105 目標にしてはいけない人
下級デモンを1体だけ残し、11番がこちらを振り返る。
「キャット、研修に使いますか?」
「うん、使わせてもらう」
ありがとうと頷くと、11番と23番はサッと後ろに下がった。私はゼロを促して、少しだけデモンに近付く。
「ゼロ、この辺で止まって。…で、ちょっとだけ仮面を外してみてくれる?」
「えっ」
狩人の仮面とマントはセットで着用することによって、『デモンから発せられる『声』を遮断する』『デモンが狩人の存在に気付かないよう気配を隠蔽する』という二つの効果を発揮する。
どちらの効果も完璧なものではなく、特に上級デモンはこちらが高位の魔法を使おうとすると魔法自体の気配を感知して襲い掛かって来るが──仮面とマントは、狩人にとっての生命線と言ってもいい。
その仮面を外すと、どうなるか。
「完全に顔が見えるようにはしなくていいから。仮面が顔に密着していなければ、デモンの『声』が聞こえるはず。聞こえなかったら、少しずつ近付いてみて」
11番が言った「研修」が、これだ。
デモンが発する負の感情、声なき声を聞く。自分の身で体験してみることで、デモンという存在の脅威を実感する。
当然ながらリスクは高い。過去にはこの研修で上級デモンの『声』を浴びた上にそのまま襲われ、引退を余儀なくされた新人もいたらしい。だから今は、下級デモン1体のみを使うと決められている。
ちなみに私も6年前にやったが、声を認識した瞬間に逆ギレして3式魔法をぶっ放して下級デモンを葬り、「そこまでやれとは言ってない」と指導担当のウルフに怒られた。
その時の『声』はパワハラクソ上司っぽい暴言だったので仕方ないと今でも思っている。
「…」
デモンを見詰めたまま、ゼロがゆっくり仮面に手をかけ、少しだけ浮かせるようにずらす。小さく首を傾げて1歩、2歩と進み、3歩目でゼロの肩がびくっと跳ねた。何かが聞こえたのだろう。
「ゼロ、仮面つけ直して」
「っ!」
その手が小刻みに震え始めたのを見て肩を叩き、鋭く指示を出す。ゼロは弾かれたように仮面を自分の顔に押し付け、ほっと息をついた。
「聞こえた?」
「…はい。これは…あまり気持ちのいいものではないですね」
「それだけ認識できれば十分だよ」
ゼロを促してデモンから離れ、フォローを入れつつ、私は小さく眉を寄せる。
下級デモンの『声』に反応する距離が、思ったより遠い。人によっては触れるかどうかという距離でなければ聞こえないのに、ゼロは3メートル近く離れた所で反応していた。
もしかしたらゼロは、デモンに対する感受性がかなり高いのかも知れない。
「──11番、23番、ありがとう。もういいよ」
「承知しました」
ゼロの素顔を見ないようにと背を向けてくれていた2人が振り向き、11番が素早く3式魔法を展開して、下級デモンを葬る。
これで今日の教育予定は全てこなした。後は室内に戻って復習を──と視線を巡らせたところで、不意に背中がヒヤリとする。
オウルからの通信は、その直後だった。
《オウルから各位! 上級デモン出現の兆候を確認! ゼロ、11番、23番は距離を取れ!》
「ゼロ、2人のところまで下がって! 11番、23番、ゼロをお願い!」
「承知しました。ゼロ、こちらへ!」
「は、はい!」
ゼロが11番たちの方へ駆け出す。それを見届け、私は黒塊を振り返った。
一抱えほどの大きさの黒塊が、わずかに歪んでいた。そして、その歪みが下部で極まり、分裂するように黒いものを生み出す。
べしゃりと地面に落ちたタール状の物体は、じりじりとこちらに向けて移動した後ゆっくりと膨れ上がり、辛うじて『人型』と言える形状を取った。
ゆらり、縦長の風船のような頭が揺れる。
《オウルよりキャットへ。上級確定だ。よろしく頼む》
「キャット、了解」
私は即座に魔法陣を展開した。
黒塊に近過ぎるから、万が一を考えて貫通系のファイア・ジャベリンは使わない方がいいだろう。こういう場合、使うのは──
「拡張、6連」
ウォン、と音を立てて、魔法陣が6個に増える。上級デモンが首をもたげ、ふらりとこちらに一歩踏み出す。
でも、遅い。
「5式6連、ヘルブラスト!」
魔法陣が転移し、上級デモンを全方向から取り囲む。前後左右はおろか上下まで囲まれ、一瞬、デモンが動揺したように見えた。
次の瞬間、
カッ!
6つの魔法陣が紅蓮の光を放ち、デモンが炎に包まれた。
赤、紫、青、そして白──炎はみるみるうちに色を変え、魔法陣と共に消えた時には、デモンも跡形もなく消えていた。
ペンダントからオウルの声がする。
《状況終了。──やりすぎだ》
「周囲に被害が及ばないように配慮したのに」
何故文句を言われなければいけないのか。私は不満を口にしつつ、ゼロたちの方を振り返り──気付いた。
「ゼ、ゼロ、大丈夫か…?」
「……」
11番の声掛けに、反応がない。
ゼロはその場に、呆然と立ち尽くしていた。
「──意味が分からないわ!」
その後ゼロを連れて何とか会議室に戻り、扉を閉めた途端、ゼロが叫んで頭を抱えた。
「何あれ! 5式ってこう…もっと発動に時間がかかるものなんじゃないの!? しかも6個同時発動って何!? ハンコ押すみたいにぽんぽん増えて!!」
「ああうん、あれ『スタンプ方式』って呼んでる」
「誰が上手いこと言えと…!」
動揺のあまりか、素の口調に戻っている。
呻くゼロに、オウルが溜息をついた。
「落ち着け。キャットの非常識っぷりは、今に始まったことじゃない」
ゼロがあまりにも呆然自失状態だったため、哨戒部隊の7番が気を遣ってオウルをこちらに寄越してくれた。それはありがたいのだが、
「失礼な」
「事実だろ」
「それはそう」
などと私とオウルがじゃれ合っているうちに、ゼロはようやく落ち着いたようだった。疲れた様子で椅子に座り、テーブルに肘をついてがっくりと俯く。
「…6式魔法が使える程度じゃ全然足りないじゃないの…速さも、的確さも」
「そこは慣れだと思うよ」
場数をこなせば度胸もつくし、魔法陣の展開速度も上がる。そもそも実戦という点でゼロは完全に初心者なのだから、ベテランと比較するのは無意味だ。
「慣れ…」
ゼロが絶望的な声音で呟く。
対面に座ったオウルが腕組みした。
「一応言っておくが、慣れたからといってコイツと同じ水準になれるとは思わない方がいい。ウルフを目標にした方が現実的だ」
「現実的?」
「…そう…そうよね…」
「それで納得すんの!?」
突っ込んだら、だっておかしいもの、と至極真面目な声で言われた。
「ウルフは家柄が家柄だし、まだ分かるわよ? 魔法陣の展開もすごく速いけど、方法自体は基本と同じだし。でもキャットは何か…根本的におかしいの。みんなが徒歩で移動してる横を馬で駆け抜けてく感じ」
どういう状況だ。いや、言わんとするところは何となく分かるが。
魔法の師であるウルフにも、「お前の魔法はそもそもの発想が違う」と言われている。導き出される結果──発動する魔法は同じでも、その過程が普通と全く異なるから、他人には再現不可能だと。
ちなみに、秋に魔力が急増して制御能力も上がった結果、魔法の発動速度はかなり上がった。
今では2式・3式魔法は魔法陣の展開なし、無音で即座に発動可能。4式は魔法陣が必要だがほぼ即時発動。5式・6式も、魔法陣の展開から発動までの時間が以前の半分以下になっている。
半年前の私に見せたら、「それどこの化け物?」と言われるであろう水準である。
私はそっと目を逸らし、無理矢理話題を変えた。
「ま、まあほら、とにかく…実地研修初日に上級デモンまで見学できたのは運がよかったね」
「…よかったのかしら、それ」
ゼロが死んだ魚のような目になっている気がするが。
「一通り見学してから討伐の実習に入った方がいいと思うよ。特にゼロは上級デモンに対処できる人員として狩人になったわけだし」
初見でいきなり「倒せ」はハードルが高いだろう。上級デモンはそれほど出現率が高くないから、見学の段階で遭遇できたのは運がよかった、はずだ。多分。
「…上級デモンに対処…」
ゼロはぼそりと呟き、顔を上げた。
「そういえば、上級のさらに上の──超級デモン、っていうのが出てきた場合はどうするの?」
デモンの等級は、基本的には上級・中級・下級の3種類。等級が上がれば上がるほど人間の形に近くなり、強力になり──低ランクの魔法が効かなくなる。
そして実は、上級のさらに上の等級も存在する。
超級──上級デモンを討伐できる5式の攻撃魔法が無効。場合によっては6式魔法でも討伐困難なデモンだ。
夏の領主館デモン侵入事件で私が最後に倒したデモンは、この超級に片足を突っ込んだ上級だったと推定されている。
超級は肉声を発したり空を飛んだりするらしいが、確かにあのデモンも「ケタ、ケタ、ケタ」と肉声らしき音を発していた。6式『コキュートス』で倒せたのは僥倖と言うより他ない。
ゼロの質問に、オウルが腕組みして答える。
「基本的には、『地縛の白鎖』を起動して動きを封じ、その間に6式魔法を叩き込む」
『地縛の白鎖』は黒の隔離地に設置されている特殊な魔法で、デモンだけを拘束する鎖を出現させ、デモンを足止めすることができる。
防音結界などの常設型の魔法装置に近く、有事には黒の隔離を囲う城壁の上から複数人で魔力を注ぎ、起動させる。6式魔法は発動までに時間がかかるのに加え、超級デモンは空を飛んだりする可能性もあるため、足止めが必須なのだ。
「6式が効かない場合は、7式しかないけど──」
私が補足すると、ゼロは盛大に首を傾げる。
「7式って、禁呪よね?」
「そうだな」
「…使える人、いるの?」
「…」
オウルが黙って私を見た。釣られてこちらを向いたゼロが、え? と呻く。
「…使えるの?」
「いや、実際に使ったことはないよ」
顔の前で手を振り、続ける。
「魔法陣の展開を途中まで試したことは、ある。…ただねえ…あれは、使わないに越したことはないかな」
「?」
「6式までと全然違うんだよ。大前提が」
私もついこの間までは知らなかった。
秋の事件の後、魔法を学び直している時に、ウルフ──ヴォルフガングが見せてくれた古い書物の中に、偶然7式について言及しているものがあったのだ。
その情報と、それまで得ていた知識を元に理論を組立て、魔法陣を設計し、オウル立ち合いの下こっそり試してみた。最初の最初、ごくごく一部だけ。
結果、なるほど確かにこれは禁呪だと納得したわけだが。
「まあ6式が効かないレベルの超級デモンなんて、国内全域でも十数年に一度出るか出ないかくらいの確率だし、そう心配することはないよ」
過去に溯っても、超級デモンの出現記録はそう多くない。7式魔法を使ったという記録も数えるほどだ。リスクに備えることは必要なので色々考えてはいるが、目の前のことを疎かにしてはいけない。
「ゼロはまず、安定して上級デモンを倒せるようになること。…どうも、他の人よりデモンの『声』に敏感みたいだからね。油断はしないように」
「はい」
ゼロはしっかりと頷いた。
素直でよろしい。
その後新人研修は順調に進み──真冬になる頃、研修を終えたメイローザは正式に狩人となり、『フォックス』の名がつけられた。
討伐部隊3人目の名持ちの狩人は、こうして誕生した。




