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第七話 ブラック王宮崩壊

第七話 ブラック王宮崩壊


 王宮中央棟第三文官室。


 そこは、もはや戦場だった。


「誰か第三帳簿室の書類を確認しろ!」

「無理です! 人が足りません!」

「税務局から催促が来ています!」

「だから今手が回らないと言っているだろう!」


 怒号が飛び交う。


 床には書類が散乱し、机の上には未処理案件が塔のように積み上がっていた。


 空気は最悪だ。


 インクと汗と疲労臭が混ざり、窓を開けても淀みが消えない。


 誰もまともに眠っていなかった。


 若い文官がふらつきながら歩き、別の文官は机へ突っ伏したまま動かない。


「……起きろ、おい」


 肩を揺すられても反応がない。


「医師を呼べ!」

「もう医務室も満床です!」


 悲鳴のような声。


 その時、文官室の扉が勢いよく開いた。


 全員がびくりと肩を震わせる。


 入ってきたのはアルバートだった。


 頬は痩け、目の下には濃い隈が浮かんでいる。以前は几帳面に整えられていた銀髪も、今は乱れていた。


「……静かにしろ」


 低い声。


 だが覇気がない。


 彼自身、三日まともに帰宅していなかった。


「アルバート様、もう限界です……」


 女性文官が涙声で訴える。


「未処理案件が千件を超えました」

「地方監査も止まっています」

「外交文書も山積みで……」


「わかっている」


 アルバートは頭を押さえた。


 理解している。


 理解しているのに、何一つ片づかない。


 以前は違った。


 問題が起きる前に修正されていた。


 書類不備は提出前に直され、対立貴族は事前に配置調整され、補給遅延も先回りして処理されていた。


 誰がやっていた?


 考えるまでもない。


 アルバートは乾いた笑みを漏らした。


「……王妃殿下は、本当に化け物だったな」


 誰も否定しなかった。


 その時。


 一人の中年文官が静かに立ち上がる。


「……私は辞職します」


 空気が止まった。


「なに?」


 アルバートが顔を上げる。


 男は疲れ切った顔で辞表を差し出した。


「もう無理です」

「妻にも、子供にも、一ヶ月会っていない」

「昨日、娘から“知らないおじさん”と言われました」


 掠れた笑い声。


 だが誰も笑えない。


「申し訳ありません。ですが、限界です」


 その言葉を皮切りに、空気が揺れた。


「……私も」

「俺も辞めたい」

「身体が動かないんです」

「もう無理だ……」


 次々上がる声。


 アルバートは絶句した。


 王宮文官は誇り高い職だ。


 その彼らが、崩れている。


 まるで堤防決壊だった。


 そしてその頃。


 国王執務室も地獄だった。


「次は西部貴族連盟との会談です!」

「北方騎士団から追加予算申請が!」

「東部税収報告に不備があります!」


 次々飛び込む報告。


 レナードは机へ肘をつき、荒く息を吐いた。


 眠れていない。


 いや、眠る時間がない。


 執務室には未処理書類が山積みになっていた。


 以前はこんなことはなかった。


 必要な書類は順番に整理され、優先順位まで記されていた。


 気づけば机には温かい茶が置かれ、会議の合間には短時間でも休息時間が確保されていた。


 全部。


 全部、アイリスだった。


「陛下、お顔色が……」


「問題ない」


 即答する。


 その言葉に、自分でぎくりとした。


 問題ない。


 それはいつも、アイリスが言っていた言葉だ。


 疲れていても。


 眠れていなくても。


 笑って。


『問題ありません』


 あれは、本当に問題なかったのだろうか。


 レナードの視界がぐらりと揺れる。


「陛下?」


 側近の声が遠い。


 頭痛が酷い。


 胸が苦しい。


 それでも立ち上がろうとした瞬間、膝から力が抜けた。


「……っ」


 床が近づく。


「陛下!?」


 誰かが叫ぶ。


 だがもう身体が動かなかった。


 遠くで慌てる声が聞こえる。


「医師を!」

「陛下が倒れられた!」


 視界が暗く沈む。


 最後に浮かんだのは、アイリスの顔だった。


 静かな瞳。


 淡々と仕事をこなす姿。


 そして。


 深夜の執務室。


 疲れ切った横顔。


 ――ああ。


 あの時。


 彼女は、こんなにも苦しかったのか。


 気づけば、寝台の上だった。


 鼻を刺す薬草の匂い。


 医務室だ。


「陛下、動かれませんよう」


 老医師が額へ冷布を乗せる。


「過労です」


「……情けない話だ」


「情けなくありません。むしろ今まで倒れなかった方がおかしい」


 レナードは目を閉じた。


 重い。


 身体が鉛のようだ。


 たった数週間でこれだ。


 ではアイリスは?


 何年も。


 何年も、これを続けていた。


 しかも彼女は、自分だけでなく周囲まで支えていたのだ。


 文官が潰れないよう調整し、騎士団が回るよう根回しし、そして。


 自分が壊れないように。


 会議の順番。


 休憩時間。


 食事。


 睡眠。


 全部。


 彼女は何も言わず整えていた。


「……私は」


 喉が震える。


「何をしていたんだ」


 答える者はいない。


 窓の外では、夜明け前の空が白み始めていた。


 王宮は静かだった。


 いや。


 静かすぎた。


 以前なら、この時間にはもう誰かが動いていた。


 廊下を歩く靴音。


 書類を整理する音。


 静かな指示。


 その中心には、いつもアイリスがいた。


 レナードはゆっくり拳を握る。


 胸が痛かった。


 初めて理解したのだ。


 彼女は王宮を支えていただけではない。


 自分を守っていた。


 王として壊れないよう、ずっと隣で支え続けていたのだ。


 なのに自分は。


 その手を、当然のように使い潰した。




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