第129章:商業区外れの路地裏と、最初の綻び
第四倉庫を後にしたアレンは、エルエルが持ってきた羊皮紙のリストを確認しながら、帝都の商業区外れへと足を向けていた。
「……まったく、休む間もなく面倒な雑用を押し付けられるとはな。せめて移動のついでに、安くてボリュームのある香辛料の効いた煮込みでも見つければいいが……」
財布の紐を固く締めつつ、アレンがたどり着いたのはリストの第一番目――古い路地裏だった。周囲の石畳や壁の隙間から、空間の縫い目がほころび、周囲の環境にじっとりと二次的な負荷を及ぼしている特異点である。
(ふむ、これを放置すれば後々により大きな面倒や余計な出費を招く原因になる。さっさと片付けて、今日の安宿代と夕食の買い出しを済ませるに限るな)
アレンは余分な魔力を消費しないよう最小限の動作で手を伸ばすと、空間の歪みにピンポイントで干渉し、乱れた座標を淡々と押し戻していく。周囲の空気がピシリと音を立てて整い、世界の不具合は最小限の手間で綺麗に修正された。
「よし、第一件目完了だ。……次へ向かう前に、さっそく近くで安くて美味いパン屋でも探すか」
トラブルの種を一つ潰したアレンは、疲弊して後ろをついてくるエルエルの文句を右から左へ受け流しながら、現実的で手堅い足取りで次なる歪みへと向かって歩き出すのだった。
【帝国南部の水路と、安上がりの昼食】
商業区の安価なパン屋でボソボソとした全粒粉のパンを購入し、かじりながら移動したアレンがたどり着いたのは、リストの第二番目である「帝国南部の古い石造りの水路付近」だった。
周囲は魔導インフラの密集地帯であり、局所的な空間のねじれの渦が生じている一帯だ。水面が不規則に歪み、周囲の魔素流動に余計な負荷をかけている。
「ふむ、放置すれば魔導ポンプの摩耗を早め、無駄な修繕費が発生する原因になるな。さっさと修正して、次の仕事へ移るとしよう」
アレンは無駄な魔力を一滴たりとも消費しないよう、最小限のエネルギー制御で水路のねじれポイントをピンポイントで辻褄合わせを使用し、一瞬で座標を同期させ直した。渦を巻いていた空間は嘘のように穏やかな流れへと戻り、不具合の痕跡はきれいに消え去る。
「ねぇ、これで二件目だよ。……にしても、歩き通しで小腹が空いたし。この近くに、確か一泊大銅貨数枚で食べられる食具だくさんのスープを出す屋台があったと思うんだ。だからさっさと終わらせてよ……って、なんで私までこんな泥臭いドブさらいみたいな歪み修正につき合わされてるわけ!?」
背後で埃まみれになりながら抗議するエルエルに対し、アレンは冷ややかにそれをスルーする。
「文句を言うな。お前が帝国中でデータ収集をサボっていたからこうして現場を回る羽目になっているんだ。それに、労働の後のスープ代は自腹だからな、無駄遣いするなよ」
現実的でケチくさい言葉で女神の文句を切り捨てると、アレンは次なる歪み――古い職人街の片隅へ向けて、着実に足を進めるのだった。
【古い職人街の片隅と、微細な魔素リーク】
スープ屋の屋台で安上がりの昼食を済ませたアレンは、エルエルを従えてリストの第三番目である「古い職人街の片隅」へと足を踏み入れていた。
周囲には古い工房や鍛冶場が立ち並び、職人たちがハンマーを振るう金属音が響いている。その一角、一際古びた魔術回路の配線がむき出しになった壁際で、空間がぼんやりと霞むように歪んでいた。
「ふむ……老朽化した魔術回路の干渉か。微量の魔素が術式干渉を引き起こし、空気を無駄に歪ませているな」
回路全体を取り替えるとなれば莫大な修繕費と工数がかかるが、アレンの目的はあくまで世界システムの「エラーパッチ適用」であり、無駄なインフラ投資ではない。
「根本的な配線交換は帝国のギルドにでも丸投げの稟議書を回しておけばいい。今の俺に必要なのは、この局所的な魔素リークの絶縁と座標の強制同期だ」
アレンは指先を軽く一閃させ、環境マナの流動を書き換える低負荷の辻褄を壁面へ流し込む。ピシリと響いた乾いた音と共に、染み出していた魔素のリークは完全にシャットアウトされ、歪んでいた空気が何事もなかったかのようにクリアな日常へと戻った。
「よし、これで三件目だ。残り二つもさっさと片付けて、今日の分の読書タイムを確保するとしよう」
「ちょっとボス! 職人街ってことは、あそこの名物の焼き立てパイとか、美味しそうな差し入れが期待できるんじゃないの!? なんで一目散に素通りするわけ!?」
背後でエルエルが不満タラタラに声を上げるが、アレンは小さく息をつくと、懐からわずかに硬貨を取り出す。
「……まったく、これだから効率の悪い女神は面倒だ。今日の作業進捗が予定より少し早上がりに着地したからな、その分の歩合としてスープ一杯分くらいは特別に出してやる。……ほら、ぐずぐずせずにさっさと買ってこい」
「えっ、本当!? やったぁ、ボスって案外太っ腹じゃない!」
パッと顔を輝かせたエルエルが慌てて屋台へと駆け寄っていくのを見送りながら、アレンは次なる歪みの現場へ向けて、淀みのない足取りで職人街を抜けていくのだった。
【帝国外郭の廃魔導炉跡と、残留エネルギーの圧縮】
職人街を抜けたアレンとエルエルがたどり着いたのは、リストの第四番目である「帝国外郭の廃魔導炉跡」だった。
周囲はかつての帝国中枢を支えた旧式魔導炉の残骸が巨大な鉄の墓場のように転がり、その中心部では、長期間放置された残留エネルギーが空間構造そのものに干渉し、歪な亀裂を生み出していた。空気が熱を帯び、ピリピリとした静電気が肌を刺す。
「……ふむ。旧式炉の非効率な熱エネルギーがそのまま空間構造へ負荷をかけ続け、構造変形を引き起こしているな。下手に刺激すれば二次爆発を起こしかねないが……」
アレンは冷徹な視線で亀裂のベクトルを鑑定で解析すると、無駄な出力を完全にカットした局所冷却パッチを構築する。
「まあ、大元の炉心に直接干渉する必要はない。周囲の残留魔素を逆位相の冷却回路で包み込み、熱膨張のエネルギーを相殺して構造体ごと一瞬で固めれば事足りる」
アレンが指先を軽く弾くと、空間の亀裂を囲むように微細な魔素の網目が展開され、膨大な残留エネルギーがピタリと沈静化した。歪んでいた空間構造は元の正しい座標へと綺麗に巻き戻され、危険な亀裂はただの硬いコンクリートの残骸へと変わる。
「よし、これで四件目だ。……残るはあと一つだな」
「はぁ、はぁ……ちょっとボス、こんな危なっかしい廃墟まで歩かされて、私の足はもう限界よ……! ていうか、こんな危険な修復作業、どうして私がタダで付き合わなきゃいけないわけ!?」
背後で煤まみれになりながら膝をつくエルエルに対し、アレンはポケットから冷えたペットボトルを取り出しつつ、容赦のない現実を叩きつける。
「タダ働きとは心外だな。お前の月給銀貨20枚のなかに、こういった現地踏査やデータ収集の作業報酬もちゃんと含まれている。労働対価の計算に不服があるなら、次月の給料明細を上司に交渉するが、どうする?」
「……すみませんでした、真面目に歩きます」
金銭的なペナルティの提示に一瞬で大人しくなった女神を背中に従え、アレンは残る最後の一件――「魔導学園旧館の地下倉庫付近」へ向けて、軽快な足取りで最後のルートを踏み出していくのだった。
【魔導学園旧館の地下倉庫と、全件パージの完了】
疲労の色を隠せないエルエルを引き連れ、アレンが最後にたどり着いたのは、リストの第五番目である「魔導学園旧館の地下倉庫付近」だった。
薄暗い地下通路の一角。そこでは、過去の生徒や教員たちによる高出力な魔術行使の痕跡が蓄積され、空間の同期ズレを引き起こすことで、局所的な次元の歪みが生じさせている特異点がぽっかりと口を開けていた。空間の境界がかすかに波打ち、周囲の物理定数に細かなノイズを走らせている。
「……なるほど。無駄に大出力の魔術を乱用した歴史的痕跡が境界を圧迫し、空間のインデックスを破損させているわけか。定期的なゴミ掃除を怠るからこういう不具合が起きる」
アレンは呆れたように息を吐くと、自身の【時空制御】の術法展開を展開する。
「根本的な解決には至らないが、このゴミデータの蓄積を古い痕跡ごと別次元の領域へ退避させ、座標の揺らぎを強制的にリセットすれば十分だ」
アレンが指先で空間の歪みに軽く触れ、内部の同期ズレを修復する辻褄合わせを流し込む。次の瞬間、重苦しく歪んでいた地下の空気が澄み渡るようにパチンと整い、空間の歪み痕跡は完全にクローズされた。
「よし、これで帝国領内の全五箇所の特異点座標の最適化および破棄は完了だ。……やれやれ、これでようやく無駄な魔力維持費の発生を防げたな」
すべての歪みを最小限の工数で完全に片付けたアレンは、身じろぎ一つせず、手元の羊皮紙のリストに冷徹なチェックマークを脳内で書き入れる。
「ふう……これで、ようやく……これでやっと、あの薄暗い第四倉庫に戻って、静かに読書に浸る時間が……」
後ろで床にへたり込み、魂の抜けたような顔で呟くエルエルを一瞥しつつ、アレンはトランクケースに羊皮紙をしまい込む。
神から外注された「因果律の泥臭い辻褄合わせ(ラフ・アジャスト)」の第一陣を鮮やかに完遂したアレンは、無駄なメンテナンスコストの消滅に密かな満足感を覚えながら、次なる日常のコーヒーブレイクへと向けて冷徹な足取りで学園の地下を後にするのだった。




