第150章:【無詠唱の『火球』、常識の崩壊】
一日の学習は大まかに座学が6割、実技が4割という配分だが、その実技が始まるまでが一苦労だった。
広大な敷地内をかなりの距離移動し、地下深くへと繋がる厳重な通路を抜け、ようやく「専用ルーム」へと入る。この部屋は特殊な魔導障壁で全方位を完璧に覆われており、それこそ戦術級の魔法ですらビクともしないという。学生クラスの出力では傷一つ残すことすら不可能な、完全防音の実験場だ。
「ここなら、全力で学習した内容を試せますわね」
シャルロットが胸を張り、周囲の生徒たちも各々の杖を構えて『ファイヤーボール』の試射を始める。あちこちで詠唱が響き、大きな火の玉が障壁にぶつかっては激しい熱風と音を上げて弾けた。
だが――その喧騒の最中、またしても食堂と同じ「端のほう」で、アレンが一人でぽつんと立っていた。
(なぜあの方は、あんなに離れたところで一人でお立ちになっているの……?)
シャルロットが気になって視線を向けた、その瞬間だった。
アレンの手元には杖すらない。ただ、無造作という表現が恐ろしいほどしっくりくる軽さで、スッと手首を振った。
――シュッ。
放たれたのは、拳よりも遥かに小さい、親指の先ほどの「極小の火球」。
しかし、それが空間を穿つ速度と軌道は異次元だった。
ドスッ……!!
爆発音ではない。音速を超えた空気が置き去りにされる鋭い破壊音とともに、極小の火塊が一直線に超高圧で障壁へ激突した。まるでピストルから射出された鉛弾だ。
圧縮され尽くした高密度の炎は、着弾した障壁の表面を一瞬で真っ赤に溶融させ、恐ろしい衝撃波を狭い範囲に集中的に叩きつけた。
「「「…………!?」」」
周囲で威勢よく大きな火の玉を放っていた生徒たちが、一瞬で静まり返る。演習場全体が、信じられないものを見たという絶句と動揺で凍りついた。
当のアレンはといえば、自分の手元と障壁の痕跡を交互に見比べ、困ったように眉をひそめている。
(……うーん、やはり手加減が難しいな。魔素の凝縮率をあと3%落とさないと、この『ピストル』だと貫通力が高すぎて訓練にならないか……)
周囲のパニックなど露ほども気にせず、一人黙々と「威力を抑えるための練習」に励み始めるアレン。
「な……なになに今の……!? え、杖も詠唱もなし……!?」
シャルロットは気高さを保つことすら忘れ、口元を扇で覆うのも忘れてあっけにとられていた。
「…………」
ソフィアは言葉を失い、美しい顔のまま完全に思考が停止して固まっている。
「えっ……火球? でも音覚も光の屈折も全然違……え、何が起きたんですの!?」
リゼットは何が起きたのか構造すら理解できず、パニックで視線を泳がせる。
「あ……が……っ」
そしてニーナは、恐怖と衝撃のあまり、持っていた練習用の杖をカランカランと床に落としたのだった。
◇
演習場内を支配する、圧倒的な静寂。
他の生徒たちが呆然と立ち尽くす中、シャルロットは必死に自身の呼吸を整え、乱れかけた思考を強引に回転させ始めた。
(落ち着くのですわ、シャルロット・ローゼンベルク! 確かに今の技法は常識をはるかに超えていました……ですが、我がローゼンベルク家は最高峰の兵装基盤を預かる名門。魔法の現象に対して、動揺を見せるなどあってはなりませんわ!)
彼女は震えそうになる手を扇で力強く押さえつけると、背筋をすっと伸ばした。しかし、目の前で起きた現象は、いくら貴族としての意地を張ろうとも理解の範疇を超えていた。
通常、魔法というものは厳格な『ステップ』を踏んで発動させるものだ。
体内から魔素を汲み上げ、それを適切な『詠唱』によって構築し、さらに『杖』や『触媒』を経由させることで、ようやく外界へ出力される。それが世界中のいかなる魔導士であっても変わることのない絶対の法則であり、基礎中の基礎であったはずなのだ。
(それなのに、あの方は……無詠唱どころか、触媒すら介さずにあの威力を出力しましたの……!?)
しかも、ただの『ファイヤーボール』ではない。
周囲の生徒たちが放っていた火球は、直径数十センチほどの炎の塊であり、着弾時に大きな音と熱風を散らすのが一般的だ。それは広範囲に熱量を拡散させることでダメージを与える、いわば標準的な魔法の仕様であった。
だが、アレンの放った炎は違った。
親指の先ほどのサイズにまで無駄を省き、極限まで熱量と密度を圧縮。それを異様な初速で一直線に叩きつけることで、熱による攻撃ではなく『超高圧の質量体』として対象を穿っていた。
(あれは炎の魔法などではありませんわ……! 属性の性質そのものを変質させ、物理的な運動エネルギーへと昇華させている……!?)
シャルロットの横では、薬草や魔導植物の構造解析を得意とするリゼットが、壊れた機械のようにブツブツと呟き続けていた。
「あ、あり得ませんわ……。燃焼反応による空気の膨張音が先行するはずなのに、着弾音の後に衝撃波が届くなんて……。それに、あの障壁の溶解痕……! 表面の魔導金属が一瞬で液状化するほどの熱量を、どうやってあの極小のサイズに閉じ込めておけますの……!?」
リゼットの専門的な観点から見ても、アレンの起こした現象は理不尽そのものだった。魔法の威力を上げるには、通常であれば魔法陣の規模を大きくするか、供給する魔素量を増大させて『規模を大きくする』のが定石なのだ。規模を小さくしながら威力を跳ね上げるなど、魔法の構造式そのものを根本から覆すような暴挙であった。
「……リゼット、少し落ち着きなさいな」
「お、落ち着いてなんていられませんわシャルロット様! あれはもう魔法の範疇を超えています! 何か怪しい魔道具を隠し持っているのか、それとも古代の失われた記述でも再現しているのか……っ!」
パニックを起こすリゼットの隣で、特待生であるニーナは床に落ちた自分の杖を拾い上げることすらできず、小刻みに震えていた。
「ひぅ……あ、あの……私、特待生として学園に入学できて、少しだけ自分の実力に自信を持っていたんです……。でも、あんな……あんなのを見せられたら、私なんて魔法の真似事すらできていないんじゃないかって……」
自尊心を完全に粉砕され、今にも泣き出しそうなニーナ。
その時、それまで完全にフリーズしていたソフィアが、深く長い溜め息とともにようやく思考を再開させた。
「……シャルロット様。私、あの方がなぜ『端のほう』で一人でお立ちになっていたのか、ようやく理解できましたわ」
ソフィアは青ざめた顔のまま、優雅な所作で自身の髪をかき上げた。
「あの方は……周囲に人がいると巻き込んでしまうから、あえて距離を置いていらっしゃったのですわ。あの恐ろしい出力を、他の学生に危害が及ばないよう、ご自身の責任のもとで制御なさっていたのです」
「なっ……!?」
ソフィアの推測に、シャルロットはハッと息を呑んだ。
(そう……そうですわ! だからあの方は、いつも孤独に一人でいらっしゃったのですわね……! 圧倒的すぎるご自身の力を自覚しているからこそ、他者を巻き込まぬよう、自ら進んで距離を取っておられた……!)
シャルロットの頭の中で、アレンに対する膨大な誤認がさらに強固なものへと組み上がっていく。
孤高の天才。
学園の重責を背負いながら、自らの強大な力を冷徹なまでに完璧にコントロールし、周囲への配慮すら怠らない絶対者。
(なんて誇り高く、そして痛切なお方なのかしら……!)
シャルロットの瞳に、再び強い熱量が宿る。
一度は打ち砕かれかけた恐怖と動揺が、アレンという人物への強烈な興味と尊敬、そして貴族としての対抗心へと変換されていくのを感じていた。
(ですが……私は怯みませんわ。どれほどの常識外れであろうと、あの方は同じ新入生。ローゼンベルク家の長女として、あのような圧倒的な存在を前に関係を諦めるわけにはいきませんわ!)
一方その頃、シャルロットたちから熱い視線を送られている当のアレンは、依然として手元をじっと凝縮した眼差しで見つめていた。
(ふむ……やはり空気抵抗による減速と、熱伝導による拡散が予想以上に大きいな。前世の知識にある『弾丸』の概念を魔法で再現しようとしたが、弾頭の形状維持に魔素を割きすぎると、肝心の貫通力が落ちる。かといって威力を上げれば、演習場の障壁を破壊して余計な修繕費が発生してしまう……)
アレンの思考は、どこまでも冷徹で現実的な「コスト管理」と「自己満足」に終始していた。
(学園の設備を壊して減点でもされたら目も当てられん。もっと魔素の伝導率を滑らかにして、安全かつ最小限の出力で『撃ち抜く』技術を確立しなければな。……よし、次は回転運動を加えて弾道を安定させてみるか)
彼にとってこの実技時間は、世界の真理を追求する儀式でもなければ、孤高の力を周囲に示すための演武でもない。ただの「個人的な魔法技術の試作と、設備破達を防ぐための加減の検証」に過ぎなかったのだ。
アレンが再び静かに手首を構え直す。
その無駄のない洗練された動作を目にしたシャルロットは、ぎゅっと扇を握りしめ、己の心に強く誓うのだった。
(アレン・ノア……。あなたのその完璧すぎる仮面の下に隠された真実、私が必ずや解き明かしてみせますわ!)




