第38話 俺、人生初のお見舞いを受ける
風邪をひいた。
いや、もう熱は下がったんだけどな。
人間になって初めての体調不良。それは、千年以上生きた俺にとって、なかなか衝撃的な出来事だった。
何しろゴーレムだった頃は、どれだけ動いても疲れないし、病気になることもなかった。それが今では、熱が出ただけで布団から起き上がるのも一苦労である。
人間って弱い。
改めてそう思った。
ただし、悪いことばかりではなかった。聖女が看病してくれたし、勇者も何だかんだ言いながら付き添ってくれた。
家族がいるというのは、こういう時にありがたい。
……まあ、勇者には散々からかわれたけど。
◇
翌朝、目を覚ますと身体が随分と軽くなっていた。
頭の重さもなくなり、喉の違和感もほとんどない。布団から起き上がってみても、昨日のようにふらつくことはなかった。
よし。
復活だ。
俺は両手を握った。
力も入る。
これなら今日から勉強を再開できるだろう。
魔力の練習もしたいし、文字の勉強も進めたい。それに、しばらく会っていないリナとも遊びたい。
やることは山ほどある。
俺が意気揚々と布団から抜け出そうとした、その時だった。
「アレン?」
聖女が部屋へ入ってきた。
◇
聖女は俺を見るなり、少し驚いた顔をした。
そして、すぐに額へ手を当ててくる。
昨日と同じ確認だ。
しばらくして、聖女は安心したように微笑んだ。
「まーま!」
俺が元気よく呼ぶと、聖女は嬉しそうに返事をしてくれた。
よし。
これで勉強再開だな。
俺は机の方を指差した。
そこには昨日まで使っていた教材が置かれている。
聖女は俺の視線を追い、少し考え込んだ。
そして。
首を横へ振った。
……。
え?
駄目?
◇
『アレン、今日はまだ休みだってさ』
いつの間にか部屋へ来ていた勇者が言った。
俺は振り返る。
何でだよ。
もう元気だぞ。
『熱が下がったばかりなんだから、無理するなって』
……。
またそれか。
俺は少し不満そうな顔をした。
『お前、本当にじっとしてるの苦手になったな』
勇者が笑う。
当たり前だ。
何百年もじっとしていたんだぞ。
ようやく外へ出られるようになったのに、また寝てろと言われたら退屈するに決まっている。
『まあ、今日は大人しくしてろよ。明日になっても元気なら、勉強を再開すればいいだろ』
……仕方ない。
俺は渋々頷いた。
◇
朝食を食べ終えると、俺は居間の絨毯へ座らされた。
周囲には積み木や人形が置かれている。
どうやら、ここで大人しく遊んでいろということらしい。
……。
また積み木か。
いや、別に嫌いじゃない。
最近は上達してきたし、リナと遊ぶ時にも役に立つ。
でも、毎日毎日積み木ばかりというのも、どうなんだろう。
俺は小さな木片を手に取った。
一個。
二個。
三個。
順調に積み上がる。
……。
暇だ。
結局、そこへ戻るのか。
◇
俺が積み木の塔を完成させた頃、玄関の方から物音が聞こえてきた。
誰か来たらしい。
聖女が出迎えに行く。
しばらくすると、聞き覚えのある声がした。
「アレン!」
……ん?
この声。
俺は顔を上げた。
玄関から、小さな女の子が姿を現す。
栗色の髪。
大きな瞳。
そして、手には布製の人形。
リナだった。
「リナ!」
俺は思わず声を上げた。
◇
リナは俺を見ると、嬉しそうに駆け寄ってきた。
その後ろには、彼女の母親もいる。
どうやら聖女から俺が熱を出したと聞き、お見舞いに来てくれたらしい。
……お見舞い。
そうか。
俺、今お見舞いされてるのか。
前世では、友達が病気になったら見舞いに行くことはあった。
でも、自分がこうして訪ねてもらう経験は、あまりなかった気がする。
しかも、相手は二歳の女の子。
何だろう。
妙に緊張する。
いや、別に変な意味じゃないぞ。
友達がお見舞いに来てくれたんだ。
嬉しいに決まっている。
◇
「アレン、だいじょぶ?」
リナが心配そうに顔を覗き込んできた。
俺は頷く。
「だいじょぶ!」
するとリナは安心したように笑った。
「よかった!」
そして、小さな手を伸ばして俺の額に触れる。
……お。
聖女と同じことをしている。
熱がないか確かめているのだろう。
リナはしばらく考えるような顔をしたあと、満足そうに頷いた。
「なおった!」
……。
何だ、この可愛い診察。
俺は思わず笑ってしまった。
◇
リナは持っていた人形を俺へ差し出した。
「これ!」
俺は受け取る。
いつも一緒に遊んでいる、布製の人形だった。
……ん?
どうした?
リナは何かを一生懸命説明し始めた。
しかし、まだ俺の語彙では全部を理解できない。
困っていると、勇者が横から教えてくれた。
『アレンが寂しくないように、連れてきたんだってさ』
……。
え?
そうなの?
俺は人形を見つめた。
柔らかい布。
少し曲がった腕。
何度も遊んだせいか、ところどころくたびれている。
でも、リナが大切にしている人形だ。
それを俺のために持ってきてくれた。
……何だよ。
嬉しいじゃないか。
◇
「ありがと」
俺が言うと、リナは嬉しそうに笑った。
「うん!」
それだけで会話は終わった。
でも十分だった。
リナは俺の隣へ座り、もう一つ持ってきた小さな人形を取り出した。
どうやら一緒に遊ぶつもりらしい。
俺は思わず身を乗り出した。
よし。
久しぶりの人形遊びだ。
今日こそ、前回より面白い展開を考えてやる。
……と、思ったのだが。
『アレン』
勇者が声をかけてきた。
『今日はまだ病み上がりなんだから、ほどほどにな』
……。
分かってる。
分かってるけど。
せっかくリナが来てくれたんだぞ。
少しくらい遊んでもいいだろ。
◇
結局、聖女の許可をもらい、短い時間だけ遊ぶことになった。
リナは人形を持ち上げる。
「こんにちは!」
俺も人形を動かした。
「こんにちは!」
懐かしい。
いや、数日ぶりなんだけど。
何百年も誰とも遊べなかった俺にとって、こういう時間は本当に貴重だった。
リナは人形を歩かせ、積み木で作った家へ向かわせる。
「おうち!」
俺も人形を追いかけさせる。
するとリナは楽しそうに笑った。
……いいな。
こういうの。
◇
しばらく遊んでいると、リナが突然立ち上がった。
「まってて!」
そう言って母親のところへ走っていく。
何だ?
俺が不思議に思っていると、リナは小さな包みを持って戻ってきた。
「はい!」
差し出された包み。
俺は首を傾げた。
中身は何だろう。
勇者が覗き込む。
『ああ、お見舞いの果物だって』
果物。
なるほど。
リナの母親が持たせてくれたらしい。
包みの中には、赤い果実がいくつか入っていた。
……あ。
これ。
ラーナだ。
俺が最初に覚えた、この世界の果物。
◇
「らーな!」
俺が声を上げると、リナが嬉しそうに頷いた。
「おいしい!」
そう言って、一つを指差す。
なるほど。
食べてほしいのか。
俺は果物を受け取ろうとしたが、聖女が先に手を伸ばした。
どうやら洗って、小さく切ってくれるらしい。
……そうだった。
今の俺は一歳児。
果物も、そのまま丸かじりするわけにはいかない。
聖女が用意してくれる間、リナは隣で楽しそうに待っていた。
何だか本当に、お姉ちゃんみたいだ。
◇
しばらくして、小さく切られたラーナが運ばれてきた。
俺は一切れ口へ運ぶ。
甘い。
少し酸味もある。
美味い。
「おいし!」
リナが笑った。
「よかった!」
そして、自分も一切れ食べる。
二人で顔を見合わせ、笑った。
たったそれだけ。
でも、何だか幸せだった。
……。
そういえば。
俺、前世でこんな経験あっただろうか。
誰かがわざわざお見舞いに来て、好きなものを持ってきてくれる。
それを一緒に食べる。
何でもないことのようで、実はすごくありがたいことなのかもしれない。
◇
そんなことを考えていると、勇者が俺たちの様子を見て笑った。
『アレン、良かったな』
俺は頷く。
『可愛いお友達が、お見舞いに来てくれて』
……。
まあ。
そうだな。
『しかも果物まで持ってきてくれたぞ』
うん。
嬉しい。
『お前、千年以上童貞だった甲斐があったな』
「だぁぁ!」
それは関係ないだろ!
何でそこで童貞ネタになるんだよ!
勇者は楽しそうに笑っている。
まったく。
この男。
父親になっても、ろくなことを言わない。
◇
リナが俺を見た。
「アレン?」
どうやら急に叫んだので驚いたらしい。
俺は慌てて首を横へ振った。
「だいじょぶ!」
リナは少し考えたあと、俺の頭を撫でてくれた。
「よしよし」
……。
おい。
勇者。
見ろ。
お前のせいで、二歳の女の子に慰められてるじゃないか。
勇者は口元を押さえていた。
笑いを堪えているらしい。
……絶対に許さん。
◇
その後、リナはしばらく俺と遊んでくれた。
人形遊び。
積み木。
簡単な言葉の練習。
ただし、いつものように長時間遊ぶことはできなかった。
聖女が俺の体調を気にしていたからだ。
俺も無理はしないことにした。
何しろ昨日、初めて人間の身体の弱さを実感したばかりである。
ここでまた熱を出したら、さすがに笑えない。
それに、リナを心配させたくなかった。
せっかく元気になった姿を見せられたんだから。
◇
帰る時間になると、リナは少し寂しそうな顔をした。
「アレン、またあそぶ?」
俺は頷いた。
「うん!」
「やくそく!」
いつものように、小さな手が差し出される。
俺も手を伸ばした。
そっと握る。
強くしないように気を付けながら。
リナは嬉しそうに笑った。
そして、もう一度俺の額へ手を当てた。
「げんき!」
……。
何だろう。
最後までお医者さんみたいだな。
俺は笑った。
「げんき!」
◇
リナたちが帰ったあと、俺は居間で少し休んでいた。
聖女が隣へ座り、今日のことを何か話している。
全部は分からない。
でも、リナが来てくれて良かったね、というようなことを言っているらしい。
俺は頷いた。
「うん!」
聖女が優しく笑う。
俺も笑った。
そして、リナが持ってきてくれた人形を見つめた。
……。
これ、預かってていいのかな。
明日、返さないと。
いや。
次に遊ぶ時に返せばいいか。
俺は人形を大切に抱えた。
◇
夕方になると、勇者が俺の様子を見に来た。
『もうだいぶ元気そうだな』
俺は頷いた。
『今日は楽しかった?』
「うん!」
『そっか』
勇者は笑った。
そして、俺の隣へ腰を下ろした。
『良かったな。心配してくれる友達ができて』
……。
俺は少し黙った。
そうだ。
リナは俺が病気だと聞いて、わざわざ会いに来てくれた。
人形を持って。
果物を持って。
俺を心配してくれた。
それが嬉しかった。
◇
『昔のお前じゃ、考えられなかっただろ?』
勇者が言った。
俺は頷いた。
ゴーレムだった頃。
誰かが来るだけで大騒ぎだった。
やっと人間に会えたと思ったら、何故か全滅させてしまう。
そんなことの繰り返し。
友達なんて、夢のまた夢だった。
でも今は違う。
俺には家族がいる。
そして、友達もいる。
病気になれば心配してくれる人がいる。
……。
何だよ。
俺、めちゃくちゃ幸せじゃないか。
◇
勇者は俺の頭を軽く撫でた。
『これからもっと友達が増えるといいな』
俺は頷いた。
そうだな。
リナ以外にも、遊べる相手が増えたら嬉しい。
同じくらいの年齢の子供たちと一緒に遊んで、色々なことを覚えていく。
そんな普通の生活。
千年以上生きた俺には、何より贅沢なものに思えた。
勇者が笑った。
『まあ、お前は中身が千歳超えてるから、同年代の友達は無理だろうけど』
……。
おい。
いい話を台無しにするな。
◇
その夜、俺は布団へ横になった。
枕元には、リナが持ってきてくれた人形を置いてある。
俺はそれを見つめた。
小さな布の人形。
何の変哲もないものだ。
でも、今の俺にとっては大切なものだった。
誰かが、自分のために持ってきてくれた。
それだけで価値がある。
俺は小さく笑った。
……ありがとう、リナ。
◇
人間になってから、俺は色々なものを手に入れた。
身体。
名前。
家族。
友達。
そして今日、誰かに心配してもらうという経験まで手に入れた。
何百年も一人だった頃には、考えもしなかったことだ。
あの頃の俺が今の生活を見たら、きっと驚くだろう。
いや。
驚くだけじゃ済まないかもしれない。
羨ましすぎて、部屋の壁を殴り壊そうとするかもな。
……まあ、あの壁はどれだけ殴っても壊れなかったんだけど。
◇
俺は目を閉じた。
明日になれば、きっと勉強も再開できる。
魔力の練習も。
文字の勉強も。
身体の使い方も。
そして、またリナと遊べる。
やることは山ほどある。
でも、それが嬉しい。
俺には、これから十五年という時間がある。
焦らず、一つずつ覚えていけばいい。
そう思いながら、俺は眠りについた。
――こうして俺は、人間になって初めてのお見舞いを受けた。
ただし。
千年以上童貞だった男が、二歳の女の子に「よしよし」されて喜んでいるという事実だけは、できれば誰にも知られたくない。




