第116章:法皇謁見と、二つの処方
神聖騎士団の物々しい護衛に囲まれ、アレンは聖都の最奥に聳え立つ法皇庁へと足を踏み入れていた。
大理石の回廊を抜けた先に広がるのは、白と金を基調とした荘厳な「謁見の間」だ。
普段は各国の使節や聖貴族たちが緊張で身を硬くする場だが、左右に並ぶ高官や最高参事会の面々は、皆押し黙ったままアレンへ強い畏怖の視線を注いでいた。
正面の玉座には、教義の頂点に立つ絶対的君主――法皇が鎮座している。
深々とした皺を刻んだ厳格な老貌だが、その瞳には聖女以来となる神託への混乱と敬虔さが入り混じっていた。
「……ようこそお越しくださった、神託を授かりし御方よ」
法皇は自ら玉座から立ち上がり、胸に手を当てて静かに頭を垂れた。周りの参事会メンバーからも息を呑む音が漏れる。
「我らは『理と秩序の神』の僕。数千年ぶりに降りたもうた尊き啓示の真意を、どうかその口から直接お聞かせいただきたい」
(重い……想像以上に教団トップの腰が低いな)
アレンは内心で溜め息をつきつつ、表情一つ変えずに言葉を紡いだ。ここでボロを出して怪しまれるより、都合よく「解釈のすり合わせ」を済ませてしまう方が賢明だ。
「神のお言葉はシンプルだった。『ここでの商売を認めよう』――ただそれだけだ」
「……ただそれだけ、でございますか」
「ああ。この国は『秩序』を重んじるあまり、閉鎖的で停滞気味だ。神は適切な循環と、新たな素材や知見の流入による社会の活性化を求めている。俺が市場で素材を巡らせようとしたから、それに反応したのだろう」
調整役の視点での「停滞した循環の向上」をそれらしく言い換えただけだったが、法皇をはじめとする高官たちの顔色が一変した。
「おお……! なんという深遠なる御意思……!」
「『秩序』とは固執ではなく、正しき循環の先にある均衡! 我々の頑なな解釈を、神はお諌めになられたのだ……!」
勝手に高尚な教義の再解釈を始めた高官たちを横目に、アレンは本題へと話を進めた。
「そういうわけだから、俺は神の意を汲み、この聖都で希少な素材の調査と研究、そして調合を進めるつもりだ。だが、一般の市場だけでは確認できる素材に限界がある」
「……と、申しますと?」
「法皇庁が保管している最高ランクの魔導素材や薬草、あるいは古文書の保管庫への閲覧権限を要求したい。神託の目的を円滑に遂行するためにな」
アレンが淡々と告げると、法皇は迷うことなく深く頷いた。
「当然の要求にございます。神託の実行者たるあなた様に、我が国の知と資材を惜しむ理由などございません。即座に【特級閲覧許可証】を発行させましょう。法皇庁直轄の地下大保管庫を含め、あらゆる施設への立ち入りを認めます」
話がまとまりかけたその時だった。
「ゴホッ……! ゲホッ、ゲホッ……!」
法皇が突然胸を押さえ、顔を真っ赤にして激しくむせ返った。
(……気管支の強い炎症と熱症状か。放っておくと長引くやつだな)
アレンは軽い気持ちで、購入したばかりの『石膏』と、手持ちの『麻黄』『甘草』を取り出した。スキルで瞬時に抽出し、薬湯にして差し出す。
「これを飲め。気管支の熱を下げて咳を鎮める」
「む……か、感謝する……ゴホッ」
法皇が飲み干すと、数秒もしないうちに荒かった息遣いが落ち着き、激しい咳込みが綺麗に止まった。
「な……長年苦しんでいた喉の火が、一瞬で消えた……!?」
「気管支を広げつつ、鉱物の冷却効果で熱症状を物理的に抑え込んだだけだ。……ついでだ、その他に困ったことや不調はないか?」
法皇は呆然としながらも、切実な悩みを口にした。
「……実は、余の息子――第一王子についてなのだ。人前に出ると急激な冷や汗をかき、脈が異常に速くなり……酷いときにはそのまま全身を痙攣させて倒れてしまう。あらゆる治療薬も気休めにすらならず、途方に暮れていたのだ」
(人前に出ると激しい動悸、冷や汗、痙攣……パニック障害か。急性の病気というより、慢性的な自律神経の過敏反応と過負荷によるパンクだな)
アレンは一度深く思考を巡らせた後、再び『アイテムボックス』から素材を取り出した。
重鎮作用を持つ『竜骨』と『牡蠣』に、血流の逆上を戻す『桂皮』、身体と精神の緊張を緩める『芍薬』と『甘草』。それらを最適な比率で組み合わせ、スキルを用いて扱いやすい練り薬へと精製していく。
「……精神や自律神経の不調は、風邪のように一朝一夕で完全に消えるものではない。だが、過剰な神経の暴走を抑える手立てはある」
アレンは完成した小瓶を法皇へ差し出した。
「これは重厚な鉱物・化石成分で、浮ついた神経の興奮を物理的に押し鎮めるための薬だ。人前に出る前の予防や、冷や汗・動悸といった発作の兆候が出た瞬間に飲ませろ。過剰な神経の興奮を鎮め、パニックによる痙攣や転倒を防ぐ」
「おお……! これを飲ませれば……」
「勘違いするなよ。これで即座に元通り治るわけじゃない。まずはこれで大きな発作を防ぎ、『人前に出ても倒れない』という実績を重ねさせて恐怖心を和らげる。そうやって根気強く神経の過剰反応を慣らしていく必要がある」
根深い症状に対するアレンの理にかなった説明に、法皇は深い感銘を受けたように小瓶を両手で包み込み、重々しく頷いた。
「……なるほど。病そのものを一瞬で消すのではなく、恐怖を去らせ、心身を段階的に整えさせるのだな。至極納得がいった……心より感謝する、神託の使者殿」
「薬の指示さえ守ってくれればそれでいい。……特級許可証も受け取ったことだし、俺はこれで失礼する」
「あ、うむ……! 宮殿内に案内をつけさせよう!」
「いや、一人で構わない」




