第127章:アレンの『スイート』と、帝国の誤読
国境検問所をゼロ秒でフリーパスし、魔法帝国アルカディアの都市へと足を踏み入れたアレン。
彼を出迎えたのは、帝国中枢から派遣された特別接遇官と、金糸の刺繍が施された最高級の魔導馬車だった。
「アレン様! 帝国へのご帰還、心より歓迎申し上げます! ご滞在先につきましては、アレン様からの事前のご要望通り『最高のスイート』をご用意いたしました!」
接遇官はもみ手をしながら、うやうやしく頭を下げた。
案内されたのは、帝都市街の中心にそびえ立つ七つ星の超高級魔導ホテル『グランド・アルカディア』。その最上階をまるごと占有する、一泊だけで大金貨数十枚(数千万円)が吹き飛ぶ最高峰の『インペリアル・グランド・スイート』であった。
自動で温度と湿度が管理され、足元には高級な魔獣の毛皮が敷き詰められ、部屋の隅々には金箔と宝飾が施された調度品が立ち並んでいる。
だが――足を踏み入れたアレンは、入り口でピタリと足を止めると、心底うんざりした顔で深く溜め息をついた。
「……なんだこの部屋は」
「は、はいっ!? 当ホテルが誇る最高峰のスイートルームでございますが……!」
「天井が無駄に高すぎて熱効率が最悪だ。移動の邪魔になる位置に無意味な調度品が配置されていて歩く時の邪魔になっているし、何より過剰な飾りの光芒のチラつきが多すぎて静かに本が読めん。キャンセルしろ」
「え、えええぇぇっ!?」
接遇官が目玉を飛び出させて絶叫するのを横目に、アレンは返された荷物を小脇に抱えると、迷いのない足取りでホテルを後にした。
「あ、アレン様!? お待ちください! では、アレン様のおっしゃる『スイート』とは一体……!?」
「自分で探す。ついてくるな」
アレンが向かったのは、華やかな中央通りから何本も路地を折れた、裏通りの最も奥まった区画だった。
そこに佇んでいたのは、看板の文字すら掠れかけた築数十年はあろうかという古びた安宿『路地裏の木かげ亭』。
ギシギシと音を立てる扉を開け、番台で欠伸をしていた老店主の前に、アレンは大銅貨7枚(約7,000円)をポンと置いた。
「角部屋をくれ」
「はいよ。二階の一番奥、204号室だ。鍵とランプを持っていきな」
アレンは鍵を受け取ると、ギシギシと軋む階段を上り、廊下の最奥にある204号室の扉を開けた。
四畳半ほどの狭い室内。壁紙はところどころ剥がれ、部屋の隅からは微かにカビと湿気の匂いが漂っている。だが、その部屋の二面には、外に面した小さな窓がそれぞれ設置されていた。
アレンは窓を少しだけ開けると、スーッと室内に通り抜ける風を感じ、満足そうに口元を緩めた。
「よし。二方向に窓があることで排気と通気が完結する完全な対角換気構造……これぞ正真正銘の『スイート』だ」
アレンの言う『スイート』とは、豪華な調度品や広い客室のことではない。
「ギルドや会社の経費の範囲内であり、二面採光によって空気循環の仕組みが成立している安宿の角部屋」のことだったのだ。
カビ臭さや湿気に関しても、アレンにとっては周囲の魔力の規定範囲内に過ぎない。文庫本を広げ、安物のベッドに腰掛けたアレンは、実に心地よさそうにページをめくり始めた。
「無駄な広さも装飾もない。費用の無駄遣いも最小限だ。やはり旅の拠点はこうでなくてはな」
一方その頃。
安宿の周囲を気配を殺して取り囲んでいた帝国の接遇官と暗部たちは、建物の影で滝のような冷や汗を流しながら、がたがたた震えていた。
(……な、なぁ、見たか……!?)
接遇官は蒼白な顔で隣の暗部頭の服を掴んだ。
(時価総額4兆円超を誇るバルツァー・ラボの総帥……世界の富と理を統べ給うアレン様が……一泊大銅貨7枚(約7,000円)のカビ臭い安宿を選ばれたぞ……!?)
(おお……! おお、なんということだ……!!)
暗部頭は溢れ出る涙を拭いもせず、安宿の204号室を見上げて震える声で呟いた。
(豪華絢爛な最高級スイートを『無駄』と一蹴され、あのような質素極まりない密室に身を置かれるとは……! あのお方は富や欲などという次元を完全に超えておられるのだ……!)
(それだけではない! あのカビ臭く湿気た部屋は……世界の理の乱れを誰にも知られずに修正するための、隠された『神の極密作戦室』に違いない……!!)
(そうだ……! あのような場所でなければ、世界の理を書き換えるほどの密作業は行えぬ! 我らが用意した豪華な部屋など、あのお方の深遠なるご思慮の前にはただの邪魔でしかなかったのだ……!!)
帝国中枢の人間たちは、アレンの「単なるドケチかつ極端な合理主義」をまたしても壮大に勘違いし、その圧倒的な禁欲と深遠なる美学に感涙を極めていた。
「全暗部に命じる! アレン様が集中できるよう、半径数百メートルの足音と雑音を一切遮断せよ! 蚊一匹通すな!!」
「「「ははぁっ!!」」」
「……なんだか外が異様に静かだな。帝国の防音設備は優秀なのか?」
静まり返った安宿の角部屋で、アレンはカビの匂いをうっすらと感じつつ、心置きなく読書に没頭するのだった。




