117話:異郷のギルドと人間
門を抜けて中央区へと進むと、街の活気はさらに密度を増していた。
木造と石造りが入り交じる堅牢な建築が並ぶ大通りを抜け、番兵に教わった『ギルド』の看板を掲げる重々しい建物へと足を踏み入れる。
中を見渡すと、さまざまな体格や姿をした者たちがテーブルを囲み、酒を酌み交わしたり羊皮紙の依頼書を眺めたりしていた。一見すると人間のようにも見える者も多いが、よく見れば肌の質感、瞳の色彩、耳の形、あるいは背後に覗く尻尾など、どれも「人間っぽい何か」であり、純粋な人間ではない。
中にはごく自然に人間に近い容姿をした者も混ざっていたが、ここが異種の集う場所であることは明白だった。
アレンは視線を巡らせながら、中央に構えられた木製の受付カウンターへと向かった。
カウンターの向こうには、整った身なりをした丁寧な佇まいの受付嬢が待機している。
「すまない。登録前に確認してもいいか?」
アレンが声をかけると、受付嬢は耳をぴくりと揺らし、柔らかな笑みを浮かべて頷いた。
「はい、何でしょうか?」
「俺は人間で、航海の途中で遭難してこの大陸に流れ着いたんだが……人間の大陸で発行されたギルド証はここで使えるか?」
質問を受けた受付嬢は、一瞬だけ驚いたように目を見開いたものの、すぐに痛ましそうな、しかし親身な表情へと変えた。
「そうですか、大変でしたね……。ですが、申し訳ございません。当ギルドはシステム上、この大陸のみでの登録・運用となっておりますので、他大陸のギルド証をお使いいただくことはできません」
やはり、そう甘くはないか。アレンは小さく息を吐き、ずっと気になっていた質問を重ねた。
「そうか。……ちなみに、この街に他に人間はいるのか?」
「私は初めてお会いしましたが……」
受付嬢は首を少し傾げ、不思議そうにアレンの顔を見つめた。言葉の意味を考えれば、この街において人間という存在は極めて珍しい、あるいは皆無に近いということだ。
実績の証明となる他大陸のギルド証が使えないとなれば、一から立場を作り直すしかない。
アレンはかつて冒険者として駆け出しだった頃の苦労をふと思い出し、嫌な予感を抱きながら恐る恐る尋ねた。
「……ということは、俺の登録もやっぱり、一番下の最低ランクからの開始になるのか?」
【資格試験と城の公募】
「恐れ入りますが、規定により他大陸での実績をそのまま引き継ぐことはできませんので、原則としては最も低い『Fランク』からのご登録となります」
「やっぱりそうなるか……」
受付嬢の丁寧な回答に、アレンは頭を掻いた。どこに行っても最初から実績を作り直しになるのは、もはや彼の人生におけるお約束のようなものだった。
しかし、受付嬢は小さく微笑むと、手元の書類を繰りながら言葉を続けた。
「ですが、他国や遠方で実績をお持ちの方のために、実力を確認する特別試験制度がございます。試験に合格すれば、相応の初期ランクから始めていただくことも可能ですよ」
実力確認試験――その言葉を聞いた瞬間、アレンの頭に門で出会ったミノタウロスの番兵の言葉がよぎった。
『この領地を治めておられる伯爵様は、領内の整備や書物の整理なんかの雑務作業にも破格の報酬を出してくださる。ドジな執事や文官どもがしょっちゅう手違いで人手を募集してるからな』
一刻も早くこの土地の支配者である伯爵について知り、できれば直接接触する接点が欲しい。
アレンは受付嬢に向かって身を乗り出した。
「その試験、受けてみたいんだが……ちなみに今、伯爵様の館や城からの依頼はないか? 執事や文官の手伝いなど、人手を募集していると聞いてきたんだが」
「伯爵様からのご依頼ですか?」
受付嬢は少し驚いたように目を丸くしたが、すぐにカウンターの棚から厚みのある依頼一覧のファイルを取り出し、ページをめくった。
「ええと……あ、確かにございますね。現在、城の警備兵の追加募集が出ております。こちらはギルドを通じた公募となっておりまして……」
受付嬢は書類のひとつの項目を指で示しながら、アレンに説明を添えた。
「こちらの採用面接と実技試験を受けられて合格されましたら、特例として『Dランク』からの資格が得られるよう、ギルドから組合本部へ昇格申請を出すことができますよ」
「Dランクから、か……」
雑用からの下積み(Fランク)を飛ばして一気に中堅ランクの資格が得られる上、城の内部に警備兵として直接入り込めるという絶好の機会だった。
アレンは迷うことなく頷いた。
「よし、その試験と面接に応募させてくれ」
【面談と正直すぎる志望動機】
城の敷地内にある練兵場――そこが、城の警備兵採用試験の会場だった。
石畳の敷かれた広い模擬試験場には、重々しい甲冑や模擬剣が並び、ピンと張り詰めた緊張感が漂っている。アレンの目の前に座っているのは、この試験の責任者である厳格そうな初老の試験官だった。
椅子に深く腰掛け、鋭い眼光でアレンの姿を上から下へと改める試験官。
事前に提出された書類に目を通しながら、彼は重々しい声で問いかけてきた。
「まずは面談からだ。貴様、志望動機を言え。なぜ我がユーリ伯爵様の居城を守る警備兵に応募した?」
アレンは気負う様子もなく、実に平然とした態度で言い放った。
「あー、ギルドの昇格のためだ」
「あぁ……? なんだと……!?」
試験官の太い眉が、ピキリと不快そうに跳ね上がった。
城の警備兵といえば、領民からも尊敬される名誉ある職務だ。伯爵様への忠誠や、領地の治安維持への熱意を語るのが当然の場において、目の前の男は「ギルドのランク上げの踏み台」だと悪びれもせずに言い切ったのだ。試練場を包む雰囲気が一気に殺気立った。
試験官は苛立ちを隠そうともせず、卓を叩いて低く威嚇するように告げる。
「貴様、ここを何だと思っている! 警備兵の採用期間は1年ごとの更新だ。勤務態度や実力が要求水準に見合わない場合は、即座に更新させない決まりになっているんだぞ!」
忠誠心も自覚もない者に任せられる仕事ではない――そう怒りを露わにする試験官に対し、アレンは申し訳なさそうに、だが全く悪びれない様子で手をひらひらと振った。
「あぁ、すまない。2ヶ月程度の短期希望だ。というか、合格さえもらえればいい」
「……は!?」
「1年の更新どころか、なんなら合格の証明書さえもらえれば、実際の勤務は免除してもらえると一番助かるんだが」
試験官の顔が、怒りを通り越して唖然とした表情へと変わった。
城の採用面接の歴史において、ここまで堂々と「合格実績だけよこせ」と言い放った受検者など前代未聞だった。
試験官の額に青筋が浮かび上がり、静かな怒りを孕んだ声で低く唸った。
「……面白い。面接は不合格だ。……だが、その減らず口を叩けるだけの腕があるのかどうか、実技でたっぷり試してやろうではないか!」
試験官は立ち上がると、壁に立てかけられた重々しい大剣を引き抜き、凄まじい圧力を伴ってアレンに向き直った。
石畳の広がる練兵場には、どこかピリついた緊張感が漂っている。
それもそのはず、今日の採用試験にはたまたま現場監査のために通りかかった領主・ユーリ伯爵が、護衛を伴ってその様子を見守っていたからだ。
眼鏡の奥の知的で洗練された瞳でじっと試験場を見つめるユーリ。その周囲には文官や幹部たちが控え、受検者たちの動き一つひとつに厳しい視線を注いでいる。
「次! アレン!」
呼び出されたアレンは、手頃な木剣を手に取ると、練兵場の中央へと進み出た。対峙する試験官は、重厚な甲冑を纏った手練れの剣士だ。
アレンは木剣を滑らかに構え、まっすぐに相手の正面を狙う「突きの構え」をとった。隙のない静かな構えである。
「始めっ!」
合図とともに、試験官が動いた。相手は突進しながら片手をかざし、突風のような火魔法を放ってきた。激しい赤の炎がアレンの視界を瞬時に覆い隠し、目くらましと追撃を同時に仕掛けてくる。
だが、アレンにとってその一連の動作はあまりにも遅く、そして丸見えだった。
パッシブモジュール――【時間減速】
アレンの思考と視界の中で、世界が一瞬にして引き延ばされ、時間が超スローモーションへと切り替わる。爆ぜる炎の粒子が静止したかのように宙に漂う中、アレンは木剣の先で局所的な空間の位相をわずかに歪め、迫る炎の軌道をふわりと横へ滑らせた。
ゆっくりと進む時間の間、アレンは襲い掛かってくる試験官の剣筋を見切り、あえて紙一重――刃が一ミリかすめるかのような極限の余裕をもって、ぬるりと攻撃をかわしていく。
その最中、アレンの口元にふと下種な笑みが浮かんだ。
【時間減速】の世界で、アレンの視線は試験官の足元へと向けられる。激しく踏み込もうとする相手の足運びの軌道を完璧に読み切ると、アレンは己の足をそっと、相手の軸足が着地するはずの場所へと添えた。
――そして、時間の流れが元に戻る。
「――ぬおっ!?」
勢い余った試験官は、アレンの添えた足に見事につっかかり、盛大な音を立てて派手にすっころんだ。
土煙を上げて豪快に倒れ込んだ試験官は、顔を真っ赤にして立ち上がると、恥ずかしさと怒りが入り混じった表情でそのまま会場をあとにしていった。
静まり返る練兵場で、アレンは手にした木剣を肩に担ぎ、わざとらしく頭を掻いた。
「あ~あ……運よく勝っちまったな」
へらへらと笑いながら、運が良かっただけだとごまかそうとするアレン。
しかし――観覧席でその一部始終を見ていたユーリは、その場にカチンと固まっていた。
(……今のは、運などではない)
空間の僅かな歪みによる火魔法の逸らし。極限まで無駄を削ぎ落とした、紙一重の回避動作。そして攻撃をかわすと同時に、相手の死角から寸分の狂いもなく仕掛けられた足払い――。
すべてが完璧に計算された、恐ろしいまでの身こなし。
(あの男……何者だ……!?)
ユーリは知性と冷徹な観察眼を兼ね備えた悪魔四天王の一角。アレンの下手なハッタリやごまかしが通じるような、甘い相手では決してなかった。
アレンの底知れない実力を一瞬で見抜いたユーリの眼鏡の奥で、鋭い光が怪しく揺らめいていた。
【すれ違う裁定と、怒れる四天王】
「……は? 合格者の名簿に、あの男の名前がない……!?」
執務室に響き渡ったのは、普段の落ち着いたトーンからは想像もつかない、ユーリの鋭い声だった。
机の上に広げられた『警備兵採用試験・最終判定書』。
そこに並ぶ合格者たちの名前を、彼女は藍色のドレスの袖を揺らしながら、穴が開くほど凝視していた。
(そんなはずないわ! あの手練れぶり……実技試験の立ち回りだけで満点どころの騒ぎじゃないじゃない! 一体どういうことなの……!?)
ユーリは不満を露わにしながら、確認のために添えられていた不合格者理由一覧の書面に目を通した。
『受験者:アレン』
『実技評価:S(圧倒的な身のこなしと回避技術。合格基準を大幅に超過)』
『面談評価:D(不合格)』
『理由:志望動機が不鮮明。「遭難して生活費に困ったため」との発言あり。また、態度に緊張感が欠け、領主様や警備隊への忠誠心・情熱が感じられないため』
「……はあぁぁぁ……っ!?」
ユーリは頭を抱え、大きな溜息をついた。
(面談不合格……!? たかが面談ごときの理由で、あんな超規格外の人材を落としたっていうの!? 面接官は何を見ているのよ! 忠誠心なんて雇ってから育てればいいじゃない……っ!)
ユーリは激怒していた。
彼女はすでに、アレンを直属の『領主専属護衛兼、内政補佐員』として雇い入れ、あの異常な手練れぶりの正体をじっくり解明しながら、手元で存分に扱き使ってやる完璧な計画を立てていたのだ。
それなのに、生真面目すぎる面接官たちが「志望動機が不純」「やる気が見えない」などという形式ばった理由で跳ね返してしまった。
「……あり得ないわ。あり得なさすぎる……!」
ユーリはカツカツと優雅かつ激しい足取りで執務室の扉へと向かった。
「待っていなさいアレン……! 私が直接、その不合格を取り消してあげるんだから……! 採用面接官たちにも、しっかりとお説教をしてやらないと……きゃっ!?」
勢いよく扉を開けて飛び出そうとしたユーリだったが、怒りに夢中になるあまり、自身の執務机の脚に思いきり弁慶の泣き所をぶつけた。
「〜〜〜〜〜〜っっっ!!?? くっ……! ふ、風の悪霊が……足を引っ張ったのね……っ!」
涙目になりながらも、彼女はズレた眼鏡を『クイッ』と力強く押し直し、すまし顔を作って城の面接控え室へと突進していくのだった。
【ヴェストルムの金貨】
警備兵試験の会場を後にしたアレンは、その足で街の冒険者ギルドへと向かっていた。
落ちたこと自体に未練はない。ただ、当面の生活費はどうしても必要だ。
試験の最中、アレンはもっと手っ取り早く現金を調達する方法を思いついていた。
ギルドの重厚な扉を潜り、木製のカウンターへ歩み寄る。対応に当たったのは、丁寧な接客態度の受付嬢だった。
「いらっしゃいませ。本日はどのようなご用件でしょうか?」
「ああ、ちょっと聞きたいんだが……ここで『金』の換金はできるか? あと、手持ちに魔物の素材もあるんだが、それも買取可能か?」
アレンの問いかけに、受付嬢は手元の資料に目を落としながら、分かりやすく説明を始めた。
「金の換金ですね。はい、可能でございます。金はこの大陸におきましても非常に希少価値が高いため、純度と重量を測定した上で、グラム単価での買取を行っております」
一瞬期待を持たせた受付嬢だったが、続く魔物素材については申し訳なさそうに頭を下げた。
「ですが、魔物の素材に関しましては……お客様、別の大陸から来られたのですよね? 別の地域や異大陸の魔物となりますと、こちらの大陸に棲息する個体と種別や部位の構造が異なる可能性がございます。専門の鑑定士でも価値や危険性の判断が難しいため、素材の買取はお受けできません。申し訳ございません」
「そうか、素材はダメか……まあ仕方ないな」
素材が売れないのは残念だったが、金が買い取ってもらえるなら十分だ。アレンは懐に手を入れ、ずっしりと重みのある革袋を取り出した。
ジャラ……と重厚な金属音がカウンターの上に響く。
「じゃあ、これで頼む。ヴェストルム大陸の金貨100枚だ。純度を確認してくれ」
アレンが袋から取り出して並べたのは、見慣れない精密な刻印が施された、黄金色に輝く大ぶりの金貨だった。100枚の金貨がカウンターの上で美しい山を作り、独特の光沢を放つ。
「ヴェストルム大陸の……金貨、ですか!?」
受付嬢は目を丸くし、見たこともない刻印と、一目で上質と分かる金の輝きに息を呑んだ。
「少々お時間をいただきます! すぐに専属の鑑定士を呼び、純度と重量の計測を行わせますので、こちらでお待ちください……!」
受付嬢は慌ただしく奥の鑑定室へと走り込んで行った。
一方その頃、アレンが面接で落とされたことを知り、怒りに震えながら城を飛び出したユーリ伯爵が、このギルドを目指して凄まじい勢いで歩を進めているとは、アレンはまだ知る由もなかった。
「お待たせいたしました! 鑑定と計量が完了いたしました」
奥の鑑定室から戻ってきた受付嬢は、興奮を隠しきれない様子で一枚の査定書をカウンターに広げた。
「結果から申し上げますと……信じられないほど上質な金です! こちらの大陸金貨1枚とそのまま等価で換金可能でございます!」
(なるほど……金貨1枚で、俺の感覚だとだいたい日本円で100万円くらいの価値か。かなり助かるな)
アレンが心の中で納得していると、受付嬢は身を乗り出すようにしてアドバイスを続けた。
「持ち込まれたのは100枚ですから、大陸金貨100枚分の大金となります! ……ですがお客様、これほどの金貨を現物のまま持ち歩くのは大変危険です。ぜひ当ギルドへの保管をお勧めいたします!」
受付嬢はアレンのギルドカードを指差し、言葉を重ねる。
「預けていただければ、この魔大陸中にあるすべての『ギルドが存在する街や都市』で、ギルドカード一枚でいつでも自由に引き落としが可能となります。防犯のためにも、お預けになられるのが絶対に安全です!」
「なるほど、それは助かるな」
アレン自身は【アイテムボックス】を所持しているため、大金をそのまま持ち歩こうが盗まれる心配も不自由も一切ない。
だが、ここで全額を手元に置いて怪しまれたり、悪目立ちしたりするのも面倒だ。ギルドのシステムを利用する格好で、形式的に預けておくのが無難だろう。
「じゃあ、助言通りにするよ。100枚のうち80枚分をギルドに預けて、残りの20枚分を現金として受け取りたい」
「かしこまりました! 80枚分を口座にお納めし、残り20枚分を現金の金貨としてご用意いたしますね!」
受付嬢は嬉しそうに手際よく書類を作成し、アレンのギルドカードに80枚分の莫大な残高データを登録していくのだった。
アレンの内訳
ギルドに預けた分(80枚): 8,000万円相当
手元に現金で受け取った分(20枚): 2,000万円相当
80枚分の手続きが終わり、アレンが手元用の金貨20枚をまだカウンターから引き上げきっていない、まさにその時だった。
バンッ!! と、ギルドの重厚な扉が豪快に跳ね上がった。
「失礼するわよ……っ!」
優雅な藍色のドレスの裾を揺らし、眼鏡の奥の瞳を鋭く光らせて入ってきたのは、北方領主ユーリ伯爵だった。
突如現れた四天王の姿にギルド内が静まり返る中、彼女はすまし顔のまま(心持ち右足を庇うようなぎこちない歩調で)一直線にアレンのもとへ歩み寄ってきた。
「見つけたわ、アレン! まったく、あきれたわよ! 実技であれほど圧倒的な立ち回りを見せておきながら、面接で『志望動機が不純』だなんて理由で不合格にされるなんて……!」
ユーリは胸の前で腕を組み、いつもの上から目線で堂々と胸を張った。
「あの生真面目すぎる面接官たちの石頭には後でお説教をしてやるとして、あんな形式ばった判定は私が今ここで取り消してあげるわ! 感謝しなさい?」
「……取り消すって、俺は別に落ちたなら落ちたで構わんのだが」
「ダメよ! 辞退なんて認めないんだから!」
ユーリはタンッ! とカウンターに手を突き、不敵な笑みを浮かべた。
「あなたみたいな超規格外の人材を末端でくすぶらせておくのは勿体なさすぎるのよ。……フフン、どうせ遭難してきて『お金に困っている』んでしょう? だから――私の直属、『領主専属護衛兼、内政補佐員』として破格の好待遇で雇ってあげるわ! 一般警備兵の十倍……いいえ、十五倍の給与を出してあげるんだから!」
高飛車に言い放ち、勝ち誇った顔でアレンの反応を待つユーリ。
――だが、彼女の視線が、アレンの指先へとスッと落ちた。
アレンは受付から受け取ったばかりの、ずっしりと重い金貨20枚(2,000万円相当)をジャラリと手に取り、指先で弄んでいたのだ。さらにカウンターの奥には、たった今80枚分(8,000万円相当)の預金データが登録されたばかりのギルドカードが置かれている。
「……え?」
ユーリの顔から不敵な笑みが消えた。
眼鏡の奥の藍色の瞳が丸くなり、アレンの手元にある輝く金貨と、ギルドの書類に書かれた絶句するような桁の数字を交互に往復する。
「……っ!? な、なにそれ……? その金貨……それに、その口座残高の桁……っ!?」
彼女の肩が、ワナワナと激しく震え出した。
『お金に困っているだろうから好待遇で釣って雇ってやる』という完璧なスカウト計画が、目にも鮮やかな札束(金貨)の暴力によって一瞬で粉砕されたのだ。知的で完璧な彼女の顔が、驚愕と狼狽で真っ赤に染まっていく。
そんなユーリの狼狽ぶりを前に、アレンは手の中の金貨をジャラッと鳴らし、可笑しそうに口元を緩めた。
「ああ、これか? さっき換金が終わったところでね。どうやら俺、いま金持ちになったみたいだ」
不敵な笑みを浮かべたままプルプルと固まっている四天王を見上げ、アレンはひらひらと手を振ってみせた。
「なぁ、領主様。……飯、奢ろうか?」
「〜〜〜〜〜〜っっっ!!?? な、生意気言わないでちょうだい……っ!!」
マウントを取るはずが完全に立場を逆転され、ユーリは顔を真っ赤にしてズレた眼鏡を『クイッ』と猛烈な勢いで押し直すのだった。
【ギルド食堂】
ギルド併設の食堂は、これまでにない重苦しい静寂とピリついた空気に包まれていた。
魔王軍四天王の一角であり、この北方領の頂点に立つユーリ伯爵が、一人の新参者の向かいに座っているのだ。周りの冒険者や荒くれ者たちは、息を殺して様子を伺うことしかできない。
まさに、誰もが逃げ出したいような最高に迷惑な構図であった。
そんな緊張感など露知らず、アレンはテーブルに運ばれてきた分厚いステーキをナイフで切り分け、酒と一緒に悠々と堪能していた。
「なぁ、ユーリさぁ」
アレンはジョッキを傾け、タメ口で何気なく問いかけた。
「ここの魔物の定義ってなんなんだ。周りは魔物じゃないのか?」
「……アレン。私、怒るわよ?」
ユーリはぴくりと眉をひそめ、腕を組みながら鋭い視線で睨みつけてきた。
「その前に、様な!『様』をつけなさい! 私はこの領地の領主であり、四天王なのよ!?」
「はいはい、ユーリ様。で、魔物の件は?」
アレンの全く悪びれない態度に、ユーリは眉間を押さえて一筋の溜息をついたが、コホンと咳払いを一つして、領主らしい知的な表情を取り戻した。
「……いい? 魔物っていうのはね、『知性が無い種類』を言うのよ。ここ(食堂)にいる者たちは、姿形が違えどみんな知性があるでしょう?」
ユーリは周りの悪魔や亜人の客たちに目配せをし、さらに言葉を続ける。
「森とかに居る奴らは、言葉も話さない、会えば容赦なく襲い掛かってくる連中よ。そういう理性の無い危険な種族だけを、私たちは『魔物』と呼んで駆除の対象にしているの」
アレンは肉を一口噛み締めながら、なるほどと頷いた。
「へぇ、見た目じゃなくて『知性と意思疎通ができるかどうか』が境目ってわけか。分かりやすくて助かるよ」
「ふん、理解できたなら結構。……ところでアレン、話を逸らそうとしても駄目よ? あなたが私の直属になる件、ちゃんと受けるんでしょうね……?」
高級なステーキの香りに一瞬だけ目を引かれつつも、ユーリは眼鏡のブリッジをクイと押し上げ、再び鋭い視線をアレンへと向け直すのだった。
「え〜、今更給料が良いからって、俺は別に興味ないんだけどな」
アレンはジョッキに残った酒をくいっと煽りながら、心底面倒くさそうに呟いた。
「なっ……!?」
ユーリは誇り高い眉を釣り上げ、キーッと怒りを爆発させかけた……が、コホンと一つ咳払いをすると、眼鏡をくいっと押し上げて不敵な笑みを浮かべた。
「……いいわ。では、『客人』として城に招くというのはどうかしら?」
「客人?」
「そうよ。我が城の賓客として部屋を提供するわ。仕事の強制はしないけれど、気が向いた時に私の内政や相談を手伝ってくれればいい。これなら拘束もされないでしょう?」
アレンはステーキの最後のひと口を口に運びながら、少し考える素振りを見せた。
「まあ……自由が約束されるなら、宿代も浮くし良いかもな」
「決まりね! ……というかあなた、元々はどこに泊まるつもりだったの?」
ユーリが呆れ半分、好奇心半分といった様子で尋ねてくる。アレンは当然のように肩をすくめて答えた。
「ん? ギルドの掲示板で見た一番安い『安宿』だが……何か良いところでも知ってるのか?」
「……安宿?」
「ああ。言っておくが、銀貨1枚なんてのは安宿とは言わないからな! もっと手頃なところを探すつもりだったんだ」
「…………」
ユーリは開いた口が塞がらないといった様子で、アレンの顔をじーっと見つめた。
そして、額を押さえて深々と、本日一番の溜息をついた。
「……はぁぁぁ……。あなたねぇ……さっき金貨100枚(1億円相当)の換金を終えて、手元に金貨20枚(2,000万円相当)も持っているのよ? なのに銀貨1枚すら惜しんでドケチな生活をしようとしていたの……? お金持ってるくせに……」
「金はある時に残しておくもんだろ。無駄遣いは惨めさの元だ」
「限度というものがあるでしょうに……!」
金貨の山を抱えながら、極小の銅貨単位で宿代を渋ろうとしていたアレンの超・ドケチな金銭感覚に、四天王としての頭脳を誇るユーリも完全に呆れ果てるのだった。




