第97章:礼儀の計算、貴族たちの誤読
どれほど「無駄なノイズ」を嫌おうと、社会的な摩擦係数をゼロにするための最小限の処理は必要だった。
国境検問所の過剰な歓迎を馬車の中から放り捨てたアレンだったが、半日ほど馬車に揺られながら、ふと冷静な思考ロジックに立ち返る。
――あまりに無言でスルーし続けると、今後の魔導資料へのアクセス(知的好奇心の充足)において、無駄な物理的妨害(検問の遅延や官僚の愚行)という余計な処理コストが発生する。
アレンは羽ペンを走らせ、検問所の責任者を通じて帝国宰相宛ての短い書簡を作成した。
『国境での過剰な厚意は辞退する。ただし、挨拶の欠如が今後の情報流通に遅延を生じさせるのも非効率だ。貴国の最高機密資料へのアクセス権さえ担保されるなら、形式的な社交の場には最低限の工数を割こう。――アレン・ノア』
ただの「事務的な連絡事項」と「今後の効率化の打診」のつもりだった。
だが、その手紙を受け取った帝国宰相オクタヴィウスの執務室は、直後に凍りついた。
「な……っ!? これを読め……!」
宰相が震える手で差し出した書簡を、集まった重臣たちが回覧し、次々と息を呑む。
『厚意の辞退』とは、帝国の権威に対する毅然とした拒絶。
『情報の遅延を生じさせるのも非効率』とは、機嫌を損ねれば我が国の魔導インフラをいつでも麻痺させるという無言の脅し。
そして『形式的な社交には最低限の工数を割こう』とは、全人類の頂点に立つ者が、あえて我々下劣な者どもの遊戯に付き合ってやると慈悲を垂れたに等しい。
「恐ろしい……。彼は、我々が用意した国賓待遇を『子供の褒美』程度に切り捨て、真に要求するのは国家の根幹である『機密資料』のみ。しかも、それを正面から脅迫ではなく『システムの効率化』として淡々と突きつけてきている……!」
帝国の中枢は、完全に戦慄した。
規格外の力を持ちながら、政治的野心すら超越した「真の怪物」。彼を怒らせれば、アルカディア魔法帝国そのものが数秒でデリートされる――。重臣たちの間に、奇妙なまでの全会一致の恐怖と畏敬が走り抜けた。
結果。
アレンが何気なく書いた一通の「挨拶状」は、帝国の歴史上かつてないほど厳戒かつ狂気的な「最高機密・最上位貴族の歓待パーティ」を引き起こすことになった。
*
数日後。
帝都の中心にそびえ立つ白亜の宮殿。その大広間には、アルカディア魔法帝国の全3大公家、高位貴族、そして皇族の姿までがずらりと並んでいた。
会場に足を踏み入れたアレンは、そのあまりの「過剰な装飾と人の群れ」を見て、盛大に眉をひそめた。
「……なんだ、この無駄な熱エネルギーの集中は。冷房効率が最悪だな」
アレンの背後では、CEOから貸し出された特務秘書(あるいは随行員)が冷や汗を拭いながら追従している。
周囲の貴族たちは、アレンが一言呟くだけで「ひっ……!」と身を縮こまらせ、まるで神の前に引き出された罪人のように深々と頭を垂れた。誰もが、アレンの纏う「見えないプレッシャー(実際は単に人が多すぎて酸素濃度が低いことへの不満)」に気圧されている。
「アレン・ノア殿……! 本日は我が帝国の夜会へようこそお越しくださいました!」
帝国宰相オクタヴィウスが、顔を引きつらせながら最敬礼で歩み寄る。
アレンは面倒くさそうに息を吐き出すと、最低限の社交の計算(今後の資料閲覧のスムーズ化)に基づき、淡々と告げた。
「ああ。挨拶状の件、返答は受け取った。で、俺が要求した『帝国の魔導資料の全データ』のリストはどこだ? パーティの余興とかいう無駄なプログラムの前に、それを済ませたいんだが」
余興(帝国最高峰の音楽と舞踏)を「無駄なプログラム」と一刀両断するアレン。
しかし、オクタヴィウス宰相はその言葉を「貴族どもの下らない遊戯など眼中にない。
直ちに国家の核心を教えよという、比類なき知の求道者の証明」と勝手に脳内変換し、感動のあまり涙ぐみながら深く頭を垂れた。
「はっ……! すでに帝国中央書庫の全開放手続きを完了しております。この後、我が国の最高魔導師たちがアレン殿の『尋問(講義)』を受ける準備も……」
「……勝手に話をデカくするな。俺はただ、一人で静かに文献を読みたいだけだ」
アレンの冷ややかなツッコミも、帝国側には「恐るべき深謀遠慮」として響く。
盛大なパーティの裏で、帝国の中枢が勝手に震え上がり、アレンのペースへと完全に屈服していく――。
本人はただ「早く資料室に行きたい」としか考えていないが、帝国の運命は、この夜からアレンの「知的好奇心」の掌の上で転がされることになったのだった。




