第119章:高慢な貴族と、店長(王子)のデバッグ
『株式会社バルツァー・ラボ皇王国支店4号』の店内には、今日も穏やかな時間が流れていた。
「店長、こちらの棚の補充が完了いたしました」
「ありがとうございます、副店長。……うん、見やすく整理されていますね」
エプロン姿もすっかり板に付いた第一王子――改め『店長』と、同じくエプロンを着用した精鋭女聖騎士――改め『副店長』が、店内を甲斐甲斐しく動き回っている。
アレンはカウンターの奥で椅子に深く腰掛け、文庫本をめくりながらその光景を眺めていた。
(自律神経の不調による過剰反応もだいぶ収まってきたな。環境への慣れと、成分の安定化がうまく効いている)
そんな平和な店舗空間に、ガチャンと粗暴な音を立ててドアが押し開かれた。
「おい! ここが噂の『神託の調合薬』を売っているという奇妙な店か!」
入ってきたのは、派手な刺繍の施された高級なシルクの衣装を纏った太っちょの男と、その左右を固める見るからに強面な私兵の二人の騎士だった。
男の胸元には、聖都の大貴族であることを示す金細工の紋章が誇らしげに輝いている。
男は店内を見回すと、不快そうに鼻を鳴らした。
「ふん、噂の割にはこじんまりとした貧相な店だな。おい、平民の小僧! 店にある薬をすべて出せ。我がヴァルグレイヴ侯爵家が適正価格の半値で買い叩いて――いや、引き取ってやる!」
横暴きわまる宣言に、店内に緊張が走った。
「っ……!」
男のあまりに威圧的な態度と怒声に、王子の身体が一瞬だけ強張る。胸の動悸が跳ね上がり、昔のトラウマが蘇りそうになったその時だった。
カウンターの奥から、本から目を離さないアレンの低い声が届いた。
「焦るな店長。ただの暴言だ。感情で返さず、客の非礼を淡々と事実として指摘しろ」
【竜骨・牡蠣】の薬効が、王子の心拍数の上昇を物理的に押し鎮める。
アレンの冷静な指示と薬の効果により、王子の頭から余計なパニックがすっと消え去り、驚くほどの静寂が訪れた。
王子は深く一呼吸置くと、姿勢をすっと正し、毅然とした眼差しで侯爵を見つめ返した。
「……お客様。当店の品はすべて定価での販売となっております。また、特定の個人様への買い占め販売は、他のお客様の迷惑となりますのでお断りしております」
「なんだと……!? 貴様、この私に向かって口を挟む気か! たかが店の小僧の分際で!」
侯爵は真っ赤になって怒鳴り散らし、王子を脅しつけようと一歩踏み出された。
「お言葉ですが」
王子は一歩も引くことなく、静かだがよく通る声で言葉を紡いだ。
「聖都商工法第十二条に基づき、店舗内における威圧行為および一方的な価格交渉の強要は厳しく禁止されております。また、当店は法皇庁発行の『特級閲覧および営業許可』を得て運営されている正規の店舗です。これ以上の不法な要求はお控えください」
「ぐっ……!? ろ、論理立てて喋りおって……!」
「さらに申し上げれば、礼節を欠いた態度は貴家のご威光を損ねる原因となります。どうか落ち着いてお買い物をお楽しみください、お客様」
完璧なまでの貴族法と商業法の知識、そして隙のない美しい洗練された礼儀作法。
普段なら人前に立っただけで痙攣を起こしていたはずの王子が、増長した大貴族を完璧な論理で完膚なきまでに言い負かしていた。
「くっ……おのれ、小賢しい小僧め! 痛い目を見なければ分からんようだな、者ども!」
言葉で言い返せなくなった侯爵が、痺れを切らして私兵に合図を送ろうとした――その瞬間。
「我が店長へのそれ以上の非礼、この副店長が許しません」
それまで王子を立てて控えめに佇んでいた女聖騎士(副店長)が、すっと前に躍り出た。
その全身から解き放たれたのは、神聖騎士団の精鋭たる凄まじい密度の殺気だ。私兵の騎士たちはその威圧感だけで腰を抜かし、ガクガクと膝を震わせた。
「ひっ……!? な、なんだこの女は……!?」
その頃。
通りの建物の影で息を殺して見守っていた「外の人間たち」は、今やパニックのどん底にいた。
(……おい、嘘だろ……!?)
神聖騎士団長は、冷や汗を滝のように流しながら隣の暗部頭の肩を揺さぶった。
(あのヴァルグレイヴ侯爵の愚か者が、第一王子殿下に向かって『平民の小僧』と暴言を吐いたぞ……!!)
(それだけではない! 神ご本人がおられる店舗で武力を行使しようとしたんだぞ!? 一歩間違えれば侯爵家どころか聖都が消滅する……!!)
(だ、だが見ろ! 王子殿下が……あの気弱だった殿下が、大貴族の威圧を正面から受け止め、見事な論理で一蹴された……!!)
(おお……! 神の導きだ……! 神の指導によって、王子殿下が真の君主として覚醒されつつある……!!)
神聖騎士団長たちは陰で号泣し、拝むように手を合わせながら「殿下……!」「神様……!」と打ち震えていた。
「ひぃぃっ! お、覚えておれよ……!」
副店長の圧倒的な殺気と、王子の冷ややかな視線に耐えかねた侯爵は、捨て台詞を残して蜘蛛の子を散らすように店から逃げ出していった。
静けさが戻った店内で、王子はほっと胸を撫で下ろし、自分の両手を見つめた。
「……私、倒れませんでした。人前に出て、あんなに威圧されたのに……!」
「見事な対応でした、店長! まさかあのヴァルグレイヴ侯爵を言葉だけで退けられるとは……!」
副店長が我がことのように顔をほころばせ、拍手を送る。
アレンは読んでいた本をパタンと閉じると、カウンターの奥から淡々と声をかけた。
「よくやったな、店長。過敏反応の発生率が大幅に下がってる。これならもう、日常会話レベルの実践はクリアだ」
「アレンさん……! ありがとうございます!」
王子は晴れやかな笑顔を浮かべ、深く感謝の頭を下げた。
「よし、じゃあ店長。ご褒美というわけじゃないが、次は『大勢の前に立つ』ための最終ステップの実践練習を用意してやる」
「えっ……? 最終ステップ……ですか?」
首をかしげる王子と副店長を横目に、アレンは静かに不敵な笑みを浮かべるのだった。




