ACT1. ②ー2 灰をかぶる猫かぶり
「──世界の脅威を知るべし」
紙芝居上にフラッシュバックのように連続して映し出されたのは、磔にされた尾を呑む大蛇、巨木のうろに安置された水子の山、隔離された実験室、燃え上がる無貌の行列、極楽の底であぶくを吹く人造神、狂乱の宴に酔う屍肉達磨……エトセトラ、エトセトラ。
クレヨン調で描かれていてもなお、心が凍るような光景だ。
これらはもしや、彼がこれまで出会ってきたであろう脅威たちの姿だろうか。
「その認識で相違ない。
世界の滅ぼし方は星の数ほどあるが、ハッピーエンドにするなら可能な限り現地のリソースを最大限活用した方が、結果的には楽になる。
ひと口に脅威と言っても、恐ろしく巨大な怪物だったり、目に見えない悪意の連鎖だったりと、その在り方は多岐にわたる。今後は、この世界にどんな脅威が存在するのかを特定するために情報収集していくつもりだ」
少年が紙の上に簡略化した自身とギギを描き込めば、ふたりは揃って紙芝居の世界を自由に動き回り始めた。
図書室で調べ物をしたり街中で聞き込みをしたりと、地道ながらも世界の脅威を知るために奔走している。
「ちなみに、あらかじめ言っておくが」
場面が切り替わり、クレヨンの少年がビビビッと髪の毛を逆立てて、なにか凶悪な存在を威嚇している様子が映った。
「この世界には、あの魔女に封印された『何か』が眠っている。
極度のものぐさでもあるあの女が、わざわざ封印なんて面倒な手段を選んだんだ。十中八九、ロクでもない代物だろう」
紙の世界では、鳥の翼を持つ長身の女性が、似合わない作務衣を着て地面の魔法陣にトンカチを振り下ろしている。
作業が終わったのか、いい笑顔で額の汗を拭っているところに、三次元から容赦ないデコピンが襲いかかってきた。
指の持ち主はバタンキューと倒れた女には一瞥もくれず、憎々しげに唇を歪めてため息をつく。
「話を戻そう。
悪役のコツその二、地盤固めは慎重に」
紙芝居の上ではちょうど、少年が飛び蹴りで女性を場外に弾き飛ばしたところだった。
パッパッとホコリを払っているところでこちらの注目に気づいたのか、さも無邪気そうな笑みを浮かべて両手を左右に振ってくれた。
「ところ変われば価値基準だって変わる。まずはその世界で自分ができることを把握し、その能力や可能性が生む価値を知らなければ。
身分なり立場なりを決めるのは、そのあとでいい。価値ある人材として表舞台に立つなり、徹底して裏社会に身を潜めるなり、悪役として動きやすい生き方を選んでいこう。
そもそもの話、僕ができることといえば……」
絵の中の少年の傍に、血みどろの人が転がっている。
蹲るそれにエイヤと小さな手をかざせば、八芒星と円環の組み合わさった幾何学模様が現れる。その光る盤をキャンバスに複雑な記号を組み合わせると、盤上に『目』のような形の穴が現れ、その奥で星がちかりときらめいた。
次の瞬間には、あら不思議。まるでけが人の時間が遡ったかのように、汚れごと怪我が治ってしまった。
なるほど、これが先ほど井戸で子どもを治療した技術のようだ。
「この技術は『魔術』といって、条件さえ満たせば誰でも行使できるものだ。僕が最も得意としているのは、星の理を描く魔術でな。そもそも魔術というのは……コホン。話せば長くなりそうだ。これは追々説明するとしよう」
✧︎ 紙の舞台を無数の蔓が這う。鮮烈な緑のカーテンが、ゼンマイ仕掛けの花々にペリペリと巻き取られ、めくられる。その先に写っていたのは、ぺたりと床に座り込む幼い少年の姿だ。
そこは、誰かの研究室だろうか。巨大な計測器具や素材が几帳面に仕舞われているのとは対照的に、開かれたままの本や論文の束があちこち散らかっている。
幼い少年は、裏紙代わりにしている空間ボードをすべて記号で埋め尽くすと、今度は本と本の隙間を縫うようにして床になにかを書き込み始めた。ペンが折れると、取りに行くのも面倒くさいと言わんばかりに自身の指を噛みちぎり、零れた星空の血をインクに新たな掛け合わせを形にして──
──ゴチンと鈍い音が響く。
誰かが少年に、容赦ないゲンコツをくらわせたのだ。
大の男らしきその人影は、痛みに悶絶する少年の首根っこを掴み、ポイッと雑に窓から放り投げた。パッパッとホコリを払う仕草は、つい先ほど芝居の上で少年が見せたのとそっくりで── ✧︎
「悪役のコツその三。常に傍観者たれ」
ブツリと映像が切り替わった。
再びクレヨン調の少年が舞台袖から現れる。今度は顔の隠れた人物と手をつないでいるようだ。
「よい悪役とは、ほどよく関心を持たれながら、死んでも主人公たちに遺恨を残さないような人物だ。
つまり、彼らと親交を深めすぎるのはよろしくない。あらゆるトラブルに首だけ突っ込んでも『またお前か』の一言で済まされるような、カジュアルな距離感が理想だ」
学生服を着た少年と顔なしたち。
主人公である顔なしたちは、学校でのお勉強に加えて様々な困難な状況に陥る。
顔なしたちが四苦八苦している中、いつも画面から見切れるスレスレの立ち位置で、好き勝手し放題の少年。
無人島への漂着、雪山での遭難、強敵との対峙……。どの場面においても、少年は端の方で残像を残して飛び回る。
そんな彼の心の吹き出しの中は、いつでもどこでも誰とでも、ニコニコニコ。ここまでくると、もはや一種の怪異である。
「僕が退場してからも、彼らの人生は続いていく。
生前に適切な距離を保つことで、『あのとき倒した悪は理解不能の怪物で救いようがなかったのだ』と割り切らせ、不要な罪悪感を予防する。これができてはじめて一人前の悪役と言えるだろう」
悪い顔をした少年が顔なしたちにぶっ飛ばされ、無事迎えたエンディング。
主人公とヒロインが手を取りあい、それを友人たちが拍手で祝福する。歓声を上げる群衆の中には、顔なしの仮面を被った少年の姿があった。ピュウと指笛を吹き、手のひらいっぱいに握った花吹雪を派手に散らす。
この男、今さっき死んだばかりだというのにノリノリである。
「悪役にだってこのくらいのご褒美はあってもいいだろう?
以上が僕の思う悪の秘訣だ。今後は三つを踏まえて、まずは──」
ボーン
ボーーン
ボーーーン
突然響いた鐘の音が、少年の声をかき消す。
音の出処を探るべく西の方を見渡せば、茜の空はいつの間にかほの暗い青紫色に染まっていた。
「おや、もしや日没の合……、
………………ん?」
少年が咄嗟に喉元を押さえた。険しい表情で黙りこくったまま、くるりとジジに背を向けてしまう。
様子を伺いみるに、どうやら自身の身体を見下ろして、ぺたぺたと手でなにかを確認しているらしい。
突然、どうしたのだろうか。
「君」
こちらを振り返らないまま、彼が呼びかける。
絶対的な自信をこれでもかと身に纏わせる少年にしては珍しく、わかりやすく声が揺れている。本当に、一体何事か。
「僕の息子を知らないか?ひとりで勝手に出歩くような子じゃあ、ないんだが」
……?
……──! 、……すみません。一回こっち振り返ってもらってもいいですか。
「ぅ……」
少年は戸惑いからか視線を泳がせながらも、ゆっくりとギギの方に向き直った。
…………息子に旅立たれたとのたまうニル。
そんな彼のことをよく見れば、僅かにではあるが顔立ち全体がまろく柔らかなものへと変化し、服の下に隠れた骨格も華奢になっていることがわかる。
つまり。
今の彼は、
紛れもなく──
「……違う、違うぞ。確かに器の形は変化したが、僕は、」
──少女である!
「……お、じょうさん、では……」
紛うことなき、かわいいかわいい少女である!!
偉大なる大魔女から贈り物はなんと、超不幸体質だけではなかったようだ。
少女はもう一度自身の身体に恐る恐る触れて、変えようのない現実の感触がしたのか或いはしなかったのか、再び絶望に打ちのめされて肩を落とした。
「せっかく、せっかく産んでもらった方の性別が、こんな……。
……はぁ。ダメだ、やってられん。流れ星光らそ」
少女が目を伏せたままプイと人さし指で空をなぞれば、遥か彼方にうっすらと切れ込みが入り、そこからじわりと流星が滲み出てきた。
濃紺の夜空に尾を引く青い輝きの、なんと美しいことか。「ああ母様神様お星様、彼奴の日頃の不摂生が祟って口内炎筋膜炎痛風結束逆流性食道炎天下の中猫に襲われ毟られ鳥の炙り焼きになって緊急搬送された先で恥を誤魔化すために高笑いした拍子に顎関節複雑骨折しますように」……託された願いはだいぶ大人気ない欲でまみれていたが。
毒を吐き出したことで、少しは気が晴れたのだろう。星空を見上げるのをやめて前を向いた少女には、少年だった頃同様の、溌剌とした活力が戻っていた。
「なってしまったものは、仕方ない。うん、そうだろうとも、まったくもってその通り。
つまり、今の僕は曲がりなりにもレディというわけだ。たとえ中身がそぐわなくとも、形くらいは整えなくては」
少女がパンと手を打ち鳴らせば、にわかに風が巻き上がって幼い体躯を覆う。
膝下まである直線的な黒のコートは、裏と表が反転し、銀の絹糸と青い細糸で軌道の刺繍が編み込まれたロングマントへ。
クラシックなベストは細い腰を支える編み上げのコルセット仕様に。
硬質なスラックスがややタイトなハイウエストに変わったことで、少女めいたラインがより強調されている。
磨き上げられた革靴から変化したマニッシュなショートブーツには、多面的にカットされた高いヒールが目立つ。
少女としての身体に合わせて施した調整に、彼女は大いに満足したようだ。
仕上げに先ほど購入したばかりの面布を着用すべく、懐から取り出した品物の梱包を剥がしに取りかかる。
慣れない手先を使った作業だからか、チマチマと時間をかけて奮闘すること数分。
ようやくあらわになった品物を目の前にかざして、少女は思わず声を上げた。
「なんだいこのベール。スケスケじゃないか」
その面布は超極薄だった。薄すぎて、これでは黒い布ではなくグレーのレースである。
この布では、顔色を誤魔化すことはできても、瞳や顔のつくりまでを隠すことはできない。なんなら表情の細部まで丸わかりだ。
とはいえ、音もなくゆらめくそれは、しなやかで肌触りの良い素材で作られているであろうことが見て取れた。
少女は内なる解せない思いの表れか、口をへの字に曲げながらも。しぶしぶ布を額に当て、紐を頭の後ろで結んだ。
それから瞳を隠すために両目を閉じて、ついでにマントのフードを被れば、さながら占い師のような出で立ちである。
最後にジジを内側のポケットに収めれば、準備は万端。
少女はマントの裾を翻し、屋根を踏んで駆け出した。ときに軽々と跳躍し、向かいの尖塔に飛び移る。
まずはこのはじまりの街で、できるかぎり情報を集めねばならない。
少女曰く。世界の脅威を利用するのも、都合のいい身分を決めるのも、主人公たちを見つけるのも、急ぐ必要はない。
まずはこの世界を知る。話はそれからだ。
「なに、きっと時間はかからない。今から行く場所には、ゴシップ好きから情報通までよりどりみどりだろうよ」
少女はマントの上から懐のジジをひと撫ですると、瞼を下ろしたまま、街中央まで連続する鋭い稜線を仰ぎ見た。
「この先に、生きたまま人の焼けるにおいがする」
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あら。あらあら?
ホホホ、お家のケージで子犬がキャンキャン吠えてる気配がしますわ〜♡
んマ〜〜おかわいいこと♡♡
せーっかく!いっ・ちょう・けん・めい!お星さまにお願いしたとて……ねぇ? 偉大なるワタクシのもとまで届くはずがあェえ゛ぐじッ──かぁっ、っあ?
は、ほはっ!、ほうひはほいはへっは〜〜〜〜!?
〜顎関節脱臼中。しばらくお待ちください〜
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