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ACT1. ⑤ 羊水の上に眠る

大陸新(・)歴元年元日、朝。

人々は、たしかにそれ以前にも存在していた。なぜならそこには既に文明があり、生々しい昨日の痕跡が残っていたから。


しかし、その以前の記(・)憶(・)を持っているものは、いなかった。

今このとき、隣で眠る人のことも、目の前で泣く子どものことも、困惑する自分自身が一体誰なのかすら。


誰もが、なにも覚えていなかった。


そんな奇妙な空白に塗りつぶされた世界には、人智を超えた創造物がいくつか残されていた。

それは国同士を隔てる壁だったり、地上と空の島を繋ぐ架け橋だったり。

そこにあるのがさも当たり前のように存在していたそれは、後の世に『魔導技巧』と名付けられた。


理不尽に齎された空白を埋めるように、その世界には人あらざるモノたちが存在していた。

その中のひとつは、すべてを忘れてしまった人間たちに、人智を広げる術を授けた。

その恩恵は、瞬く間に人間社会の新たな常識へと変化していった。


後の世は、恩恵──『魔術』を人類に与えし彼を、こう名付けた。


『起源の魔術師︰パテラ・グース』と。




###




彼がこの世に生まれ落ちたとき、その産声を聞く者はいなかった。

彼は生まれながらに知っていた。人類に与えるための知恵を。そしていつの日か、地上の全てを無に帰すための知恵を。

……初めて覚醒してから、し(・)ば(・)ら(・)く(・)の間。

彼はどうしてか、その場から動くことさえできなかった。


彼の巣は、この世で一番高いところにあった。

飛ぶ鳥さえ近寄ろうとしないその場所は、終わりのない静けさで満ちていた。

揺れる繭に身を預け、水面に映る自分の顔ばかりを眺めていると、彼はどうにも頭がおかしくなりそうだった。

生まれたばかりだというのに、どうしてこんな苦痛を覚えることができるのか。

理解できなかった。


彼は己の巣から逃れるように、誰もいない塔を下っていった。

途中には、夥しい数の書物があった。開いてみると、内容はすべて知っていることばかり。つまりこれは、何も知らない人類のための贈り物なのだろう。

入り組んだ扉の先には、武器が隠されていた。魔術でことが済むというのに、どこに剣を振るう必要がある。きっとこれも、人類のためのもの。

無限に食べ物が湧く倉庫があった。この身体が飢えることはない。だからこれは、私のための物ではない。


窓の外を見ると、塔の周りに人間たちが集まっていた。

小さな身体を寄せあって、底知れぬ恐れと好奇心に満ちた眼差しを塔に注いでいた。なにか、口々に喚いているその様は、まるで、口を大きく開けて餌を求める雛鳥たちのよう。

ここから出れば早い。窓を割ろうとしたが、堅牢な素材でできているのか、ヒビすら入らなかった。


彼はやっとの思いで塔の最下層に辿り着くと、固く閉ざされていた扉の封印を解いた。


歯ぎしりのような音を立てて、門が開いていく。


扉の隙間からふいた風が、ワッと沸き立つような、人間たちの声を運んできた。その音に、心臓が熱く暴れ回るのを感じた。


この先、人間たちとともに歩んでいけば。

もしかしたら、なにかが変わるかもしれない。変われるかもしれない。

そんな期待に胸を踊らせて、彼は──







ガガガッがががっ

《起きたらどうや?寝坊助はん》


「……」



──嫌な夢を、見た。



魔法塔最上階。そこは数多の記憶が茂る聖処である。

その中央にぶら下がるのは、瑞々しい光沢を帯びた青白い繭。


縦横無尽に織られた絹糸の檻には、一匹の怪物が身を横たえていた。

一糸まとわぬ彼の、人をかたどった身体の一部は、白く柔らかそうな羽毛で覆われている。

その体躯は凡人と比べると一回り大きいものの、肉付きは薄く線が細い。

陶器のように白い背中を起点に彼の全身をすっぽりと包むのは、トープとブラウンのグラデーションが美しい巨大な翼だ。


清らかに脈動する繭に包まれた彼は、繰り返される騒音に嫌気が刺したのか、わずかに羽を縮めて身じろいで。

きっと、この揺り籠の下で、長い首を振り回しながらせかせか泳ぎ回っているであろう着信アラームの姿に思い馳せながら。


二度寝した。



「ぐぅ……」



ガガガッがががっ

《起きたらどうや!お間抜けはん》



「……ぷぅ……」



やかましいダミ声にも、男は鼻ちょうちんを膨らませるばかり。

スヤスヤ、今度こそ夢のない眠りを堪能しているのだろう。




ガガガッがががっ

《起きたらどうや♪童て──



──バリッ、と繭の底から突き出た手が、騒ぎ立てていた水鳥の嘴を鷲掴んだ。

そのままの勢いで水面から引っ張りあげられた鳥が、ぷゆぷゆと短い足をばたつかせる。

ンバリッッ、と同じく繭の底を突き破って現れたるは髪まで白い男の頭部。

ギロリと掴みあげた鳥を睨んだのは、まさしく沈魚落雁といった端正な顔立ちだった。

生白い額には、活きのいい青筋が浮き出ている。


「おはようレゾルト今回も素晴らしい目覚めをどうもありがとうところで今なんつった?」

《オハヨー!いまヨル!着信あるで!》


返事は泉の中から返ってきた。

男はぎょっと目を剥き、手の中で暴れる鳥と、ひょっこり水面から顔を出した鳥を交互に見やる。


「え、レゾルト二号機? いつの間に?

おまえ、無性生殖できたんか……。水臭いじゃん、あとでやり方教えて」

《ぷるるるっ。ガァーッ!》

《負け鳥!バカあほ!鳥アタマ!》


やかまし鳥たちはガァガァ口々に喚きながら、ぐるぐると追いかけっこを始めた。


男は二匹に「おまえら尾羽はねてんぞー」と教えてやってから、手顔を引っ込める。

まったく、あいつらときたら言いたい放題で失礼してしまう。

前回起こされたときは、こんなにひどくはなかったような。あれ、どうだろう。せいぜいウン十年前のことなのに、そういえばなにも覚えてない。

どうやら年単位の眠りはボケを加速させるらしい。男にとって、ここ最近で得られた唯一の学びであった。


男はようやく寝床から起き出して、この聖処においては床代わりである泉の水面に寝そべった。

何をするのかと思いきや、腕と足をピンと伸ばし、けたたましい水音を立てて全身で転がり始める。超高速で身体を回転させるその姿は、さながらガソスタの洗車機に繋がれた巨大ブラシのよう。

ギュルルルルッ、バシャシャシャシャシャッ。羽と水をまことやかましく撒き散らしながら、男は舞った。


全裸回転で聖処を一周し終え、びちょびちょのまま巣の中に戻る。

風を操り全身の水分を吹き飛ばすと、今度は幾重にも織り上げられた繭の壁から糸をひっぺ剥がし始めた。

見る角度によって異なる輝きを放つ絹糸をさっさと布に変え、身体に当てつつ後ろを縫い合わせるようにして服の形に仕立てる。

それから乾かしっぱなしのボサボサ頭を誤魔化すために、隅の方に床置きされていたどデカ帽子を装着。やたら贅を凝らしたそれは、たしかこの国の魔術師の正装だったはず。


最後に、ない威厳を誤魔化すためのモノクルを付ければ準備完了である。

一応、誰に見られても不快な思いはさせない装いになったのではないだろうか。

まあ、毎度の通信では下の階層に設置した身代わりくんの口を借りて喋るだけなので、そもそも誰に見られることもないのだが……



「──ッ」



瞬間、全身の毛がゾワリと逆立つ。

男は弾かれるように巣の中央までかけ戻ると、翼で伏せた身体を隠し、息を殺して周囲を見回した。

恐怖に煽られて羽がバサバサと波打ち、心臓が激しく脈打つ。


「……なに、


なになに、

なになになになになんなのこの気配、えっ見られてる?

見られてるよねこれ馬鹿バカばかここ何階だと思ってんのンなわけないじゃんてかこちとら長年ピエロやってるプロなんだけどなに勝手に見てんの金置いてけやあ゛ぁ?あ嘘ですやっぱワタシお代イラナイReallyほんまにどっか行ってください助けてニンゲン大好き!」



隠れたいのか威嚇したいのか喧嘩を売りたいのか命乞いをしたいのか、はっきりしない男である。

今なお続く嫌な気配に男がすっかり萎縮していると、繭の真下からしゃがれた怒号が響き渡った。



《《いい加減!着信!出なはれや!!》》

「ア゜ッ、ごめんすっかり忘れてた……え、出るの? この状況で? わたしが?


……なぜ??」


《《もうねえちゃんのこと、二時間も待たせてんねんぞ!!》》

「うォェぁぃあいやります、やりますから!

ぐぇぇっ、なんでこんなときに限って連絡してくんだよぉ……というか起こされてなかったらこんな怖いのにも気づかないで寝過ごせてたかもしれないのにぃぃぃぃ」



男は這う這うの体で繭から抜け出すと、輝かんばかりの美貌から涙と鼻水と愚痴を垂れ流しながら泉の上をピチョンぴちょんと歩き始めた。こころなしか両翼もしなびてみえる。

壁を埋める若葉枯葉をかき分けた先、聖処の奥には、無数の茨に巻き付かれたひときわ大きな金の蕾がある。

来訪者を感知したのか、自然と茨がほどけると、フリルが零れるように花が咲いた。

男は「ン゛ンっ」と喉の調子を整えると、折り目正しくその場で正座をする。

緊張した面持ちで花びらが六枚ともクシャミをしたのを見届けてから、茎の繋がる先に呼びかけた。


「──名乗れ」

『お初に拝聴の栄誉を賜ります、国家魔術師64代目統帥、レグルス・カプアシストにございます。

閣下の御手を煩わせますこと、平にご容赦のほどを。

このたびは十年後に控えております、建国1600年の記念式典につきまして──』



淡々とした報告を、背筋を伸ばして尤もらしく頷きながら聞く。

しかし、男の心は先ほどの不気味な現象に囚われていた。


どうやら視線は収まったようだが、あれは一体なんだったんだろうか。

生まれてこの方、あれほど奇妙な視線に晒されたことはない。まるで、こちらのことを見定めるのがさも当然かのような……。



──見定める?



男の瞳に浮かぶオレンジの円環がキュ、と広がる。

妙な痛みを感じて腿を見れば、震える拳が無意識のうちに羽の付け根をきつく掴んでいた。


この世界で、男の果たす役割は決まっている。役割に必要な能力を、生まれたその瞬間から与えられていた。

人類とは隔絶した造形、能力。それゆえに男は、常に彼らを見定める側に立ってきた。


そんな己を、見定める?


そんなこと、どれほどの才能に恵まれようと、この世界に生きる者ができていいことじゃない。


つまり。

今の視線は、世(・)界(・)の(・)外(・)側(・)から。

自分にこの役割を、罰(・)を与えたもうた、おおいなる『世界の意思』の。

『父上』のものでは、ないか──




いつの間にか、通信は切れていた。

きっと無意識の内に返事をしていたのだろう。ボロが出てはいなかっただろうか。

いや、そんなことより。


たった十数分の正座で痺れて動かなくなった足の代わりに、翼で泳ぐように宙を滑る。

繭の上で羽を休めた男は久方ぶりに顔を上げ、塔の外の視線の主を幻想した。


次は、いつ見ていただけるのだろうか。

さっきのでもかなりの無様を晒した自信はあるが、次こそは、もっともっとダメなところを見せつけて、そうしたら、そうしたら。

このお役目を降りさせてもらって。途中まではそこそこ頑張ったあなたには努力賞をあげま賞、とかそういう感じのノリで、……次は、人間にしてもらえたり、とか。



「……なーんて。そんな都合のいい話があるワケ




衝撃。


音はない、が、塔全体が揺れている。

その事実を認識するよりもはやく、塔全域に張り巡らせた据え置き型の記録術式が、中層以下のエリアが受けた大規模な損壊を脳内に流し込んでくる。



窓、窓窓、窓窓窓窓窓窓窓窓窓まどまどまどまどまどまどまどまどまどまどまどまど、


窓???



ポカンとアホ面を晒すこと二秒。

幾万の落雷の如き爆音が、最上階に襲来したと同時に。


目の前で、聖処の天井が消えた。キランと見えるはずのない星が光る。


──ア、


うわぉ、お部屋のかけ布団がー?吹っ飛んだ〜!なんて呑気におったまげている心の自分を置き去りに。


男は飛んだ。正確には、真上に滑り落ちた。


塔内部から観測した人物映像のログ追跡を試み、失敗する。

まさかと思いながらも、生(・)き(・)て(・)い(・)る(・)ヒト型生命体に絞って『浮島ロージュ』全域をスキャンすれば、ビンゴ。

『創生の森』方面に該当者が一名。


この短時間で当該距離の高速移動、速度は相手が格上。

今から追いかけていては到底間に合わない。

確実に逃げられる。



──なら、足止めするまで──ッ!!



真理接続__範囲指定__


【予告上映(プロロローグ)】、最小(・)出力。


__再現。



刹那、不可視の超質量が術式対象……正体不明の襲撃者へと叩きつけられる。

白い巨木たちが、幹が割れる隙さえ与えられず紙風船のように呆気なく押し潰される。遅れて広がった衝撃波が、周囲の木々を半ばから粉砕する。

実に創生の森八割を消失に至らしめたその術者本人は、しかしクレーターの中央にいるはずの人物に猛追しながら、既に次の術式を発動していた。



真理接続__項目指定__


【強制共演(エチュード)】。付与状態︰術者を中心に半径3km以内の拘束。達成条件︰平和的対話。


__再現。



男はようやく肉眼に襲撃者の姿を捉えた。いや、もしかしたら『父上』……あるいはその使いかもしれない人物の姿を。

全速力で滑空しながら、持てる神経すべてを鋭く研ぎ澄ます。

この機会を無駄にしてはならない。逃がすものか、絶対に。一秒でも早く、早く、彼のもとへ。

そして今この瞬間、一秒でも長く彼を分析するのだ。身長体重骨格姿勢首の傾き爪先の向き眉間のシワの深さ等々々。


すべては彼の眼前で慈悲を乞い、戦力外通告をもぎ取るため──!


男は目を皿のように凝らしながら、頭の中では超高速で過去数百年分の記憶のページを捲っていた。

思い出せ。相手の同情を誘う作法を。かつて魔術塔内で横行していた、見るに堪えない完璧な土下座を!

──相手の目を見ながら一気に五歩うしろ、視線はそのまま膝上十五センチをつまんで──


接近するにつれ、対象の姿がくっきりと浮かび上がる。

襲撃時の映像からわかってはいたことだが、随分と小柄な人物のようだ。

あの小さな身体で恐ろしいほど頑丈な窓を飴細工のように殴り割ってみせたなど、到底信じられない。やはり彼はどう考えても偉大なる『父上』だそうに違いない。

──床につけるは右膝左膝ハの字の手、頭は勢いよく床上一センチ、背中のラインで差をつけろ──


男の目が、対象の隅々まで走る。どんなに些細な情報も見逃さぬように。

そこで、はたと気がついた。


あれっ。

えっ?

──何を言われようと相手が肩に触れて起こそうとするまではそのまま硬直し続けて──



────……女の子??



てっきり小柄ながらも威厳に満ちた老翁を想像していた男は、少女の姿をみて呆気にとられるあまり。

着地という概念を忘れた。



────嘘でしょ女の子???



「ああああああああ!?」と情けない悲鳴の尾を引きながら、男が少女の遥か頭上を突っ切っていく。

チェアの上でココナッツを啜りながら星を見上げていた少女は、突如乱入してきた謎の飛行物体に、パチパチと青い目を瞬かせて。




「お、シューティングチキン(流れ鳥)。

別のチキン(魔女)になんかヤなことありますように」

✧︎✧︎✧︎


あーん、この「きのこの海」、頭がぜんぶ取れちゃってますわ〜〜

およよ〜……

……あら?

頭……頭……あたま……


あっそうでしたわ!

男になってる間にあの男の頭をカチ割りに行きませんと〜〜♡♡♡

思い出させてくれてマジThankyouですわ♡おーっほっほっほっほ♡♡


✧︎✧︎✧︎

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