第115章:前編 聖女以来の神託と、揺れる法皇庁
アレン本人は「その場の苦し紛れの言い訳」として適当に済ませたつもりだったが、この国において「神託(啓示)」という現象が持つ意味の重さを、完全に失念していた。
レムリア法皇国の数千年に及ぶ歴史において、神から直接のお告げが降りた記録など、建国期に現れた伝説の「聖女」ただ一人きり。教義と法で固められたこの絶対的宗教国家において、神託とは歴史を根底から覆すレベルの国家的大事件だったのである。
アレンが気楽に神殿を後にしていた頃、大神殿の内部は未曾有の大混乱に陥っていた。
「ま、間違いなく『理と秩序の神』の聖像が直々に黄金の光を放たれたのだ!」
「聖女様の時代以来、数千年間途絶えていた神託が、ついに……!」
神官たちは顔を蒼白にさせながらも、感涙を流して狂乱していた。
彼らにとって神の意思とは、法皇を通じて間接的に読み解くものであり、神が直接現世に干渉して言葉を授けるなど、神話の領域の話だったからだ。
その報告は、大神殿から神聖官僚機構を経由し、光の速さで国家の最高中枢へと駆け巡った。
聖都の最奥に聳え立つ白亜の宮殿――法皇庁。
普段は冷徹なまでの秩序と静寂が支配する最高参事会の会議室は、今や蜂の巣を突いたような騒ぎとなっていた。
「正気か!? 神託だと!?」
「聖像が輝き、見知らぬ青年に対して直接お告げを授けられたというのか!?」
集まった聖貴族や主席司祭たちが声を荒らげる中、壇上の玉座に鎮座する絶対的君主――法皇は、深く刻まれた眉間のシワをさらに寄せていた。
法皇国において、神の言葉は絶対不可侵の国家法である。
これまで法皇と最高参事会が「神の御意思の代行者」として独占してきた最高権限の頭越しに、神が市井の青年に直接「神託」を下したのだ。これが事実であれば、国家の統治機構そのものを揺るがす天地開闢の事態であった。
「……神託の内容は何と言っていたのだ」
法皇の低く厳かな問いかけに、報告に訪れた大神殿の長が全身を震わせながら平伏した。
「は、はい……! 『ここでの商売を認めよう』――すなわち、異国の新しき知識や物資を我が国に巡らせ、市場に新たなる秩序と繁栄をもたらすべし、との尊きお言葉でございます!」
「商売の承認……? 神が、経済の流通に対して直々にご執心されたというのか……?」
最高参事会の高官たちは困惑し、互いに顔を見合わせた。
『理と秩序の神』は厳格なる規律と平穏を司る神だ。その神が、わざわざ一人の青年に接触して「市場での商売」を命じるなど、従来の教義の解釈からは到底考えられない内容だった。
「その『神託を授かった青年』の身元は分かっているのか!?」
「それが……お告げを伝えた後、あまりにも淡々と神殿を去っていかれまして……。ただ、身なりは上質な旅装で、一切の邪気を感じさせぬ佇まいだったと……」
「すぐに全聖域の警備隊および神聖騎士団を動員しろ!」
法皇の厳命が会議室に響き渡る。
「その青年の身元を特定し、無礼のないよう至急こちらへお連れするのだ! 神の真意を確かめねばならん!」
国家の最高中枢が「聖女以来の神託」という天変地異に大揺れし、神聖騎士団が捜索網を広げ始めていることなど、当のアレンは知る由もなかった。
「……さすがは聖都の中央魔導市場だな。第一都市とは比べものにならないほど希少な触媒や鉱石が出回っている」
アレンは色とりどりの魔導具や素材が並ぶ露店を優雅に練り歩き、固有スキル『鑑定』のログを静かに走らせながら、マイペースに研究素材の品定めを楽しんでいた。




