118章:バルツァー・ラボ4号店と、王子のリハビリ
地下大保管庫での用を済ませたアレンが向かったのは、中央魔導市場の少し奥まった通りに位置する『株式会社バルツァー・ラボ皇王国支店4号』だった。
大型セールを終えたばかりのその場所は、かつての喧騒が嘘のように静まり返っていた。店内は思いのほかこじんまりとしており、日差しがほどよく差し込む落ち着いた空間だ。アレンにとっては実に過ごしやすい環境だった。
アレンは棚の埃をさっと払うと、影の領域から取り出した調合薬――【石膏セッコウ】で熱症状を抑えた即効性の鎮咳薬や、【代赭石タイシャセキ】と【芒硝ボウショウ】を組み込んだ排毒促進薬などを、整然と並べていく。
「さて、のんびり店番でもするか」
カウンターの奥に腰掛け、本を広げてゆったりとした時間を楽しもうとした、その時だった。
店の扉が控えめに開き、深々とフードを被ったひとりの青年が足を踏み入れた。身体を小さく丸め、周囲を伺う挙動は警戒心というよりは強い緊張感から来るものだ。
アレンは視線を本から上げずとも、『鑑定』の情報でその人物の正体を即座に把握していた。法皇が頭を悩ませていた第一王子その人だ。
「……あの、神託の……神医様、でしょうか」
震える声で尋ねてくる王子に、アレンはページをめくりながら淡々と返した。
「神医なんて仰々しいものじゃない。アレンだ。……薬は効いたか?」
「は、はい……! 父から授かった薬を服用して街に出たのですが……いつもなら呼吸が浅くなり、視界が歪んで倒れてしまうはずなのに、胸の動悸が嘘のように収まっていて……! 直接、お礼が言いたくて抜け出してきました」
フードを脱いだ王子の顔には、自分の足で街を歩けたことへの強い感動が浮かんでいた。
「礼なら不要だ。言ったろう、あれは一朝一夕で治る万能薬じゃない。ただの自律神経の不調だ。急激な過剰刺激で神経のバランスが崩れていただけだからな。焦らず発作の頻度を下げていけばいい」
王族としてではなく、ごく普通の「患者」として淡々と扱われる感覚が新鮮だったのか、王子はほっと胸を撫で下ろした。
「発作の頻度……ですか。私でも、人前に立てるようになるでしょうか」
「立つだけなら誰でもできる。慣れの問題だ」
アレンは本をパタンと閉じると、王子の顔をまじまじと見つめた。
「ちょうどいい。リハビリついでに、そこで店番でもしてみるか?」
「えっ……!? わ、私が、店番を……!?」
「嫌なら断ってくれて構わない。だが、少人数の客と適当に会話して商品を手渡す作業は、神経の過敏反応を抑える実践練習としては最適だぞ。いきなり何千人の前に立つからパニックするんだ。まずは二人か三人の客相手に調整していけばいい」
突然の提案に王子は目を見開いたが、アレンの迷いのない瞳と理にかなった言葉を聞き、深く息を吐いてから強く拳を握りしめた。
「……やらせてください。私、人前に立てるようになりたいんです」
腹をくくった王子がエプロンを付け、おそるおそるカウンターの前に立った、その時だった。
アレンは「ちょっと待ってろ」と言い残してすっと店の外へ出ると、向かいの建物の隙間に潜んでいた影へと一直線に向かい、ガサりと音を立てて誰かの首根っこを引っ捕まえた。
「きゃっ!? な、なに――!?」
アレンが店内に引きずり込んできたのは、気配遮断を完璧に破られて目を白黒させている、甲冑姿の美しい女聖騎士だった。王子を守るべく、神聖騎士団から極秘で護衛に張り付いていた精鋭だ。
「あっ、君は確か……父上の警護を務めている聖騎士の……!」
「で、殿下!? なぜこのような場所でエプロンを――いや、それより私を離し……!」
身を捩る女聖騎士を無造作に解放すると、アレンはカウンターを指さして、ごく当然のような顔で言い放った。
「よし、君は今日から『副店長』をやりたまえ。で、王子は今日から『店長』に任命する」
「「……はい!?」」
突拍子もないアレンの戯言に、王子と女聖騎士のハモった声が店内に響き渡った。
「な、何を言っているのですかあなた様は! 私は第一王子殿下の護衛として――」
「店長が急な発作を起こしそうになった時のバックアップ補佐と、防衛担当が必要だろ。一人で店番をさせるより効率がいい。文句があるなら外で見張ってないで他所でやれ」
「ッ……!? 護衛の気配に気づいていたというのですか……!?」
アレンの身も蓋もない正論(?)と圧倒的な気配察知能力に、女聖騎士は絶句した。
「ほら店長、副店長に商品の配置を教えろ。俺は奥で本でも読んでる」
「あ、はい! 副店長、こちらの棚が鎮咳薬で……」
「で、殿下!? 私をそんな役職で呼ばないでください! そもそも殿下が店長というのも……ううっ、どうすれば……!」
それから数日。バルツァー・ラボ4号店には、異様なまでに平和で、かつ周囲にとっては生きた心地のしない光景が広がっていた。
「い、いらっしゃいませ……! こちらは喉の熱感を抑える薬湯になります!」
「店長、声が固いです! 肩の力を抜いてください! ……あ、お客様、こちらはおつりになります……」
「副店長、おつりの渡し方がすごくサマになってきたな」
「褒めないでくださいアレン様! 私の本職は聖騎士です!!」
最初は震えていた王子だったが、アレンの冷ややかだが確かな助言と、無理やり副店長に据えられた女聖騎士の健気なサポート、そして事前服用した【竜骨・牡蠣】ベースの重鎮薬の効果もあり、驚くほどの速度で接客をこなせるようになっていった。
すっかり打ち解け、楽しそうに店を切り盛りする三人だったが――店を遠巻きに見守る「外の人間たち」の苦悩は限界に達していた。
(……な、なぁ、報告書になんと書けばいい……?)
さらに遠くの建物の影から見張り続けていた神聖騎士団長は、顔色を蒼白にして暗部頭に詰め寄っていた。
(第一王子殿下が『店長』になり、我が部隊の精鋭女騎士が『副店長』に任命され、二人で仲良く薬を売っているなどと……法皇殿下に報告できるわけがないだろうが!!)
(落ち着け! あのお方は法皇殿下の不治の病を一瞬で癒やし、国宝の不備を直された絶対者……もはや『理と秩序の神』ご本人だ! 神が下された任命に我が国が口を挟めるわけがなかろう!!)
(だが、神のご本人と王子殿下と女騎士が三人で和気藹々と茶を飲んでいるんだぞ!? 敬えばいいのか、店に踏み込んで連れ戻せばいいのか、本気で扱いがわからん……!!)
神の気まぐれとも思える『店舗経営』に巻き込まれた王子と女騎士、そしてそれを遠巻きに見守るしかない法皇庁幹部たち。
「アレンさん、なんだか遠くの建物から、騎士団長様たちが泣きそうな顔でこちらを見ている気がするのですが……」
「気のせいだろ。ほら店長、副店長、次の客だ。仕事しろ」
「「はいっ!」」
周囲の苦悩と混乱をどこ吹く風で受け流し、アレンは今日ものんびりとページをめくるのだった。




