第5話 井戸水調査と、疑う村人たち
前回のあらすじ
森の入口で「死の森さま」に祈っていた少女ミナと出会ったレオス。
病に苦しむ薬草採りの老人トマスを応急処置し、死の森とリンド村にはかつて交流があったことを知る。
そして、黒い杭の影響が村の井戸水にまで及んでいる可能性に気づいたレオスは、村長と共に井戸を調べることになった。
リンド村の中央には、古い石造りの井戸があった。
丸く積まれた石の縁には、長年使われてきた跡がある。
縄でこすれた溝。
何度も置かれた桶の傷。
井戸のそばには小さな水場があり、洗い物に使われていたのだろう平たい石も並んでいる。
村の中心。
生活の中心。
この村の人たちは、毎日ここで水を汲み、飯を作り、子どもに飲ませ、畑へ運んでいた。
だからこそ、ここが汚れているなら話は大きい。
俺は井戸の縁に手を置き、底を覗き込んだ。
暗い。
月明かりだけでは水面までは見えない。
だが、臭いは分かる。
かすかに苦い。
鉄と薬品を混ぜたような、嫌な臭い。
黒い杭の根元で嗅いだものと似ていた。
「……当たりっぽいな」
小さく呟くと、肩のポルがぷるんと震えた。
同意しているらしい。
村長のバルムが、不安げにこちらを見る。
「レオスさん。やはり、井戸が?」
「まだ断定はしません」
俺はそう答えた。
「臭いは似ています。でも、井戸そのものが汚れているのか、水脈が汚れているのか、桶や周辺の土から移っているのか。それを分けて見ます」
「分ける……」
「はい。原因を一つに決めつけると、対策を間違えます」
村長は神妙な顔で頷いた。
周囲には、村人たちが集まり始めている。
夜だというのに、かなりの人数だ。
当然だろう。
村の井戸が危ないかもしれない。
しかも、調べようとしているのは死の森から出てきた見知らぬテイマー。
気にならない方がおかしい。
「おい、本当にそいつに井戸を触らせるのか?」
人垣の中から、低い声が飛んだ。
見ると、がっしりした体格の男が腕を組んで立っていた。
年は三十代半ば。
日焼けした顔。
太い腕。
腰には山刀。
猟師か、木こりか。
男は鋭い目で俺を睨んでいる。
「ダン」
村長がたしなめるように言った。
「トマスさんを助けてくださった方だ」
「助かったと決まったわけじゃない。変な薬を飲ませただけかもしれん」
男――ダンは、俺の肩にいるポルを睨んだ。
「だいたい、魔物を連れた男だぞ。死の森から出てきたって話じゃないか。そんな奴に村の井戸を任せるのか」
村人たちがざわつく。
俺は反論しなかった。
ダンの言い分は、感情的ではあるが無茶苦茶ではない。
村の水源を、よそ者に触らせる。
それを警戒するのは当然だ。
「心配するのは分かります」
俺は言った。
「なので、勝手には触りません。村長と、村の人たちの前で、手順を説明しながら調べます。井戸に何かを入れる場合は、先に確認を取ります」
ダンは眉をひそめた。
「口では何とでも言える」
「では、村の人に作業してもらいます。俺は指示と確認だけでもいい」
ダンが少し黙った。
まさか譲ると思わなかったのかもしれない。
「水を汲むのは村の人。使う桶も村のもの。俺の薬草やポルを使う時は、全員に見せてから。異論があればその場で止めます」
俺は村長を見た。
「それでどうですか?」
「私は構いません」
村長は頷いた。
だが、ダンはまだ納得していない。
「井戸水が悪いなんて話になれば、村が終わるぞ」
「今悪くなっているなら、気づかない方が終わります」
俺は静かに言った。
ダンの目つきが変わる。
怒らせたか。
でも、ここはぼかせない。
「不安を煽りたいわけじゃありません。ただ、病人が出ている。水が苦いという証言がある。畑も枯れてきている。なら、調べるべきです」
「森のせいだろう!」
ダンが声を荒げた。
「あの森が広がってきたから、井戸も畑もおかしくなったんだ! 俺の弟も、森の魔物にやられた! それを今さら、森は悪くありませんみたいな顔をされてたまるか!」
場が静まり返った。
村長も、周囲の村人も、誰もすぐには口を開かない。
ミナが家の方からこちらを見て、心配そうにしている。
なるほど。
ダンは、ただの乱暴者ではない。
森に身内を奪われた人間だ。
その人に向かって、森は悪くないと軽々しく言えば、確実にこじれる。
「弟さんのことは、俺には分かりません」
俺は言った。
「俺はその場にいなかった。何があったかも知らない。だから、森が悪くないとは言いません」
ダンは黙った。
「森で人が死んだなら、それは事実です。魔物に襲われた痛みも、家族を失った怒りも、なかったことにはできない」
「だったら……」
「でも」
俺は井戸を指差した。
「この井戸が汚れている原因まで、何も調べずに森のせいだと決めるのは違います」
ダンの口が止まる。
「森が原因なら、そう言います。王国の杭が原因なら、それも言います。村の井戸そのものの問題なら、それも言います。俺がやりたいのは、森を庇うことじゃない。原因を間違えないことです」
少しだけ沈黙が落ちた。
ポルが俺の肩で小さく震える。
森からも、かすかな感情が届いていた。
悲しみ。
申し訳なさ。
だが、俺はそれを今ここで村人に伝えなかった。
森が悲しんでいる。
そんなことを言われても、ダンには逆効果だろう。
まずは事実。
感情は、その後でいい。
「……勝手なことをしたら、俺が止める」
ダンが低く言った。
「それでいいです」
俺は頷いた。
「むしろ見ていてください。できれば、力仕事を手伝ってもらえると助かります」
「俺が?」
「井戸水を複数回汲みたいんです。新しい桶と、普段使っている桶の両方で。力のある人がいると早い」
ダンは苦い顔をした。
周囲の村人の何人かが、少しだけ笑いをこらえている。
怒っていた相手に、いきなり仕事を振るとは思わなかったのだろう。
正直、俺も前世なら似たようなことをよくやっていた。
文句を言う人ほど、作業に巻き込む。
外から怒鳴っているより、実際に手を動かしてもらった方が話が早い。
「……分かったよ」
ダンは渋々、井戸の縄に手をかけた。
「変な真似したら、本当に止めるからな」
「お願いします」
俺は頭を下げた。
井戸水調査といっても、俺は専門の魔術師ではない。
前世のような試験紙もない。
化学分析もできない。
だから、今できる範囲で比較する。
まず、普段使っている桶で水を汲む。
次に、村長の家から持ってきてもらった新しい壺で水を汲む。
さらに、井戸の縁についた水垢を少し取る。
周辺の土も少量。
それから、村の外れを流れる小川の水も取ってきてもらった。
「比べるのか?」
ダンが桶を置きながら聞いた。
「はい。井戸水だけが悪いのか、村周辺の水全体が悪いのか、容器の問題なのかを見ます」
「そんなので分かるのか」
「全部は分かりません。でも、何もしないよりは分かります」
俺は並べた水を一つずつ見た。
透明度はどれも悪くない。
見ただけなら飲めそうだ。
だから怖い。
「ポル、無理はするな。味見じゃない。表面に触れて、嫌ならすぐ離れる」
ポルがぽよんと跳ねる。
村人たちが身を乗り出した。
スライムが水を調べる光景なんて、そう見られるものではないのだろう。
ポルはまず、小川の水に体の一部を触れた。
ぷるん。
特に異常なし。
次に、新しい壺で汲んだ井戸水へ触れる。
その瞬間、ポルの体に薄い紫の筋が走った。
ポルはすぐに体を引っ込める。
「ポル!」
俺は慌てて手を伸ばす。
ポルはぷるぷる震えたが、無事だった。
ただ、明らかに嫌がっている。
村人たちからどよめきが起きた。
「今、色が……」
「井戸水で反応したのか?」
「でも、見た目は普通だぞ」
「次は普段使っている桶の水」
ポルはそちらにも触れた。
同じ反応。
少しだけ強い。
「桶にも汚れが残ってる可能性があります」
俺は言った。
「ただ、根本は井戸水です。新しい壺でも反応した」
村長の顔が青ざめる。
ダンも無言になった。
「まだ断定は早い。薬草でも見ます」
俺は白露苔の欠片を取り出した。
清浄な水に入れると、白露苔は淡く光る。
汚れた水に入れると、光が濁る。
薬草採りの間では、簡易的な水の確認に使われる方法らしい。
トマスさんから、ミナ経由で教えてもらった。
まず小川の水。
白露苔は淡い青白い光を放った。
次に井戸水。
白露苔は一瞬光り、それから紫がかった灰色に濁る。
村人たちが息を呑んだ。
「……井戸水が、悪いのか」
村長が呻くように言った。
「はい。少なくとも今夜の時点では、飲まない方がいいです」
「そんな……」
「今日からどうすればいいんだ」
「子どもにも飲ませてたぞ」
ざわめきが一気に大きくなる。
不安は伝染する。
ここで放っておくと、混乱になる。
「静かに!」
俺ではなく、ダンが声を張った。
村人たちが驚いて彼を見る。
ダン自身も、少し気まずそうな顔をした。
「……調べてる最中だろうが。最後まで聞け」
正直、助かった。
俺がよそ者として叫ぶより、村の人間が場を押さえた方がいい。
「ありがとうございます」
「礼はいらん。続けろ」
「では、対策を分けます」
俺は井戸のそばの地面に棒で線を引いた。
「今日すぐやること。明日やること。原因調査。この三つです」
村長が頷く。
「まず今日。井戸水は飲まない。料理にも使わない。特に子ども、老人、体調の悪い人には絶対に飲ませないでください」
「水はどうするんですか?」
母親の一人が不安そうに聞いた。
「森の外縁に、比較的きれいな湧き水があります。ただし、道中に毒草がある。俺と森の案内なしに取りに行くのは危険です」
「森に入るのか……」
村人たちの顔に恐怖が浮かぶ。
「今夜は俺が取りに行きます。ただ、運べる量に限りがある。飲み水を優先。洗い物や家畜用は別に考えます」
「村の東に古い貯水樽がある」
ダンが言った。
「雨水を溜めるやつだ。最近使ってないが、洗えば使える」
「それを使いましょう。洗浄は井戸水ではなく、小川の水で。小川は今のところ反応が弱い」
俺は地面に書き込む。
「明日やること。病人の確認。咳、熱、腹痛、手足のしびれ、強いだるさ。症状がある人を一覧にする。年齢と、普段どのくらい井戸水を飲んでいるかも」
「一覧……?」
村人たちが困惑する。
「紙に書くということです。誰がどの症状か、頭で覚えていると抜けます。あとで対策が取れない」
村長がすぐに頷いた。
「それは私がやります。字の書ける者を集めましょう」
「お願いします」
「原因調査は?」
ダンが聞いた。
「井戸の水脈と、黒い杭の位置を照らし合わせます。今日抜いた杭とは別に、この近くにあと二本あるらしい。東の沢沿いと、旧国境道の分岐点」
「東の沢だと?」
ダンの表情が変わった。
「何か?」
「村の井戸は、東の沢と同じ地下水を引いてるって聞いたことがある。昔、井戸を掘った職人がそう言ってた」
「それなら、次は東の沢の杭が最優先です」
つながった。
完全な証拠ではない。
だが、状況はかなり黒い。
東の沢沿いの杭が地下水を汚し、それが井戸へ流れている。
そう考えると、村の症状とも合う。
「明日の朝、東の沢へ行きます」
「俺も行く」
ダンが即座に言った。
村長が驚く。
「ダン、お前……」
「井戸に関わるなら、村の人間が見た方がいいだろ。そいつ一人に任せるわけにはいかない」
言い方は刺々しい。
だが、悪くない。
「助かります」
俺は言った。
「ただし、森の中では俺と森の指示に従ってください。危険な場所では止まる。魔物を見ても勝手に攻撃しない。草木を不用意に切らない」
「俺に命令するのか」
「森の中で死なないための条件です」
ダンは舌打ちした。
「……分かった」
それだけ言えれば十分だ。
井戸水の危険が分かったことで、村は一気に慌ただしくなった。
村長は字の書ける者を集め、病人の聞き取り役を決めた。
ダンは数人の若者を連れて、古い貯水樽を運び出した。
母親たちは子どもに井戸水を飲ませないよう声をかけ合っている。
不安はある。
だが、やることが決まると、人は少し落ち着く。
前世でも同じだった。
正体不明のトラブルが一番怖い。
原因が全部分からなくても、まず今日やることが見えれば、現場は動ける。
「レオスさん」
ミナが小走りでやってきた。
「おじいちゃん、少し眠れました。呼吸もさっきより楽そうです」
「よかった」
「これ、おじいちゃんの薬草帳です。村長さんが、レオスさんに見せていいって」
ミナが両手で古い革表紙の帳面を差し出してきた。
俺は丁寧に受け取る。
かなり年季が入っている。
表紙の端は擦り切れ、何度も開かれた跡がある。
中を開くと、手描きの地図と薬草の絵がびっしり書かれていた。
死の森南縁。
東の沢。
旧国境道。
灰根ウサギの通り道。
清風草の群生地。
白露苔の水場。
そして、今では黒く塗り潰されているはずの森の入口に、小さな祠の印があった。
「これはすごいな……」
俺は思わず呟いた。
ただの薬草帳ではない。
森と人がどう付き合っていたかの記録だ。
どこまで入っていいか。
どの季節に何を採っていいか。
採りすぎてはいけない場所。
迷った時に水を供える石。
危険な魔物の縄張り。
森が嫌がる行為。
細かく書かれている。
「これ、借りてもいいか?」
「はい。でも、おじいちゃんが大事にしてるものなので……」
「必ず返す。汚さない」
ミナは安心したように頷いた。
俺は帳面をめくりながら、肩のポルに聞く。
「ポル、この地図と森の感覚、合わせられるか?」
ポルがぷるんと震える。
同時に、森から薄い感覚が流れてきた。
地図の線と、森の現在の地形が頭の中で重なる。
変わっている場所がある。
沢の流れが少しずれた。
薬草の群生地が一部枯れた。
灰根ウサギの通り道も、黒い杭を避けるように曲がっている。
「やっぱり、東の沢周辺がかなり変わってる」
俺は地図の一部に指を置いた。
「ここに杭があるなら、井戸への影響も説明できる」
ミナが不安そうに覗き込む。
「井戸、元に戻りますか?」
「すぐには難しいかもしれない。でも、汚れの元を止めて、きれいな水を入れ替えていけば可能性はある」
「本当ですか?」
「約束はしない。けど、やる価値はある」
ミナは真剣な顔で頷いた。
「私も手伝います」
「ありがとう。でも、明日の森には連れていけない」
「どうしてですか?」
「危険だから」
ミナは少し不満そうな顔をした。
その表情に、俺は苦笑する。
「代わりに、村でやってほしいことがある」
「村で?」
「トマスさんから聞ける範囲で、昔の森の決まりをまとめてほしい。どこで水を供えるか。採っていい薬草の量。入ってはいけない季節。そういうこと」
ミナの顔がぱっと明るくなった。
「できます!」
「助かる。森と村の関係を戻すなら、その決まりが必要になる」
「はい!」
ミナは薬草帳の写しを取るため、家へ駆けていった。
やることを渡すと、人は前を向きやすい。
子どもでも、大人でもそれは同じだ。
その後、俺は村人たちと一緒に森の外縁の湧き水へ向かった。
全員を連れていくわけにはいかない。
ダンと若者二人、それから村長の補佐役が一人。
大きな水袋と樽を持てるだけ持っていく。
森の入口に立つと、若者たちは露骨に緊張した。
「本当に入るのか……」
「森の中って、もっと瘴気で真っ暗なんじゃ」
「道から外れないでください」
俺は先に立つ。
「それから、草を踏む時は俺の足跡を踏んで。光っている草には触らない。灰色の苔は滑るので避ける」
「細かいな」
ダンが言う。
「細かいことで生き残る場所なので」
森が、俺たちの前でゆっくり道を開けた。
村人たちが息を呑む。
ダンでさえ、言葉を失っていた。
木々が左右へ分かれ、足元の毒草が静かに倒れていく。
枝の上には黒い鳥が止まり、俺たちをじっと見ている。
だが、襲ってはこない。
むしろ、見張っている。
案内している。
「死の森が……道を」
補佐役の男が震える声で呟いた。
「昔はこうだったのか?」
ダンが誰に言うでもなく言った。
俺は答えなかった。
それは俺が言うことではない。
この村の人たちが、自分で感じるべきことだ。
やがて、湧き水に着いた。
木の根元から、細く澄んだ水が流れている。
ポルが先に触れた。
異常なし。
白露苔も淡く光る。
「飲み水として使えます。ただし、一度布でこして、念のため沸かしてください」
「分かった」
ダンは黙々と水を汲み始めた。
さっきまでの刺々しさは少し薄れている。
若者たちも作業を手伝う。
森は静かにそれを見ていた。
俺は水場の横に、小さな石が積まれているのを見つけた。
薬草帳にあった、水を供える場所だ。
古い祠というほど立派ではない。
ただ、平たい石が三つ、重ねられているだけ。
だが、森からは懐かしさが流れてきた。
「ダンさん」
「あ?」
「昔の決まりでは、ここに水を供えていたそうです」
「水場に水を供えるのか?」
「たぶん、もらうだけじゃないって意味でしょう」
ダンは石積みを見た。
しばらく黙っていたが、やがて自分が汲んだ水を少しだけ手ですくった。
そして、石の前に落とす。
「……これでいいのか」
森が静かに揺れた。
風が吹き、ダンの足元に落ちていた枯れ葉がふわりと舞う。
それだけだ。
奇跡の光も、神の声もない。
でも、俺には分かった。
森は喜んでいた。
ダンは気まずそうに目を逸らす。
「別に、信じたわけじゃない」
「はい」
「弟のことを許したわけでもない」
「それも、はい」
「ただ、水をもらうなら、礼くらいはする」
「十分だと思います」
ダンは鼻を鳴らし、再び水を汲み始めた。
大きな一歩ではない。
でも、小さな一歩だ。
こういうのを積み重ねるしかない。
村へ戻る頃には、空が少し白み始めていた。
夜明けが近い。
村人たちは安全な水を受け取り、病人の家へ運んでいく。
井戸には一時使用禁止の縄が張られた。
村長が、村人たちに説明している。
混乱はある。
不安もある。
だが、最悪の混乱にはなっていない。
村が動き始めていた。
「レオスさん」
村長が俺のところへ来た。
「病人の聞き取りですが、夜明けまでには一度まとめます。それと、東の沢へ向かう件、私も同行した方がよろしいでしょうか」
「村長は村に残ってください」
「しかし」
「井戸水を止めた直後です。村で判断する人が必要です。俺とダンさんが見てきます。戻ったら報告します」
村長は少し考え、頷いた。
「分かりました。ダンを頼みます」
「俺が頼まれる側かよ」
近くで聞いていたダンが不満そうに言った。
「森の中では俺の方が慣れてます」
「……今だけだからな」
「はい。今だけで十分です」
ダンはまた鼻を鳴らした。
だが、さっきよりずっと話しやすい。
完全に信用されたわけではない。
それでいい。
疑いながらでも、同じ問題に向かえるなら前進だ。
その時、俺の頭の奥に森の感覚が流れ込んできた。
東の沢。
黒い杭。
そして、その周囲に動く人影。
一人ではない。
複数。
王国兵かと思ったが、少し違う。
鎧の音が軽い。
足運びが粗い。
山賊?
いや、違う。
男たちは木箱を運んでいる。
黒い杭の近くへ。
木箱の中から、嫌な臭いが漏れている。
鉄。
薬品。
腐敗。
昨日の杭と同じ臭い。
「……まずいな」
俺は呟いた。
ポルが肩でぷるんと震える。
「どうした?」
ダンが問う。
「東の沢で、誰かが作業してる」
「兵士か?」
「分からない。でも、黒い杭に関係してる可能性が高い」
ダンの表情が鋭くなった。
「今から行くのか」
「休みたいところですが、放っておくと井戸の汚染が悪化するかもしれない」
正直、体は重い。
昨夜からほとんど眠っていない。
黒い杭を抜き、兵士と交渉し、トマスさんを助け、井戸水を調べ、水を運んだ。
普通なら倒れて寝たい。
だが、今止まると手遅れになる可能性がある。
こういう時は、全部自分で抱えない。
「村長、病人の聞き取りと水の配布は任せます。ミナには薬草帳の写し。俺はダンさんと、東の沢を確認します」
「分かりました」
「ダンさん、行けますか?」
「誰に聞いてる」
ダンは山刀を腰に差し直した。
「村の井戸に毒を入れてる奴がいるかもしれないんだろ。行くに決まってる」
「森では俺の指示に従う。忘れないでください」
「分かってる」
ダンは不機嫌そうに言ったが、目は真剣だった。
俺はポルを肩に乗せ直し、薬草帳を荷物に入れる。
森の方を見ると、朝もやの向こうで木々が静かに道を開き始めていた。
東の沢へ。
黒い杭へ。
井戸を汚す原因へ。
そして、杭を管理している何者かの元へ。
「よし」
俺は息を吐いた。
「水源調査、第二段階だ」
ポルがぽよんと跳ねる。
ダンが呆れたように俺を見る。
「お前、本当に冒険者か? 言い方が役人みたいだぞ」
「前の職場の名残です」
「何の職場だよ」
「説明すると長いです」
俺たちは森へ向かって歩き出した。
背後では、村人たちが井戸に縄を張り、樽を洗い、病人の家を回っている。
森の中では、黒い杭のそばに怪しい人影。
村と森。
人間と魔物。
王国と国境。
いくつもの問題が、一つの水脈のようにつながり始めていた。
なら、たどればいい。
どこから汚れが流れているのか。
誰がそれを流しているのか。
そして、どうすれば止められるのか。
俺は勇者じゃない。
魔王を倒す聖剣も持っていない。
ただの、追放されたテイマーだ。
でも、水の流れを追い、草の声を聞き、森と一緒に原因を探すことならできる。
それが今の俺の仕事だ。
ここまで読んでいただきありがとうございます!
今回は、リンド村の井戸水調査回でした。
レオスは派手な魔法で一発解決するタイプではありませんが、
「何が原因なのか」
「今日すぐやることは何か」
「村の人たちにも何を担ってもらうか」
を分けながら、少しずつ現場を動かしていきます。
森を信じるミナやトマスさんがいる一方で、森に家族を奪われたダンのような村人もいます。
死の森と人間の関係は、単純に「森は悪くない」で済むものではなさそうです。
そして次回は、井戸の水源につながる東の沢へ。
黒い杭のそばで何者かが動いているようです。
続きが気になる、面白いと思っていただけましたら、ブックマークや評価で応援していただけるととても励みになります!




