ACT1. ④ この国…何か変…
『王都プロセナ』。
大陸の中央に位置する君主制国家『セントラル=テアトル』の首都であるこの都は、大陸の東西南北に位置する各地域を隔てる『結界境壁』の中心部でもある。
結界境壁とは、大陸空白期にもたらされた『魔導技巧』の一つであり、その仕組みは一切不明。物理魔術問わず壁面に対するあらゆる干渉を受け付けない性質を持つ。
ゆえに構造上の問題から、大陸各国間の交易では必ず、関所を有する王都を経由しなければならなかった。
セントラル=テアトルの上流階級が大陸内でも類を見ないほどの経済力を誇る理由の一つは、結界境壁の存在に依存した通行税にある。
各国を出入りする商人らは国境を跨ぐだけで財布の軽くなる現状を嘆きながらも、ハンカチを噛みしめて涙をこらえるしかない。
なぜならあの忌々しい壁は、壊すことはおろか、近づいて触れることさえ叶わぬ魔の絶壁なのだから。
結界境壁に、人々は為す術がなく。
ゆえに、そもそも法が存在しない。
ここ、セントラル=テアトルは罪刑法定主義。
つまり、結界境壁に対する直接的な行為は、法の抜け穴をつくまでもなく合法なのである。
とまあ、そんなわけで。
この度めでたく合法侵入に挑戦することになったのが、この男──!
「……? 太陽は、いつから三つに増えたんだ」
結界境壁に張り付き幻覚を見るセミと化した、少年ニルその人である!
炎天下にやられて疲労困憊のようだ。
ちなみにこの世界の太陽の数は元々六つである。
なぜ少年がこのような苦行を強いられているのか。
理由は単純、王都の入都基準を満たせなかったからだ。
関所受付の女曰く、王都プロセナは身寄りのない十五歳以下の入都を禁じているとのこと。
毎日が闘技大会のような都の中では、刃傷沙汰は日常茶飯事。強者同士は目が合ったらガチンコ勝負、弱者は喧嘩の余波に吹き飛ばされて死ぬらしい。んな馬鹿な。
死体が増えると公衆衛生上よろしくないとのことで、女からは申し訳なさそうな顔でお断りを入れられた。
どうやらこの世界、誠意はあっても人権意識というものが欠落しているらしい。
少年は受付スタッフの話にうんうんと頷きつつも、じゃあ不法侵入るか……ということで、商団の荷物にしれっと紛れこもうとした。
カウンターを離れたところで、突然後ろから腕を掴まれる。そして、あれよあれよという間に重装備の男複数名に囲まれ、無理やり別室に連れ込まれてしまった。
床に倒され取り押さえられるまでは大人しくしていた少年も、面布を剥ぎ取られそうになった瞬間相手の顎下にアッパーを食らわせる。
そこからは、襲い来る全員の甲冑を粉砕した上で人体が1.5倍に膨れ上がるまでボコボコに殴るなどして、心身揃っての無力化に成功。
不届き者どもから目的を聞き出したところ、なんと彼らはこの関所を管轄する公爵家の息がかかった役人だそうで。当代の公爵夫人は美少年コレクションが公然の趣味で、少年は無事お眼鏡に叶ってしまったらしい。
尋も……聴取の途中で、いつの間に呼ばれたのか、公爵家の応援部隊が怒涛の勢いで押し寄せてきた。
ふたまわりも背丈の小さい少年を囲いこんで「ハウスボーイに、君はなれるッッ!」と熱く語る隊長格らしき人物、白い歯を輝かせてマッスルポーズで同意する騎士たち。
公爵の私兵がコレとはこれいかに。
ニルはなぜか声高に「僕は美少女だ」と主張していたが、当然聞き入れられるはずもなく。
仕方なく壁ごと破壊して関所から逃走したのが、つい数刻前のこと。
日も高く照りつける中、少年は熱の篭った息を吐きながら、つるりとした壁に指をめり込ませてえっちらおっちら上を目指しているのであった。
回想終わり。
「……なぁ君……ちょっと、視点をズラしてくれないか……? ほら、空とかきれいだろ……」
……突然、少年が妙なことを言いだした。
登るうえで呼吸がしにくいということで面布を外した少年の顔は赤く火照り、噴き出す汗が顎を伝っていく。長く日光を浴びているからか、目には生理的な涙が滲んでいる。
そんな状況下での少年の訴え。もしかしたらなにか、切実な理由があるのかもしれない。
「どうせ、君以外のだれも……今の僕を、みてやいない……、……ちょっと全裸に……」
公然わいせつはれっきとした犯罪である。
紳士たるもの、いついかなるときも服を着て肌を隠すべきだ。
それに、日差しが強い場合は直射日光を遮ることで暑さを凌ぐことができる。つまり服を着て肌を隠すべきだ。
「えぇ……? っふ……あっづ……」
この少年、普段は複数の魔術を駆使して、快適な活動環境と心の余裕を確保しているという。
だがこの結界境壁を登る際には、行使できる魔術の数が限定されてしまうらしい。
「しかたない……せめて、僕がのぼり終わるまで、カットしてくれ……」
頭を振って目に入りかけた汗を飛ばすと、早々に掻きあげていた髪がピョコンとこぼれる。
だが乱れた髪を直す余裕もなく、少年は腕の筋肉にものを言わせて体を垂直に持ち上げた。
鉤爪のように曲げた指が、本来傷つくはずのない壁面を容赦なく抉る。
ドゴッ
ドゴッ
ドゴッ──……
少年が今まで辿ってきた壁面には、指のサイズの穴が等間隔に並んでいる。
全体をみると、穴の空いた壁は全長の三分の二を占めていることがわかる。つまり残るは三分の一。既に半分は超えている。
頑張れ、ニル。
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少年が身体を起こすと、ちょうど日も暮れる頃合いだった。
うだるような暑さは、頂上に両足を着けた途端収まった。大方例の呪いのせいだったのだろう。
ついでに雨も降っていないのにエフェクト付きの巨大な虹が出た。かの魔女は、あの手この手で少年をおちょくるのが大層お好きなようである。
軽く伸びをすれば、パキパキと首の骨が鳴る。ふらつく身体に鞭打って立ち上がれば、王都全域を一望できた。
まず特筆すべき点は、すり鉢状の地形だろう。
その都は段々と層をなしており、下に向かうにつれて建造物の規模や装飾が絢爛なものになっていく。さらにその先は煉瓦の塀で区切られており、濃淡豊かな緑の森が広がっていた。その中心部──王都地上の底には威風堂々たる白亜の城が鎮座する。あれがこの国の王族が住まう宮殿なのだろう。
王城は北を巨大な湖に、南には複数のリングと球体が幾何学模様と組み合わさった謎の設備に挟まれている。その設備は、複数のリングや球体、螺旋に幾何学模様など様々な装置を組み合わせて作られているようだ。その表面は、先ほど結界境壁と同じ、深い空色から淡い藤色など、様々な油彩絵の具を一本ごとに筆で重ね並べたような奇妙な色合いの樹皮に覆われている。
「君の言う魔導技巧……つまり、魔女の産物だろうな。恐らく、あの浮島に渡るための装置だ」
少年が指さした先を見上げれば、たしかに空の中にぽつんとひとつ、雲のような影が浮いて見えた。
「彼女は不器用な上に飽き性だからな。どの魔導技巧も、相当苦労して作り上げたに違いない。
あの島だって、重要な役割を与えたものの、防御機構を考えるのが面倒になって適当に高いところに浮かせたんだろうよ」
一時的に外していた面布を付け直しながら、少年はそう語った。
手早く服の乱れを整えると、片手を筒状にして作った輪を望遠鏡のように覗き込む。
「ふふ。高いだけなら──」
青い瞳が浮島地上の座標を捉えた瞬間、クピャリと周囲の空間が歪み、
「──うん、到着」
あたりを見渡すと、そこは白い森の中であった。雪が積もっているのではない。そこに息づくすべてが、氷のように透き通っていたのだ。
どうやらいつの間にか浮島に到着したらしい。少年の目的地は王都であり、同時に魔術塔でもあったはずである。
つまり、この浮島には──
「──魔術塔がある。言ったろう? 星の魔術を知らない魔術塔など、窓を残らず叩き割ってやると」
たしかにそんなことも言っていた。ここに来るまでの道中が長かったため、すっかり失念していたが。
少年がギギを隣に浮かせて、しばらく薮をかき分けて進んでいく。
途中、動物の他に結晶のような鱗で覆われた大小様々な生命体とも遭遇したが、誰もが少年を感知するやいなや一目散に逃げ去ってしまった。
密集していた木々が急速に引き、途端に視界が明るくなる。頭上を覆っていた巨木がなくなり、そこにはぽっかりと開けた空間が広がっていた。その中央には、鏡のように澄んだ泉が、月と星の光を一身に浴びてきらきら、チカチカと瞬いていた。
感嘆の声が漏れる。おもむろに面布をかきあげた少年が、空を見あげ、取り繕うことも忘れて目を輝かせていた。どうやら地上よりもぐんと近くなった星々に魅入っているようだった。
そういえばこの少年、魔術をはじめとして、星に関するものに対してやけに思い入れがあるようだ。
「僕の、生涯の趣味のようなものだ。それにしても素敵な場所じゃないか。ここを一時拠点にしよう」
少年は凪いだ泉のすぐ側に、ジジ用であろう小さな革張りの椅子と、寝そべるのに快適そうなビーチチェアを設置した。テーブルに二つ分のココナッツを置く少年の頭上では、パラソル代わりの巨大な屋根型望遠鏡のような装置が組み上がっていく。
果実に太いストローをぶっ刺した少年は、一応ギギの正面を向いて腰かけたものの、隙あらば寝転がって星を眺めたいのか、そわそわと遥か上を気にしていた。いつもの余裕綽々といった姿からは考えられないほど、考えていることがダダ漏れである。
「コホン。ま、星は逃げたりしない。今はやるべきことがあるからな。さて、僕は有言実行の男──」
ボーン
ボーーン
ボーーーン
始まりの街と変わらぬ音が響く。どうやら日没を知らせる鐘は国内共通のようだ。
「──であり女でもあるわけなので、これより満を持して『ドキドキマギクラ部』を始めようと思う。お題はいかにして魔術塔の窓を叩き割るか、だ」
少女は肉体の変化と同時に着替えを終えて、パチンと指を鳴らした。
すると、少女とギギを中心に、膨大な数のウィンドウが浮かび上がる。それぞれ、ある建物を様々な角度から映しているようだ。
「ステップ一、割るべき窓の数を知る」
一般的な塔を高くなるにつれ細くなるものだとしたら、その塔の在り方は異様と言い表す他ない。
高くなればなるほど、同心円状にゆるやかな広がりを見せるその塔は、青白い顔で大地に根を張る大樹のようにみえた。
下の階層に垂れ下がる花草の鎖は、たとえば菜の花畑を彷彿とさせる薄緑に黄、百合の如き白に山吹と、見るも鮮やかな色合いだ。
「魔術塔。全長510m130階建ての……自律型憶晶建築だな。
機能ごとに六分割するとしたら、下からフロント、宿舎、書庫、研究棟、執務棟、管理エリアといったところか。
構造は……符号を契約者と紐づけて拡張──、つまり、塔にいる人数が多いほど内部の空間が広がるようになっている。入り組んだ内部の空間を思えば、あの外観はオマケのようなものだな。
窓のない執務・管理エリアを除けば、窓の総数はおよそ4500枚だ」
ウィンドウ内の映像が一斉に切り替わる。
映し出された塔の上層は、窓が一切存在しなかった。塔に巻き付く植物は、どうやら最上階から伸びているらしい。形ばかりの柱に整然と配置されたグロテスクは、一度も手入れされたことがないのか、姿を判別できないほどの苔に埋もれてしまっている。
「ステップ二、塔のトップを調べておく。
今から喧嘩を売りにいくんだ、今後最も接触する可能性の高い相手といえるだろう。出方次第では今夜会えるかもしれないな。
125階エリアから上が最高管理者の私的エリアのようだ、が、……ふむ。『立入厳禁!人間不可!!呪殺上等!!!』みたいな術式だな。おかげでよく見えん。
残念だ、順当に最上階の天井だけ吹き飛ばしておくか」
腕のひと振りで、全方位を埋め尽くしていたウィンドウが瞬時に消える。
少女はぺちゃんと背もたれに寄りかかり、マントの中からお馴染みの紙芝居を取り出した。
紙の舞台を動き回るクレヨン調のニル。以前見たときには全編通して少年の姿だったが、今の状況を反映してか、きちんと少女の姿に描き直されている。
はたしてこの少女は、いかにして塔の窓を叩き割ってくれるのか。
「ステップ三、犯行計画を立てる。
今回は魔術師の総本山が対象なので、あえて物理攻撃を全面に押し出していこうと思う。
つまり、僕が飛び回って全窓拳で叩き割る」
思っていた以上に脳筋技だった。
「窓付近にいる魔術師の安全確保に取られる時間も考えれば……1枚0.0005秒の配分でいこうかな。全て割り終えるまで約2秒。
あとは塔の頂上を空間ごと消し飛ばすのに1秒」
絵の中のファンシーな魔術塔が、高速移動しすぎてもはや増殖している謎の黒髪たちにより為す術なく蹂躙されていく様は、涙なしには語れない。
ちくしょう、一体魔術塔がなにをしたってんだ。
「事を終えたら即座にこちらまで転移するが、しばらくはここで塔の連中の動きを待とう。夜が明けるまで特に何もなかったら、浮島を脱して王都探索にでも出かけようじゃないか」
つまり、喧嘩を売るだけ売って混乱の悲鳴を肴に星見と洒落込むつもりなのだろう。
考えてみれば、おそらく非正規のルートで浮島に潜り込んだ少女による、たった数秒の奇態な犯行。今夜中に足がつくとも考えにくい。
とはいえ、もしかしたら朝日が昇る前に、少女を追ってきた手練れと鉢合わせるかもしれない。
襲撃の前に、魔術師との正面衝突も想定した上で入念に準備をしておくべきだ。
少女は軽く頷くと、パンッと片方の手のひらで拳を受け止めて不敵な笑みをいっそう深めた。
その目が閉ざされていようと、好戦的な色を帯びているであろうことは容易に想像できる。
「安心したまえ。
たとえ誰が来ようと、僕はこの世界で一番強いのだから。接近戦に持ち込めさえすれば、な」




