第130章:コーヒーブレイクの強奪と、経費精算のトラブル
すべての特異点座標の最適化およびパージを完了させたアレンは、第四倉庫の奥にある私室兼執務スペースへと戻っていた。
薄暗い部屋の隅に置かれた使い込まれた木製デスク。その上に、ようやく淹れたての香ばしいコーヒーを注いだカップを置く。カップから立ち上る湯気を眺めながら、アレンは分厚い古文書を開き、静寂に満ちた読書の世界へ浸ろうと息を整えた。
(ふう……これでようやく、無駄な外部要因に邪魔されない平穏な知的時間が確保できたな)
心の中で小さく安息の息をつき、コーヒーに口をつけようとしたその瞬間――。
ガタガタと乱暴に扉が開き、土足のまま踏み込んできた金髪の影が、アレンのデスクの前にドカリと陣取った。
「ちょっとボス! 待ちなさいよ!」
息を荒げたエルエルが、両手を机につけ、不満を爆発させるような鋭い視線を向けてくる。その手には、先ほどアレンが回収したはずの羊皮紙のリスト、ではなく、何やら自分で勝手に書き殴ったらしき怪しげな計算用紙が握られていた。
「なんだ、今度は。せっかくのコーヒーブレイクに水を差すような真似をするなら、次の月給明細の端数すらカットするぞ」
冷ややかに言い放つアレンに対し、エルエルは少しも怯むことなく、計算用紙をバッと突き出した。
「脅しに屈するものですか! こっちはね、帝国中を走り回って空間の歪みを直すっていう、神界の管理官にあるまじき泥臭い現地での不具合修正作業を丸一日やらされたのよ! しかもあの廃魔導炉跡じゃ危うく煤まみれになって死にかかけたし、職人街じゃ買い出しの使い走りまでさせられたわ!」
「労働契約書および世界管理規約の範囲内だ。文句なら人事権を持つ上層部にでも言え」
「その上層部からしてブラックなのよ! だからこうして、現場責任者であるあなたに『特別危険手当』と『出張雑費』の精算を要求してるの! ほら、この計算書を見てちょうだい!」
エルエルが突きつけてきた紙には、見慣れない項目がずらりと並んでいた。
危険区域踏破手当(廃魔導炉跡および地下通路): 銀貨5枚
雑務補助およびパシフィック代行費(職人街の買い出し含む): 銀貨3枚
精神的苦痛および超過労働に対する慰謝料: 銀貨10枚
合計して、基本給の半分をも優に超える法外な追加請求額が書き記されている。
アレンは冷徹な眼差しでその紙切れを一瞥すると、鼻で笑うように小さく息を吐いた。
「……ふん。お前のその勝手な請求書は、社内規定のどこをどう読んだら承認されると思っているんだ。そもそも、買い出しの際にちゃっかりお前の分の焼き立てパイやスープを余分に購入していた件はどう辻褄を合わせるつもりだ? それらの私的飲食費はすべて俺のラボの交際費から仮払いしているんだぞ」
「うっ……それは、その、現場の士気を保つための必要経費というか……!」
「却下だ。今回の特異点パージにおける工数と予算はすでに厳密にシュリンクされている。これ以上の予算超過は組織の資金繰りを圧迫するだけであり、経営合理化の観点から一切認められん」
「ケチっ! 超絶ブラック上司! 人の労働力を買い叩いて自分だけ優雅に読書タイムなんて許さないんだからね!」
喚き散らすエルエルを完全に無視し、アレンは冷めかけたコーヒーカップを持ち上げると、静かに一口飲んだ。
――平穏なコーヒーブレイクの時間は泡と消えたが、アレンの冷徹な合理主義と容赦ない労務管理の論理が崩れることは、今日も決してなかった。




