第120章:法皇のお忍び来店と、父の涙
『株式会社バルツァー・ラボ皇王国支店4号』は、本日も大変つつがなく営業していた。
「いらっしゃいませ! 本日はどのようなお悩みでお困りでしょうか?」
「こちらの調合薬は、喉の炎症を抑える【石膏セッコウ】ベースの薬湯になります。お値段は銀貨二枚です!」
エプロン姿の第一王子――改め『店長』が、店を訪れた市民へ爽やかな笑顔で接客を行っている。その横では、同じくエプロンを着けた精鋭女聖騎士――改め『副店長』が、手際よく薬を袋に詰め、テキパキとお会計をこなしていた。
二人の動きにはもはや迷いがなく、店員としての熟練度は日増しに向上している。
アレンはカウンター奥の特等席で茶を啜りつつ、手元の本に視線を落としていた。
(王子のストレスに対する耐性も完全に安定したな。神経の過剰反応による混乱はほぼ発生していない)
そんな平和な店内の扉が、カランと静かな音を立てて開いた。
入ってきたのは、つぎはぎの付いた地味なローブを深く被り、丸めがねをかけた背の低い老人の男だった。身なりこそどこにでもいる貧乏学者風だが、その挙動は極めて不自然で、視線は店内を泳ぎ回っている。
「いらっしゃいませ、お客様!」
店長である王子が、いつも通りの心地よい声と笑顔で男を出迎えた。
――その瞬間だった。
「っ……! ぶはっ……! う、うううぅぅっ……!」
老人はその場に崩れ落ちるように膝をつくと、顔を両手で覆い、突然滝のような涙を流して嗚咽し始めた。
「えっ!? お、お客様!? 大丈夫ですか!?」
突然の事態に王子が焦って駆け寄る。
変装してこっそり息子の様子を見に来た法皇その人である老人は、目の前で生き生きと接客をする愛息の姿に、父親としての感情が限界を迎えていた。
(おお……おおお……! あの幼少期より人前に出られず、少しの刺激で痙攣し倒れていた我が子が……! 見知らぬ者の前で、あんなにも堂々と笑顔で立っておられる……!!)
「お客様、体調がお悪いのですか!? 今、お水をお持ちします!」
「うあぁぁ……! 優しい……我が息子が、見ず知らずの客(変装した余)にこんなにも優しく手を差し伸べてくださる……! 神よ……『理と秩序の神』よ……感謝いたします……!!)
涙と鼻水で顔をグチャグチャにしながら号泣する法皇に、王子はすっかり戸惑っていた。
そんな惨状をカウンター越しに見ていたアレンは、呆れたように小さく息を吐いた。
「店長、慌てるな。そいつは病気じゃない。ただの感極まった号泣だ」
「感極まった……ですか? ですが、こんなに泣いておられますし……」
そこへ、お会計を終えた副店長(女聖騎士)が「どうかされましたか?」と駆け寄ってきた。
「お客様、当店で気分が悪くなられましたか? 熱を抑える薬湯でしたら、すぐにお淹れいたしますが……あ、お代は銀貨三枚になります!」
エプロン姿でノリノリで接客とレジ打ちをこなす女聖騎士の姿を見て、法皇は涙を拭うのも忘れて目を見開いた。
(な、なにをやっているのだ我が国の精鋭騎士は……!? 神聖騎士団の未来を担う筆頭候補が、なぜそんなにも楽しそうに手際よくレジ打ちをしているのだ……!?)
あまりの光景に、法皇は頭を抱えて震えた。
(いや……落ち着け余よ。これは……これほどの名手を副店長に据えることで、王子のガードを完璧にしつつ、店番の効率を高めるという神の深謀遠慮……! 神の采配に口を差し挟むなど不敬の極み……!!)
「あの……お客様? 本当に大丈夫ですか……?」
心配そうに顔を覗き込んでくる王子に、法皇はぐっと涙を堪え、震える声で尋ねた。
「……店長さん。お、お聞きしてもよいかな。苦しくはないのかね……? 人前に立って、見知らぬ者と話すのは……」
その問いに、王子は一瞬だけ驚いたように目を見開いたが、すぐに柔らかく温かな笑みを浮かべた。
「昔は、とても怖かったです。息ができなくなって、世界が崩れるような気がしていました。……ですが、ここのオーナー(アレンさん)に教えていただいたんです。人前に立つのは特別なことじゃない、焦らず一つずつ慣れていけばいいんだと」
王子は自分の胸元にそっと手を当てた。
「今では、人と接して『ありがとう』と言っていただけるのが、とても嬉しいんです。私はいつか……この聖都のみんなの前にしっかりと立ちたいと思っています」
「おお……おおお人様ぁぁぁ……っ!!」
息子の劇的な成長と立派な志を耳にした法皇は、もはや変装を維持することも忘れ、その場で床に伏して再び大号泣した。
その頃。
通りの建物の影で息を殺して見守っていた「外の人間たち」は、今や感涙の渦に包まれていた。
(……おい、見ろ……!)
神聖騎士団長は、溢れ出る涙を巾着で拭いながら暗部頭に囁いた。
(変装して潜入された法皇殿下が……店内で床に伏して号泣されておられる……!!)
(あのお方が涙を流されるなど、即位以来のことだぞ……! 王子殿下の素晴らしい成長と、神の深遠なる慈悲に、法皇殿下のご心が震えておられるのだ……!)
(おお……なんという神聖な空間だ……! あの店はもはやただの薬舗ではない、人々の心と命を救う『真なる神殿』なのだ……!!)
見張りの騎士たちは全員が目頭を押さえ、「神様……!」「殿下……!」と陰でボロボロと涙を流していた。
「……で、いつまで床で泣き言を吐いているつもりだ、法皇様」
カウンターの奥からアレンが冷ややかに声をかけると、法皇はハッと跳ね起き、王子と副店長も驚いて目を見開いた。
「えっ……!? ち、父上!? この方が父上なのですか!?」
「なっ……法皇殿下!? 申し訳ございません、私としたことが変装を見抜けず……!」
正体がバレた法皇は、照れくさそうに咳払いをして立ち上がると、深く帽子を脱ぎ直した。
「……うむ。息子の働く姿をひと目見たくてな。勝手な真似をしてすまなかった、神託の使者様……いや、アレン殿」
「別に構わないが、他の客の邪魔になるから泣くなら外でやってくれ」
「ふ、不敬だぞアレンさん!」と王子が焦るが、法皇はまったく気にした様子もなく、むしろ満足そうに目を細めた。
「よいのだ、店長。……アレン殿、我が息子をここまで立派に導いてくださったこと、親として深く感謝申し上げる」
法皇は一国の君主としてではなく、一人の父親としてアレンに深々と頭を下げた。
「お礼と言ってはなんだが、法皇庁より最高の感謝状と、さらなる最高位の閲覧権限を――」
「いらん。俺はただ、店舗運営の手伝いをさせているだけだ。……それより法皇様、買い物をしないなら帰ってくれ。次の客が来てる」
「ふむ……では、その【石膏】の薬湯を一つもらうとしよう。我が店の『店長』と『副店長』からな」
法皇は銀貨をカウンターに置くと、嬉しそうに微笑んだ。
「はい! 毎度ありがとうございます、お客様!」
王子の晴れやかな声が店内に響き渡り、法皇は温かな気持ちで薬を受け取ると、静かに店を後にするのだった。




