ACT1. ②ー1 路地裏のスケープゴート
「爺さん。子羊はいかがかね」
男を始末してひと息つく間もなく。
血塗れの衣装をさっぱり元に戻した少年は、数歩も歩かない内に路上の物売りに声をかけられていた。
その老婆は、シワだらけのまだら顔を隠すようにターバンを巻いていた。布の隙間から見える爛れた口元だけが、唯一彼女の表情を読み取らせた。
道端から引っ張ってきたのだろう棺桶の蓋に座り、簡素な木の板で作った商品棚に裁縫道具を並べている。
物売りなのに、人通りが一切ない裏通りでのセールス活動。
明らかに不自然ではあるものの、少年は大して気にした様子もなく足を止めると、一度は閉じていた目を開けた。
「どれ。何を売っているのかな」
「へぇ、随分と声の若い爺さんだ。老い先短いババアにも、若作りの秘訣を教えておくれよ」
「滅多なことは言うものではないよ、お嬢さん。
それに、老い先よりもまずは手元を気にした方がいい。両手とも怪我だらけじゃないか」
「ヒヒ、イヒヒッ。あたしにも、腐るほどの時間と……ついでに裁縫の腕があればねぇ……」
ΦΦミャオ、とどこからともなく猫の声が聞こえてきた。掃き溜めの中、締め切った扉の向こう、錆びた鐘の舌からナーナーなぁなぁと、話しかける声が鳴き止まない。
少年は、心なしか呆れた様子で老婆と話を続けている。どうにもおかしい。彼にはこの大合唱が、聞こえていないのだろうか。
ガサリと物音がした方に、自然と視線が吸い寄せられる。猫がいた。猫もまたこちらを見ている。あたり一面に猫、猫猫。猫の目が笑う。
つられて{わんっ}と勝手に犬の鳴き真似をしたのは誰だったか。
直後。何事もなかったかのように、猫は消えた。ΦΦ
結局、老婆は草臥れた袖を無理やり伸ばして手を隠した。さっさと話を切り上げることにしたらしい。
「で、爺さん。子羊はいかがかね。赤い目をした子羊さ」
「ではこれを」
三つ並んだぬいぐるみのうち、少年は迷わずなぜか一番形の悪いものを選んだ。
「それと君、包帯を持っているだろう? ついでにそれもいただこう」
「あるにはあるが、売るかどうかは用途と気分しだいさね」
「ああ、この瞳は少々目立つからね。隠すために、包帯を目の周りに巻き付けようかと」
この少年、目が見えなくなることについてはさほど気にしていないようだ。実際、先ほどは瞼を閉じたまま振りかぶった拳は男の顔面を正確に捉えていた。
老婆はしばらく黙ってから、「ああそういえば」と妙にわざとらしく声を張り上げた。
「あんた、つくづく運がいい。つい先日、黒い面布を入荷したばかりなんだ。顔を覆うにゃピッタシだろうて」
「面布か。ヒラヒラしていて、どうにも僕には鬱陶し
「そうだろうとも。ホレ、在庫あるだけ持ってきな」
「いや、できれば包た「どれ、おまけもたんとつつんでやろう」
「……どうも……」
「ひひっ、まいど」
老婆が懐から取り出したのは、白い長方形の紙に黒墨で記号が書かれたもの──要はお札がビッシリ貼られた謎の塊だった。
老婆は手早く呪ぶ……商品を押し付けると、さっさと棺桶の中に引っ込んだ。鈍い音で蓋が閉まった瞬間にはもう、老婆のいた痕跡は棺ごと消えてしまっていた。
冷たいすきま風が吹く。風に乗って、遠くからひとの啜り泣く声や野犬とカラスの争う音が聞こえてきた。
じきに日も沈むというのに、どうやらまだこの街は眠らないようだ。
その場に残った少年の手には、怪しいお札で梱包された面布の束と、いかにも手作りですといった質感のぬいぐるみがひとつ。
このぬいぐるみ、老婆は子ヒツジだと言っていたが、全身を短く刈り上げられたこのフォルムはどう見てもヤギだろう。赤い瞳孔の形だって、斜めではあるものの横長の長方形になっている。
なんなら長い耳が不格好に跳ね上がっているせいで、これではヤギというより限りなくウサギに近い謎の生き物だ。
「言われてみれば、とてもじゃないが羊には見えないな」
少年は手も使わずにぬいぐるみを顔の正面の高さまで浮かせると、全身を回転させて隈なく観察し始めた。
そして悩ましげに唸った末に、自信ありげに呟いた。
「ヤギギ。とか、どうだい」
……?
「この子の名前だ。ヤギとウサギをあわせてヤギギ」
……。
……名前の候補を告げられてたぬいぐるみは、なにやら意義を唱えたそうな、むずむずとした顔をしている。
「ええ?」
その名前も、悪くはない。
ないのだが、なんだか惜しい。
もしかしたら、名前の響きに可愛さが足りていないのかもしれない。うん、きっとそうだ。
「『かわいさ』 ……。ウギギの方がよかったか?」
論外だ。
まこと残念ながら、この少年は可愛さに対する感受性に欠けていると指摘せざるをえない。
心外そうな顔をした少年だったが、彼は今一度よく考えてみるべきだろう。
彼の前にいるのは、歪ながらもモフモフな真っ白ボディを備えた誇り高きぬいぐるみなのだ。
赤い瞳の持ち主の、声なき訴えに耳を澄ませれば、きっとこんな声が聞こえてくるだろう。
たとえばね、ギギとかどうでしょう。
そうだ、ギギがいい。言いやすいし可愛いじゃないですか、ギギ。
ギギ、ギギ、YouLoveギギ。ギギーギ、ギーギギ、ギギギのギ──
「わかったわかった。おまえはギギ、かわいいギギ。これでいいか?」
少年は呆れたようにぬいぐるみ──ギギの鼻先をつついた。
ギギの艶々とした毛並みは、相応しい名前を貰えたことでどことなく輝きを増したようだ。
さて。
今さらではあるがこの少年、先ほどからずっとぬいぐるみに話しかけている。
つまり客観的に見て、彼は湿気た裏路地の片隅で延々とぬいぐるみ相手にお喋りしているということになる。
「悪くないだろう? 一人で虚空に向かって話しかけるよりは、こちらの方がいくぶんか健全に見えると思ったんだが」
少年はギギを腕に抱えると、壊れかけた窓枠やベランダを伝って建物を登っていく。
ひときわ力を込めて飛び上がれば、ぱっと視界が開ける。この街はどうやら中心部に近づくにつれて建造物も高く立派になっているようだ。
ひとまずは、手頃な高さのとんがり屋根に着地する。鳥の羽を持つグロテスク装飾の隣にギギを座らせてから、向かいに自身も腰掛けて足を組んだ。
「ふふ。これでようやく落ち着いて話せるな」
ギギに語りかける少年の声は、少しばかり弾んで聞こえた。
「話す相手がいるというのは、それだけで嬉しいものだ。
コミュニケーションが取れるようになった今、改めて状況を整理しようじゃないか。
君、これまでのあらすじを頼む」
〜いままでのあらすじ〜
ここは物語の大魔女が用意した世界、ミル=ファンタズマゴリア。
主人公、不明。世界観、不明。脚本さえも行方不明。
わかっているのは、いずれ滅ぼされるべき悪役が誰かということだけ。
生粋のバケモノでありながら、此度は悪として脚光を浴びるこの少年は、名を──
「ニルにしようか」
──ニルといった。
開幕早々他人の不幸に巻き込まれたニルだったが、不思議な技を駆使して穏便なトンズラに成功する。その後順調に初期装備と相棒を手に入れた今、ようやくニルの旅が始まろうとしていた。
大魔女の悪戯が張り巡らされたこの世界で、果たしてニルは無事主人公に打ち倒されることができるのか──!
「ご苦労。よく纏められていた」
少年は軽く拍手すると、褒めるようにギギのシッポの背中を撫でた。
きっとギギに動くためのモーターが備わっていれば、その白く短いシッポはピルピルと嬉しそうに振られていたことだろう。
「それでは、今後のニル君の活躍に乞うご期待いただくために。
これより『悪役歴二万年が語る!わくわくハッピーエンドマネジメント講座』を開催する」
ドンッとどこからともなく取り出したのは、見覚えのある紙芝居セット。
魔女の根城で司書を相手に披露していたものだ。ただ、あのときよりも持ち手の背が縮んだからか、だいぶ大きな印象を受けた。
少年が、薄手袋に包まれた人差し指をピンと立てる。
「悪役のコツその一──」
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ア────ッ!
もしもしポリスメン!?
ワタクシの箱庭に! お下品な曲者が二匹も!!
ムキ〜〜〜〜〜ッ!!!
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