第94章:導入部 同期エラー
その移動があまりにも広大な領域をまたぐものであったがゆえに、アレンが国境を越え、広大な領域にわたって移動した結果、その足跡や影響が天界の「東部管区」や「中央聖域管区」といったエルエルの管轄を離れ、他部署の監視領域へ音もなく波及してゆく。
魔法帝国への国境検問所。アレンが何気ない顔で帝国の領土へ足を踏み入れた。ただそれだけの事だ。
*** 一方天界では
その時天界では、エルエルの担当部署でけたたましいエラー音が響き渡る。
「ピィぃぃぃーピィぃぃぃーピィぃぃぃー」
「――っ、はあ!? なによこれ……!」
周囲を確認した瞬間、エルエルの顔から血の気が引いた。これまでアレンの規格外の行動を「観測誤差」としてゴミ箱へ放り込み、報告書を捏造し続けていた隠蔽工作が、意味をなさなくなった瞬間である。
アレンが帝国の広大な「中央聖域管区」へ入ったことで、異常な魔素を感知しログが強制的に本部メインサーバーへと同期されてしまった。
他の監視担当天使たちが、アレンという「システムのバグ」を真っ向から目視したことを意味する。
【ログの不整合】
他部署の天使たちは、すぐに異常を察知した。
「おい、見てくれ。東の端っこで、特定の座標だけ『重力も空間の距離も、計算式が完全に無視されている』ぞ」
「またどこかの異端者が、何日分もの移動距離をノータイムで踏み抜いたのか? すぐに本部へ異常報告を上げろ」
容赦なく弾き出される不審なデータ。それらは隠しきれず、天上の基幹サーバーへと次々に吸い上げられていく。
『エルエル、これはどういうこと? 東部管区からの転送ログ、異常値が酷すぎます。説明しなさい』
中央聖域管区の天使からの通信が、容赦なく脳内に直接割り込んでくる。
「せんぱ〜い! どうしましょう。私、隠蔽するの反対しましたからね」
と、早速罪のなすり付けが始まる。
「ル、ルカ! あなた裏切るつもり〜うぅぃぅぅ~。薄情!」
【エルエルのパニック】
自室の端末にしがみつき、画面に映し出された真っ赤なアラートの群れを前に、エルエルは冷や汗を滝のように流していた。
普段なら、都合の悪い観測データは自分一人で華麗に改ざんし、適当に圧縮して闇に葬ってきた。
そうやって自分のサボりや身勝手な振る舞いを隠し通し、平穏な日々を謳歌していたというのに――組織横断的な本格的な監査の網が、今まさに彼女の首元に迫っている。
「うそ……嘘でしょ!? なんで他の部署の監視網に引っかかってるのよ……!」
画面には、アレンが道中でボアの群れを空間操作で一掃した際の、生々しい演算履歴が赤く点滅していた。
「あー、もう! 黙りなさいよ! う、うるさい! ……はぁ。センサーの感度調整が少し調子悪いのかな〜。魔素濃度のせいで誤作動が起きただけよ。ピィ〜♪ピュピュ♫」
(吹けない口笛を吹く)
「すぐにログをアーカイブして整合性を取っておくわ。わざわざ本部を煩わせるようなことじゃないでしょ?」
エルエルは必死にキーボードを叩き、ログを圧縮し、不整合を「測定ミス」という体裁で強引に書き換えようとする。
『隠蔽は通用しません。すでに本部が異常を検知済みです。監査が入ります』
「はあ!? ちょっと待ちなさいよ! 誰が通報したのよこのチクリ魔! 私の有給が……私いままでの努力が〜、全部パーじゃないの!」
通信が一方的に遮断される。エルエルは、これまで積み上げてきたアレンの監視という名の「私的な遊び場」が、本部直々の監査によって一瞬で灰になったことを理解した。
彼女は帝国の街角で、これから始まる地獄の報告書作成と、最悪の場合の左遷を想像して頭を抱えた。
彼女の頭の中では、すでに「いかに自分の職務怠慢をルカのせいにするか」という、最低の言い訳リストが高速で構築されていた。
これまでのらりくらりと隠蔽し続けてきた不正処理(職務怠慢)が、ついに言い逃れのできないレベルでバレる瀬戸際に追い込まれる。
「アレン……お願いだから、頼むよ今は余計なバグ(問題)を起こさないで……!」
かつてないほど切実な、神(上司)にもすがる思いの祈りを捧げたところで、彼女は慌ててふためき地上へと降臨する。
眩い光の渦が収まり、地上に降り立ったそこには、冷や汗を拭う暇もなく頭を抱えて崩れ落ちるエルエルの姿があった。
目の前では、アレンが魔法帝国の地下魔力炉を見上げて、興味深そうに視界にウィンドウを浮かべている。
「――で、一体何の用だ? エルエル」
目の前には、まったく悪びれた様子もなく、むしろ「邪魔をしたな」と言わんばかりの呆れた面持ちを浮かべたアレンが立っている。
その周囲の空間には、いまだに常軌を逸した重力波の余韻と、歪んだ座標の歪みが微かに残っていた。
「何の用だじゃないわよ! あんたねえ、どれだけ派手にやってくれたの!?」
エルエルはガタガタと震える手で宙に展開したホログラムの警告画面をアレンに突きつける。
「東部管区も中央聖域も、今や私の管理画面は真っ赤なアラートの嵐よ! 隠し通すためにこっちがどれだけの胃痛と労力を……って、ちょっと聞いてるの!?」
「勝手に監視網を張っているお前が悪い。俺はただ、目的地へ最短ルートで歩いていたまでだ」
「最短ルートっていうか、お前が踏み抜いたの『空間の物理法則そのもの』だからね!? 普通の人間があんな真似したら、存在ごと宇宙のゴミ箱行きよ!」
ピリピリと張り詰めた空気の中、天上の監査官たちが迫る足音が背後へと近づいてくる。
逃げ場を失えた二人を包み込むように、容赦のない強制召喚の光が再び足元から立ち上るのだった。




