第40話:反撃の狼煙と、灰被りの玉座
第40話:反撃の狼煙と、灰被りの玉座
王都の地下深く、黒鴉商会が管理する第3秘密倉庫。
松明の炎が揺れる薄暗い石造りの空間で、出涸らしの三人は無言のまま、だが凄まじい速度で動いていた。
「……アルド、その列の木箱は無視しろ。中身は第一層のクズ石だ。狙うのは奥の壁際に積まれた、王室紋章の刻印が赤い塗料で二重に塗られている木箱だけだ」
セシルが素早く木箱の蓋をバールでこじ開け、中身の純度を右目だけで瞬時に鑑定していく。
彼の指示に従い、アルドが三十キロの大盾を背負ったままの巨躯を揺らし、鉛のように重い特級魔石の詰まった木箱を次々と荷車へと積み込んでいく。
「……へっ、笑いが止まらねえな」
アルドは額に浮かんだ汗を拭い、荷車の車軸が悲鳴を上げるほどの重さになった魔石の山を見て、獰猛に歯を見せた。
「長男坊と次男坊が、王宮の金庫から金を横領してまで溜め込んだ独占資産だ。……ざっと見積もっても、これだけで親父さんの工房を百軒は新しく建てられるぜ」
「全部は運び出せない。二台の荷車に積めるのは、全体の二割……最高純度の特級品だけだ」
ライルは左手一本でアルドの積み込みをサポートしながら、倉庫の奥にそびえ立つ、残された大量の魔石の山を見上げた。
「セシル。残りの八割はどうする? このまま残しておけば、結局は兄さんたちの資金源になる」
「残すわけがないだろう」
セシルは懐から、ガドの工房で受け取った『特製の煙玉』と『発火草』、そして下水路の入り口で使った鉄化合物の酸の残りを無造作に取り出した。
「魔石は、強烈な熱と衝撃を同時に与えれば、内部の魔力が暴走して自壊する。……この閉鎖空間で連鎖爆発を起こせば、残りの魔石はすべてただの『消し炭』だ。王宮の兵站は、今夜ここで完全に消滅する」
セシルは残された木箱の山に酸を振り撒き、その中心に発火草と煙玉をセットした即席の時限爆弾を仕掛けた。導火線となる油を染み込ませた縄に、火打ち石で小さな火種を落とす。
チリチリと、暗闇の中で赤い火花が這い始めた。
「……時間だ。ズラかるぞ」
セシルの合図で、アルドが二台の巨大な荷車の取っ手を握り締め、腹の底から気合いを入れる。
ライルが最後尾から周囲に魔法の風を巻き起こし、荷車の車輪の摩擦抵抗を極限まで減らした。
三人の少年たちは、莫大な富を乗せた荷車と共に、下水路の暗闇へと音もなく溶け込んでいった。
その数分後。
地下迷宮の奥底で、鼓膜を突き破るような重低音の連鎖爆発が轟き、長兄ギリウスと次兄グリードが築き上げた莫大な独占資産は、王都の地面を微かに揺らしただけで、跡形もなく灰へと帰した。
翌朝。王宮は、かつてないほどの怒号と混乱に包まれていた。
「――なんだと!? 第3倉庫が何者かに襲撃され、魔石がすべて焼失しただと……ッ!?」
王宮の東翼。次兄グリードの執務室で、豪奢な調度品が次々と床に叩きつけられていた。
常に冷徹な笑みを浮かべていたグリードの顔は、屈辱と怒りでどす黒く染まり、報告に上がった黒鴉商会の元締めを蹴り飛ばしていた。
「ふざけるな! あそこには市場を完全に支配するための、数万個の魔石が備蓄されていたんだぞ! 警備の傭兵どもは何をしていた!!」
「も、申し訳ございません、グリード殿下! ですが、襲撃者の手口があまりにも不可解で……」
鼻血を流す男が、床に這いつくばりながら震える声で報告する。
「警備の三人は、背後から接近された形跡すらなく、一瞬で制圧されていました。……一人は顔面を巨大な鉄塊で粉砕され、もう一人は足の腱を鋭利な鋼線で切断。そして、残る一人は……」
「……『針の穴』ほどの傷で、延髄だけを正確に貫かれていた、だったな」
執務室の扉が開き、長兄ギリウスが重い足取りで入ってきた。
その顔には、弟のグリードのような分かりやすい激昂はない。だが、その瞳の奥には、得体の知れない侵入者に対する、底冷えするような殺意が渦巻いていた。
「ギリウス兄上……!」
「先ほど、王都の衛兵隊長から報告があった」
ギリウスは窓際へと歩み寄り、眼下に広がる王都の街並みを見下ろした。
「今日の夜明けと共に、スラムの石炭街のすべての工房に、出所不明の『特級魔石』が山のようにばら撒かれたそうだ。……それも、タダ同然の値段でな」
「なっ……!?」
グリードの顔から、一気に血の気が引いた。
「魔石の価格は、数時間で大暴落した。お前が息をかけていた御用商会どもは、高値で買い取った魔石の在庫を抱えて次々と悲鳴を上げている。逆に、息の根が止まりかけていたスラムの独立工房には、いっせいに炉の火が入り始めた」
ギリウスは、窓枠を握る手にギリッと力を込めた。石造りの窓枠が、彼の無意識に漏れ出した炎の魔力によって黒く焦げる。
「……ただの盗賊ではない。巨大な盾で正面から敵を粉砕する重戦士。罠と劇薬を操る暗殺者。そして、無音で脳髄を貫く『未知の狙撃魔法』を使う魔術師……。王都の地下に、我々の喉首を狙う、とんでもない化け物が潜り込んだということだ」
二人の兄は、自分たちの足元をすくい上げたその正体不明の『化け物』が、日頃から最も無能だと見下し、視界の端にすら留めていない『出涸らしの弟』と、その取り巻きの少年たちであることなど、夢にも思っていなかった。
同じ頃。
王都の最下層、石炭街。
灰色の空へ、幾十もの煙突から、勢いよく黒煙が立ち昇っていた。
ガドのドワーフ工房にも、数ヶ月ぶりに巨大な溶鉱炉に火が入り、灼熱の炎がゴォォォォッと凄まじい音を立てて燃え盛っている。
「……ははっ、見ろよ、ライル、セシル」
工房の裏手にある高台。
そこから、活気を取り戻した石炭街の煙突群を見下ろしながら、アルドが泥と煤にまみれた顔で笑った。
「ああ。最高に綺麗な景色だ」
ライルは、左手でガドの作ってくれた右腕の拘束具のベルトを締め直しながら、静かに微笑んだ。
王宮の綺麗な庭園や、豪華なシャンデリアの光よりも、この泥臭く、煤にまみれたスラムの煙こそが、今の彼らにとって最も美しい「勝利の証」だった。
「これで、第一段階はクリアだ」
セシルは、新しい手帳のページに羽ペンを走らせながら、冷静に次の手を読み始めていた。
「お前の兄貴たちの資金源は絶った。御用商会の連中も、暴落した魔石の負債を抱えてすぐには動けない。……だが、あのギリウスがこのまま黙って引き下がるはずはない。次は武力による直接的な報復か、あるいはさらに陰湿な政治的包囲網を敷いてくるはずだ」
「上等だ。どんな手が来ようと、俺たちが全部ぶっ壊す」
アルドが、足元に置かれたひしゃげた『鉄屑の大盾』をドンと蹴り鳴らした。
「俺が壁になり、セシルが罠にハメる。……そして、お前が穿つ。そうだろ、ライル」
ライルは、眼下に広がる王都の中心――そびえ立つ白亜の王城を、冷たく、だが確かな熱を帯びた瞳で見据えた。
出涸らしと嘲笑われた無能の王子。
剣を振るう才能すらないと見捨てられた三男坊。
すべてを奪われ、片目を失った商人の息子。
彼らが「死の洗礼」の森で味わった三ヶ月の地獄は、彼らから弱さと甘さを削ぎ落とし、王国の歴史上、最も泥臭く、最も冷酷で、最も強靭な「三位一体の怪物」を生み出した。
「……さあ、反撃の続きを始めようか」
ライルの左手の指先で、極細の風が鋭く鳴った。
「王宮のすべてを、下から全部引きずり下ろしてやる」
冬の風が、三人の少年の外套を大きく揺らした。
灰被りの玉座を目指す、反逆の物語。その凄絶なる第二の幕が、今、静かに降りた。
第2章 完
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