自身の力を誇ることもなく、誰に称賛されることも望まず……ただ一人で、学園の影からすべてを支えていらっしゃる。先ほどの演習場での圧倒的な術式といい、今の毅然としたご態度といい……貴方が背負っていらっしゃるものの大きさが、私には推し量ることすらできませんわ」
私の真摯な問いかけに、アレンは一瞬だけ呆れたように目を細めた。
彼の視線は、私の背後にいるニーナ、そして遅れて駆けつけてきたソフィアとリゼットへと巡る。
「……背負うもの、か。そんな大層なものは何もない。ただ、自分のやるべきことを効率よく消化しているだけだ」
「それがどれほど非凡なことか、貴方はご理解なさっていませんのね」
私は小さくため息をつきながらも、その口元には自然と微笑みが浮かんでいた。
(多忙を極める生徒会の重責を担い、圧倒的な実力を隠し持ち、身分制度の歪みから生徒を守る。そして、そのすべてを『当然の義務』と言い切る……。ああ、これこそが真の孤高、真の覇者とお呼びするにふさわしいお姿……!)
シャルロットの頭の中で、アレンという青年の偶像はもはや神格化に近い領域へと達していた。
「では、俺はこれで失礼する。次の資料整理が控えているのでな」
「ええ、お引き止めしてしまって申し訳ありませんでしたわ。どうぞお気をつけて」
アレンは軽く一礼すると、洗練された足取りで廊下の奥へと消えていった。その背中は、夕暮れ時の校舎の光を浴びて、どこまでも優雅で美しかった。
「……ふぅ。恐ろしい方ですわね、アレン様は」
追いついてきたソフィアが、去っていくアレンの背中に視線を向けたまま小声で呟いた。
「ええ……。あのヴィクトリア様を、言葉一つで完全に気圧してしまうなんて。Bクラスの噂以上のお方ですわ。一体どれほどの修羅場を潜り抜ければ、あのような冷徹な眼差しを持てるようになりますの……?」
リゼットも恐れおののくように腕を抱え、同意する。
「私……私、アレン様には一生頭が上がりません……っ! お礼に、実家から届いた高級な焼き菓子でもお届けしたほうがいいでしょうか……!?」
半泣きのニーナが健気にもそんなことを言い出し、私たちは思わず顔を見合わせてクスリと微笑み合った。
「ニーナ、そのお気持ちだけで十分ですわ。あのようなお方は、物品による見返りなど端から望んでいらっしゃいませんもの。……ねえ、皆様?」
私は扇を優雅に閉じ、静かにアレンが消えた廊下を見つめた。
「彼が守ろうとしているこの学園の平穏。それを乱さないことこそが、私たちにできる唯一のお返しなのかもしれませんわね」
(……ですが、アレン・ノア様。貴方がどれほど孤独を望もうとも、私は諦めませんわ。いつかその頑なな仮面を剥がし、貴方の本当の素顔をお見せしていただきますから)
静かな決意を胸に秘め、私は友人たちとともに、歩みを進めるのだった。
――その頃、生徒会室の奥にある資料保管庫へ辿り着いたアレンは、周囲に誰もいないことを確認すると、深く深くため息をついていた。
(……はぁぁぁーっ! 危なかった……! あのまま公爵令嬢同士のドロドロしたマウント合戦に巻き込まれたら、今日の夜の小説執筆時間が削られるところだったぞ……! えらい目に遭うところだった……)
アレンは壁に背を預け、冷や汗を拭った。
(それにしても、シャルロット嬢のあの熱っぽい視線は何だったんだ? 『背負っているもの』だの『孤高』だの、相変わらず大げさな言い回しをするお嬢様だな。俺はただ、宿に帰って美味しい串肉を食べながら、昨日書いた『小説の先の世界』の続きを推敲したいだけなんだが……)
彼は手帳を取り出し、パラパラとページをめくりながら、自分の平和な日常を脅かす要素(=過剰な注目)からいかに逃げ切るか、真剣に頭を悩ませていたのだった。




