第8話 俺、ついに来訪者の気配を感じる
その日も、俺は暇だった。いや、正確には、俺にとって「その日」という表現が正しいのかすら分からない。
朝も夜もない。時計もない。眠りもしない。気が付けば、鉱石を吸収して身体を鍛え、妄想して、また鉱石を吸収している。
改めて考えると、すごい生活だ。
「健康的……なのか?」
食事なし。睡眠なし。運動だけは大量。
「いや、絶対違うな」
◇
俺はいつものように部屋の中央へ立ち、来訪者対応の練習をしていた。扉が開く。冒険者が入ってくる。俺は慌てず、ゆっくりお辞儀。
ぺこり。
次にプレゼント用の鉱石を差し出す。一歩下がる。敵意なしをアピール。
完璧。何度やっても完璧である。
「もう実戦でも余裕だな」
俺は満足して頷いた。ちなみに実戦経験はゼロ。
◇
続いて女性冒険者用。いや、別に対応を変えるわけではない。平等。そこは大事。
ただ、少しくらい姿勢を良くしてもいいだろう。俺は背筋を伸ばした。胸を張る。
「角度はこれくらいか?」
少しやりすぎた。
「違うな」
修正。
「自然体」
大人の男は余裕である。童貞だけど。
関係ない。
◇
脳内シミュレーション開始。
『きゃっ……! ゴーレム!?』
女性冒険者、警戒。俺、動かない。
『こ、この魔物……何もしない?』
俺、ゆっくりお辞儀。
『え……?』
俺、鉱石プレゼント。
『これを……私に?』
俺、こくり。
『ありがとう……』
ここ、重要。俺は余裕を持って胸に手を当てる。
『なんて紳士的なゴーレムなの……』
俺は妄想を停止した。
「いい」
完璧。
「完全にいける」
何がいけるのかは分からない。ただ、自信はあった。
◇
問題は、その後である。
『あの……もしよかったら、少しお話ししませんか?』
俺、喋れない。
終了。
「やっぱりここが最大の壁なんだよな……」
どうにかして意思疎通する方法はないか。ジェスチャー。指差し。床に絵を描く。
絵。
「ありだな」
俺は床へ指を押し当ててみた。硬い床だが、今の俺なら少し力を入れれば削れる。
ガリ。ガリガリ。
試しに人の顔を描いてみる。丸。目。口。
できた。
いや、待て。
「怖っ!」
床に刻まれた顔が妙に不気味だった。
「子供の落書きじゃん!」
俺は慌てて消した。削った床なので、完全には消えなかった。傷跡だけ残った。
「もっと怖くなった!」
◇
俺は頭を抱えた。
「文字が書ければなぁ……」
前世の日本語なら書ける。だが、この世界の人間が日本語を読めるとは思えない。
そもそも。
「この世界、日本語あるのか?」
分からない。今まで誰とも会っていないのだから、当然だ。
もし、異世界語しかなかったら。
『こんにちは』
俺は『こんにちは』と日本語を書く。
相手。
『???』
終了。
「異世界転生、言語チートくらい付けとけよ!」
俺は天井へ向かって抗議した。返事はない。
「説明も特典も何もなし!」
転生サービスとして不親切すぎる。
◇
しかし、いつまでも不満を言っていても仕方ない。
「ジェスチャーで何とかするしかない」
俺は再び練習へ戻った。こんにちは。お辞儀。
敵じゃない。両手をゆっくり見せる。
プレゼント。鉱石を差し出す。
ありがとう。胸に手。
そして。
「好きです」
俺は止まった。
いや。
「これは今いらない」
まだ出会ってすらいない。危ない。
「俺は何の練習してるんだ」
◇
それからまた、どれだけ時間が経ったのか分からない。俺はいつも通り鉱石を吸収し、身体を鍛え、時々妄想し、また扉を見る。
そんな日々の繰り返し。変化なんて何もない。だから、最初は気のせいだと思った。
「…………ん?」
俺は動きを止めた。何か、聞こえた気がした。
静かにする。いや、元から静かだ。
耳を澄ます。耳が機能しているのかはよく分からない。だが、何かを感じた。
向こう。扉の向こう。
微かな振動。ほんの少し。
カツ。
「…………」
俺は固まった。今、何か。
もう一度。
カツ。
音。
音だ。
俺以外の、音。
◇
俺はゆっくり立ち上がった。そして、心の中で呟く。
「来た?」
待つ。
カツ。カツ。
今度は、はっきり。複数。
足音。
俺は震えた。実際に身体が震えたのかは分からない。だが、気持ちは完全に震えていた。
「人……?」
来た。
「人!?」
本当に!?
「人が来た!?」
俺はその場で跳び上がりそうになった。だが。
「待て!」
危ない。落ち着け。
「落ち着け俺!」
ここで暴れたら駄目だ。何年。何十年。いや、どれくらい待ったか分からない。
とにかく。
「ついに!」
来訪者。本物。
「実戦!」
◇
俺は慌てて部屋の中央へ移動した。
「位置!」
中央。よし。
「姿勢!」
自然体。よし。
「プレゼント!」
俺は準備していた鉱石を持つ。待て。最初から持っていたら怪しくないか?
「武器に見える?」
いや、石だ。
「でも投げると思われるかも」
戻す。いや、後から拾ったら急な動きになる。
持つ? 置く? 持つ? 置く?
「どっち!?」
俺は一人で混乱した。
◇
扉の向こう。足音が近付いてくる。
カツ。カツ。カツ。
「やばいやばいやばい!」
時間がない。
「鉱石は後!」
俺はプレゼント用鉱石を床へ置く。
「まず挨拶!」
お辞儀。
「よし!」
敵意なし。
「よし!」
急に動かない。
「よし!」
女性だった場合。
「余裕!」
本当に?
「余裕!」
自分に言い聞かせる。
◇
足音、複数。何人だ? 二人? 三人?
もっと? 勇者パーティー? いや、分からない。冒険者かもしれない。
女の子、いるかな。
「待て俺!」
期待するな!
「まず生存確認!」
この世界で初めて、俺以外の存在。人間。
人間だよな? 魔物だったらどうしよう。
まあ。
「それでもいい!」
とにかく誰か!
◇
扉の向こうから、何か話し声のようなものが聞こえた。
「…………!」
声。人の声。内容は分からない。
でも。
「喋ってる!」
人だ!
「人間だ!」
俺は嬉しさのあまり、その場で拳を握った。
「うおおおおおおお!!」
声は出ない。よかった。もし出ていたら、今の絶叫だけで全部台無しだったかもしれない。
◇
俺は必死に落ち着こうとした。
「いいか俺」
何度も練習した。大丈夫。完璧。
「まず、お辞儀」
ゆっくり。
「次に敵意なし」
変な動きをしない。
「相手が怖がっていたら」
距離を取る。
「武器を向けられても」
慌てない。
「攻撃されても」
避ける。
避ける。
あれ? 俺、どれくらい速いんだ?
まあいい。その時考える。
◇
そして、もっと重要なこと。
「絶対に近付きすぎない」
俺は身体が大きい。しかも最近、自分でもよく分からないくらい速い。
「ゆっくり」
そう、ゆっくり。
「一歩ずつ」
大人しく。紳士的。
「絶対走らない」
重要。
「絶対に走らない!」
俺は念押しした。
◇
扉の向こうで、大きな音がした。
ガコン。
「…………!」
俺は背筋を伸ばした。
「来る!」
心臓はない。だが、心臓があるなら、間違いなく今、爆速で鳴っている。
扉が、ゆっくり動き始めた。
ゴゴゴゴゴゴ……。
開く。
開いてる。
俺が何度押しても、殴っても、蹴っても開かなかった扉が、外側から開いていく。
本当に。
「来た……」
光。久しぶりに見る。いや、この世界に来てから初めてかもしれない。扉の隙間から、向こうの光が差し込んでくる。
眩しい。
そして、影。一つ。二つ。三つ。
三人。
人影。
◇
俺は完全に固まった。来た。本当に、人が。
待ちに待った、来訪者。
落ち着け。
「俺」
お辞儀。そう。
「お辞儀!」
扉がさらに開く。人影がはっきりしていく。
一人、剣。一人、杖らしきもの。一人、武器。
俺は必死に、自分へ言い聞かせた。
「絶対に走るな」
ゆっくり。
「絶対に近付きすぎるな」
紳士。
「絶対に興奮するな」
そして、三人の姿が完全に見えた。
全員。
男。
「…………」
俺は少しだけ。本当に、ほんの少しだけ。
「……女の子、いないのか」
がっかりした。だが、すぐに首を振る。
「いや!」
そんなことはどうでもいい!
「人だ!」
人間!
「初めての人間だぁぁぁぁぁぁ!!」
俺の中で、何かが弾けた。
次の瞬間、俺はさっきまで自分に言い聞かせていたことを、全部忘れた。




