112話:帰省と勘違いと賑やかな食卓
ひとつの学期が過ぎ、季節が巡って進級の時期——ミルフィたちが二年生になる頃。
学園では新入生を迎える準備期間に入り、生徒たちはひとときの長期休暇を迎えていた。
ミルフィは久しぶりにルードヴィヒ伯爵領の実家へと帰省することを決める。
そしてアレンもまた、「たまには実家に顔を出してきます」と言って、自分の実家へと帰ることになった。
休学や修羅場を経て、平屋での半同居のような賑やかな日々を過ごしてきたミルフィにとって、アレンと離れて過ごす休日はどこか寂しく、拍子抜けするものだった。
(……あいつがいないと、なんだか静かすぎるわね)
実家に戻ったミルフィは、自分の部屋の窓からふと隣の敷地を見下ろした。
そこには、アレンが建てたあの小さな平屋が、主を留守にして静かに佇んでいる。
(……っていうか、あいつの『実家』ってどこなのよ!?)
ミルフィは、自分の疑問にハッと首を傾げた。
考えてみれば、国家を裏で動かすような規格外の存在であり、ゼノリス王国の第一魔法学園を飛び出してきたアレンである。
彼の言う「実家」とは一体どこなのか。ゼノリスのどこかなのか、あるいは人里離れた隠れ里のような場所なのか——よく考えたら何一つ聞いたことがなかったのだ。
「あいつのことだから、また『実家に帰る』とか言いながら、どこか山奥でキャンプでもしてるんじゃないでしょうね……?」
窓枠に肘をつき、隣の静かな平屋を見つめながら、ミルフィは呆れ半分、心配半分のため息をつく。
アレンのいないルードヴィヒ伯爵領の風は、少しだけ寂しく、そしてどこか物足りなく感じられるのだった。
◇
ルードヴィヒ伯爵邸のダイニングルーム。
暖炉の火が温かく室内を照らす中、テーブルに着いたミルフィは、自分の目の前にある光景に息を飲んだ。
「……っ!?」
当主である父と母、そして兄のヴァルターが笑顔で囲む食卓。
そのヴァルターの隣、以前と全く変わらない「当然」といった顔で、優雅にカトラリーを動かしている青年がいた。
——アレンである。
「ア……アレンーーーーッ!!???」
静かなダイニングに、ミルフィの金切り声が響き渡った。
「な、なんで!? なんであなたがうちにいるのよ!? 『実家に帰る』って言ってなかったの!? ここ、うちの実家だからね!?」
ミルフィが立ち上がりかけて椅子をガタガタと鳴らすと、父であるルードヴィヒ伯爵が「これ、ミルフィ!」と厳しく娘を制した。
「相変わらず失礼な口振りを! アレン殿の実家といえば、もはや我がルードヴィヒ伯爵領の隣のあの平屋に他ならないではないか!」
「そうですとも」と兄のヴァルターも真顔で頷く。
「アレン殿が『久しぶりに実家に帰る』とおっしゃったのだから、我が領地の自邸に戻られるのはごく当然のこと。そして帰省された以上、我が家の食卓をお囲みいただくのも当たり前の道理です」
「ええ、本当に……夫婦揃っての帰省、心から歓迎いたしますわ」
母までもが心底嬉しそうに微笑み、温かい眼差しをミルフィとアレンの二人へと注いだ。
「ぶっっっ!?」
「ふ……ふーふ……っ!?」
母の口から飛び出した衝撃のワードに、ミルフィは盛大に咽び、顔を限界突破して真っ赤に沸騰させた。
「ち、違……っ! お母様、夫婦って何!? 何を言ってるのよーっ! 私たち、まだそんな関係じゃ——っ!」
必死に手を振って否定しようとするミルフィの横で、当のアレンは何食わぬ顔でスープを上品に口へ運び、拭紙で軽く口元を拭った。
「ええ、学園の近くの平屋でも一緒に暮らしていますし、実家に帰るタイミングも一緒でしたからね。伯爵夫人がそう思われるのも無理はありません」
「あ・な・た・が・そ・う・や・っ・て・紛・ら・わ・し・い・言・い・方・す・る・か・ら・で・しょーーーーーっ!!」
「これミルフィ! アレン殿のお言葉を遮るのではない!」
「そうですとも、アレン殿の気さくなご配慮に感謝しなさい」
家族全員から「何を一人で騒いでいるんだ」と言わんばかりの温かい(そして完全にアレン側の)視線を浴びせられ、ミルフィはがくりとテーブルに膝をついた。
(……ダメだわ。うちの家族、完全にアレンを『婿』か何かとしてカウントしてる……っ!)
そんなミルフィの絶望をよそに、ルードヴィヒ伯爵は満足そうにワイングラスを掲げた。
「さあアレン殿、本日は夫婦そろっての素晴らしい帰省を祝して、特製の肉料理と『ルードヴィヒ・ヴィンテージ』で乾杯と行きましょうぞ!」
「ありがたくいただきます、伯爵閣下」
静かに微笑むアレンと、歓待する家族たち。
ミルフィの甘苦い悲鳴を飲み込みながら、ルードヴィヒ邸の賑やかで、どこかすれ違ったままの夕食会は更けていくのだった。
【ワインの副産物と伝説の創業者】
8月下旬。風にほんのりと秋の気配が混じり始める頃、ルードヴィヒ伯爵領の葡萄園は一面の収穫期を迎えていた。
アレンの平屋の居間には、何やら異様なほどの圧迫感と重々しい空気が漂っている。
集められたのは、アレンの気軽な招集により集められた『バルツァ・ラボ』のコアメンバーたちであった。
普段であれば厳重な警戒のもとでしか動かないはずの支店長や支部長たちが、まるで「ちょっと近所の茶会に呼ばれた」かのような軽いノリで、ルードヴィヒ伯爵領のアレンの平屋に集結していたのだ。
そこへ、アレンから「緊急の協議がある」と聞きつけたルードヴィヒ伯爵と領内の重役たちが、固い表情で息を切らせて駆け込んでくる。
「ア、アレン殿! 急な呼び出しですが、もしやワインの出来や葡萄の収穫に何か深刻な問題でも……!?」
伯爵が身を乗り出して尋ねると、アレンは手元の資料をテーブルの中央にスッと差し出した。
「いいえ。今年の葡萄は収穫制限と枝の剪定が功を奏し、最高品質の出来です。ワイン醸造への回送も予定通り行います」
「では、一体どのような……? そちらの方々は……?」
重役たちが、見たこともない鋭い眼光と知性を漂わせる者たちを恐る恐る見つめる中、アレンは手元のティーカップを静かに置くと、どこか淡々とした口調で告げた。もはや自身の規格外な技術や、影で動かしている組織の存在を隠す気など毛頭なかった。
「収穫に際して生じる搾りかす——特に『葡萄の種』と『果皮』の回収ラインを至急確保してください。これらを破棄せず抽出・精製し、コスメ(高級美容料)事業に参入します」
「「……こ、こすめ……?(化粧料??)」」
会議室にいた伯爵と重役たちがポカンと首を傾げた。
「アレン殿、化粧料とおっしゃいますと……あの貴婦人方が肌に塗る粉や油の類でしょうか? 我らはワインの醸造で手一杯でして、そのような分野の知識やラインは……」
「問題ありません。バルツァ・ラボの第二研究班がすでに抽出・精製のプラント設計を完了させています」
アレンが軽く顎でしゃくると、召集された面々が、待ってましたと言わんばかりに一斉に分厚い羊皮紙の設計図と試算表をテーブルの上に展開した。
「葡萄の種子から圧搾して得られる『グレープシードオイル』は抗酸化作用が高く、肌への馴染みが非常に良い。さらに果皮から抽出したポリフェノール成分を配合すれば、保湿とアンチエイジング効果を備えた極上の美容液が作れます」
アレンは淀みなく、専門用語混じりの解説を淡々と続けていく。
「工程はこの通りです。搾りかすの回収は明日から、抽出用魔導設備のライン構築は今週中に完了させます。ラボのメンバーが現地監督に入りますので、重役の皆さんには人員の配備と、王都の高級貴族層への流通ルート確保、および容器のデザイン選定を指示します」
息を呑む重役たち。専門家が何年もかけて研究するような事業計画と、見たこともない高度な魔導設備図が、アレンの軽い一言で集まった精鋭たちの手によって完璧に用意されていたのだ。
「アレン殿の手腕と、この謎の精鋭集団……もはや一領地の規模を超えておりますぞ……!」
感服したように叫ぶ重役に対し、アレンは何でもないことのようにあっさりと補足した。
「あ、いえ、彼らはバルツァ・ラボの重役たちですよ」
「「「ば、バルツァ・ラボーーーーーッ!!???」」」
その名を聞いた瞬間、ルードヴィヒ伯爵をはじめ領の重役全員の顔から一瞬で血の気が引いた。
バルツァ・ラボ——それは国家レベルの秘密研究機関であり、王国の最先端技術や魔導開発を裏で一手に担うと噂される超国家規模の組織である。政財界のトップでさえ滅多に接触できないはずの雲の上の存在だ。
「な、なぜそのような超大型組織の重役の方々が、こんな田舎領地の小さな平屋に勢揃いしていらっしゃるのですかーーーッ!?」
伯爵が泡を吹かんばかりに叫ぶと、アレンはハーブティーのカップを傾けながら、まるで「今日の天気は良いですね」と言わんばかりのトーンで付け加えた。
「まあ、いちおう創業者で筆頭株主ですからね」
一瞬の静寂。
「「「そ、創業者で筆頭株主ーーーーーーッ!!???」」」
部屋中に響き渡る、ルードヴィヒ伯爵と重役たちの絶叫。
「な、感じですってええええッ!? バルツァ・ラボといえば、王国のあらゆる魔導技術と産業を陰から牛耳るあの伝説の機関……! それを作ったのが、アレン殿とおっしゃるのですかーーーッ!?」
「ええ。趣味の延長でいくつか特許を取って出資していたら、いつの間にかこんな組織になっていまして。今の経営は彼らに任せていますけれど」
「趣味の延長で国を動かす組織を作る人がいますかーーーーーッ!!」
伯爵は胸を押さえて倒れそうになり、重役たちは開いた口が塞がらないまま、ガクガクと膝を震わせている。当のラボの支部長たちは「創業者様のおっしゃる通りです」と誇らしげに深く頷いていた。
ドアの隙間からそのやり取りを見ていたミルフィは、ついに頭を抱えてしゃがみ込んだ。
「……創業者で筆頭株主って……もう隠す気ゼロどころか、一番でかい爆弾をあっさり投下したわねあいつ……!」
「何か問題でもありましたか、ミルフィさん?」
「大アリよーーーーーッ!!」
ミルフィは立ち上がるや否や、アレンの目の前まで突進してテーブルをバンと叩いた。
「『ちょっと実家に帰って静かに過ごす』んじゃなかったの!? なんで自分の実家(平屋)で世界規模の機関の筆頭株主だってカミングアウトして、うちの重役たちを泡吹かせてるのよ!!」
「まあまあ。おかげで話が早くなりましたし、葡萄の抽出ラインも最短で組めますよ」
全く悪びれる様子もなく、むしろ効率が上がったと満足そうに微笑むアレン。
「大丈夫です。約束通り、筆頭株主の権限で試作品の第一号はミルフィさんに一番に届けさせますから」
「……っ! だ、だから、そうやってサラッと特別扱いして誤魔化そうとしないのーーーーっ!!」
もはや自分の規格外な立場すら堂々と開示し始めたアレンと、心臓が持ちそうにないルードヴィヒ領の重役たち。ミルフィの叫び声が響き渡る中、平屋での賑やかすぎる新事業会議は続いていくのだった。




