第35話 俺、魔法の勉強で意外な才能を発見する
魔法の実技が禁止された。
正確には、禁止というより延期である。
昨日、聖女から初めて魔法を教わった俺は、魔力を調べる石を少しだけ光らせることに成功した。しかし、それ以上のことはさせてもらえなかった。
理由は簡単。
まだ一歳児だから。
……分かってる。
分かってるけど。
異世界に転生して千年以上。ようやく人間になったというのに、魔法が使えるかもしれないと分かったところでお預けとは。
何という生殺し。
俺は机の上に置かれた魔法の本を見つめ、小さくため息をついた。
◇
とはいえ、完全に勉強できないわけではない。
むしろ聖女は、俺が魔法に興味を持ったことを喜んでいるようだった。今日も朝食を終えると、昨日の本を持ってきてくれた。
ただし、今度は魔法を見せるのではなく、仕組みを教える授業らしい。
俺は椅子に座り、真剣に本を見つめる。
聖女は最初のページを開くと、身体の中に魔力が流れる様子を描いた図を指差した。
人間の形をした絵。
その内部を、何本もの線が通っている。
……なるほど。
魔力の通り道、みたいなものか?
俺が首を傾げると、聖女はゆっくり説明を始めた。
◇
当然、この世界の言葉なので全部は理解できない。
ただ、以前よりは聞き取れる単語が増えていた。
魔力。
身体。
流れる。
使う。
どうやら魔法を使うには、体内の魔力を意識し、それを一定の方向へ動かす必要があるらしい。
聖女は指先を胸へ当て、それから手のひらへ向かって動かした。
俺も真似してみる。
胸。
腕。
手のひら。
なるほど。
イメージは分かる。
問題は、実際にそれができるかどうかだ。
……いや、駄目だ。
今日は実技禁止だった。
俺は慌てて意識を切り替えた。
危ない危ない。
◇
そこへ勇者がやってきた。
『お、今日も魔法の勉強か』
俺は頷いた。
『熱心だなあ』
当たり前だ。
異世界の魔法だぞ。
覚えられるなら覚えたいに決まってる。
勇者は俺の隣へ座ると、本を覗き込んだ。
『ああ、魔力の循環か』
循環。
なるほど。
やっぱり身体の中を魔力が流れるらしい。
『魔法を使う時は、魔力をちゃんと制御する必要があるんだよ。闇雲に流せばいいってものじゃない』
そうなのか。
ゴーレム時代の俺は、完全に闇雲だった気がする。
……よく今まで問題なかったな。
いや。
問題は山ほど起こしてたか。
◇
『お前の場合、まずは魔力を感じる練習からだな』
勇者が言った。
俺は顔を上げる。
練習?
していいの?
『魔法を発動させなければな。魔力がどこにあるか意識するくらいなら、危険も少ないだろ』
おお。
そういうことか。
それならできそうだ。
聖女も勇者の説明を聞き、少し考えてから頷いた。
ただし、何か注意しているらしい。
勇者が通訳してくれる。
『無理に魔力を動かそうとしないこと。今日は感じるだけだって』
了解。
俺は全力で頷いた。
◇
俺は椅子に座り直し、ゆっくり目を閉じた。
身体の内側へ意識を向ける。
心臓が動いている。
血が流れている。
呼吸をするたび、胸が上下する。
人間になってから、こういう感覚にも少しずつ慣れてきた。
ゴーレムだった頃は、心臓も血液もなかったからな。
それでも動けたし、魔力らしきものを使うこともできた。
では、今の身体ではどうなっているのだろう。
俺は静かに意識を集中させた。
……。
…………。
何も分からん。
◇
俺は目を開けた。
勇者がこちらを見る。
『どう?』
俺は首を横へ振った。
『分かんない?』
頷く。
『まあ、最初はそんなもんだよ』
そうなのか。
少し安心した。
聖女も優しく笑い、もう一度胸へ手を当てる仕草をした。
どうやら焦らず繰り返せということらしい。
俺は頷き、再び目を閉じた。
今度は呼吸へ意識を向ける。
吸う。
吐く。
吸う。
吐く。
……眠くなってきた。
いや待て。
寝るな、俺。
◇
しばらくすると、身体の奥に小さな温かさを感じた。
昨日、魔力を調べる石を光らせた時にも、似たような感覚があった。
これか?
俺はその感覚へ意識を向ける。
すると、温かさが少しだけ強くなった気がした。
おお。
分かる。
確かに何かある。
俺は嬉しくなった。
でも、ここで無理に動かしてはいけない。
聖女にも勇者にも、今日は感じるだけだと言われている。
俺はそのまま、静かに感覚を確かめ続けた。
◇
『……アレン?』
勇者の声が聞こえた。
俺は目を開ける。
『どうした? 急に真面目な顔して』
俺は胸を指差した。
「ま……りょく」
『魔力?』
頷く。
『もしかして、分かった?』
もう一度頷いた。
勇者が少し驚いた顔をする。
『へえ。結構早いな』
そうなのか?
俺としては、何となく温かいものを感じただけなんだが。
聖女も少し驚いたようだった。
そして、嬉しそうに笑った。
……褒められた。
何だか得した気分だ。
◇
『じゃあ、どんな感じがする?』
勇者が尋ねてきた。
俺は少し考えた。
温かい。
身体の奥。
小さい。
そういう感覚だ。
だが、今の俺では長い文章を話せない。
そこで紙と筆記具を取る。
最近は日本語なら、少しずつ書けるようになってきた。
俺は慎重に文字を書いた。
『あたたかい』
勇者が読む。
『温かい?』
頷く。
続けて書く。
『なかにある』
『身体の中にある感じか』
もう一度頷いた。
勇者は少し考え込んだ。
『なるほど。ちゃんと魔力を感じられてるっぽいな』
やった。
俺は小さく拳を握った。
◇
聖女は勇者から説明を聞くと、再び本を開いた。
今度は魔法を使う時のイメージについて教えてくれるらしい。
指先に小さな光を灯し、それがどうやって生まれるのかを説明している。
俺は真剣に聞いた。
魔力を感じる。
形を思い浮かべる。
必要な量だけ流す。
なるほど。
段階があるわけだ。
ゴーレム時代には、そんなこと一度も考えなかった。
ただ鉱石が欲しいと思うだけで、勝手に周囲から集まってきた。
……俺、どれだけ適当に魔力を使ってたんだ。
◇
『でもさ』
勇者が不思議そうに言った。
『お前、ゴーレム時代には普通に魔力を使ってたんだろ?』
俺は頷いた。
『だったら、感覚だけなら結構覚えてるんじゃない?』
……。
そう言われれば。
確かに。
あの頃、魔力らしきものを動かす感覚はあった。
ただ、今の身体とは全然違う。
ゴーレムだった頃は、身体全体が鉱石でできていたし、中央にはコアがあった。
今は人間だ。
心臓もあれば、血液もある。
同じようにできるとは限らない。
俺は首を傾げた。
『まあ、急に分かるものでもないか』
勇者が苦笑いする。
その通り。
そんなに簡単なら苦労しない。
◇
聖女は俺の様子を見ながら、何かを考えているようだった。
そして、昨日使った透明な石を取り出した。
魔力に反応する石だ。
俺は少し驚いた。
今日は実技禁止では?
勇者が聖女へ何かを尋ねる。
聖女は説明しながら石を見せた。
『ああ、なるほど』
勇者が頷く。
『魔法を使うんじゃなくて、魔力を感じる練習の確認に使うらしい』
なるほど。
そういうことか。
それなら安心だ。
◇
聖女が石を俺の手へ乗せた。
俺は慎重に受け取る。
昨日と同じ、小さな透明な石。
ただの石にしか見えない。
勇者が説明する。
『今感じた魔力を、少しだけ意識してみて』
俺は頷いた。
ただし、魔力を流そうとはしない。
身体の中にある温かさへ、意識を向けるだけ。
俺は静かに目を閉じた。
……。
…………。
あった。
さっき感じた、小さな温かさ。
俺はそこへ意識を集中させた。
すると。
手の中の石が、ほんの少し光った。
◇
『おっ!』
勇者が声を上げる。
俺は目を開けた。
石の中心に、小さな光が灯っている。
おお。
また光った。
昨日と同じだ。
でも、今回は少し違う。
昨日は何となくできた。
今日は、身体の中の温かさを意識してから反応した。
つまり。
少しだけ、魔力を感じられるようになったのかもしれない。
俺は嬉しくなった。
聖女も笑っている。
『いい感じだってさ』
勇者が通訳してくれた。
……よし。
今日も一歩前進だ。
◇
その後、何度か同じことを繰り返した。
石を持つ。
目を閉じる。
身体の奥にある温かさを意識する。
すると、石がほんの少し光る。
最初は不安定だったが、少しずつ反応させられるようになってきた。
ただし、光は弱い。
聖女が使った時のような、はっきりした光ではない。
勇者が石を覗き込む。
『魔力の量が少ないのか、それとも上手く流せてないだけなのか』
俺は首を傾げる。
どっちだろう。
『まあ、今は分かんないな』
そうだよな。
まだ一歳だし。
魔力の扱い方も覚え始めたばかりだ。
焦る必要はない。
◇
ところが。
しばらく練習していると、妙なことに気付いた。
魔力を意識している時、頭の中が妙に静かになるのだ。
余計なことを考えなくなる。
呼吸だけに集中できる。
何だろう。
この感覚。
……あ。
思い出した。
ゴーレムだった頃だ。
あの暗い部屋で、何百年も一人で過ごしていた時。
暇すぎて、何も考えずにじっとしていることがあった。
いや、正確には。
考えることが尽きて、ぼんやりしていただけなんだけど。
でも、その時の感覚に少し似ている。
……まさか。
千年の暇つぶしが、こんなところで役に立つとは。
◇
『どうした?』
勇者が俺を見る。
俺は紙を取った。
そして、ゆっくり書く。
『むかし にてる』
『昔?』
頷く。
『ゴーレムだった頃?』
もう一度頷いた。
勇者は少し考えたあと、笑った。
『ああ、なるほど。ずっと一人でいた時の感覚に似てるのか』
そうだ。
あの頃は、何百年も同じことを繰り返していた。
鉱石を吸収して。
身体を作って。
妄想して。
また鉱石を吸収して。
そして、暇すぎて何も考えなくなる。
……。
何だ、この悲しい修行歴。
◇
『お前さあ』
勇者が笑いを堪えながら言った。
『もしかして、千年ぼっちだったおかげで集中力だけは高いんじゃない?』
……。
おい。
その言い方。
何か嫌だぞ。
『いや、だって普通の人間なら、あんなに長い時間じっとしてられないだろ』
それはそうだ。
でも、俺だって好きでじっとしていたわけじゃない。
出られなかったんだよ。
『千年の孤独で鍛えられた集中力かあ』
やめろ。
格好いい名前を付けるな。
しかも実態は、ただの暇つぶしだぞ。
◇
聖女が何かを尋ねた。
勇者は笑いながら説明する。
すると聖女も少し驚いた顔をした。
そして俺へ優しく微笑む。
……何を言ったんだ?
俺が不安そうに勇者を見ると、勇者は笑った。
『母さんが、集中するのは魔法を覚える上で大事なことだって』
なるほど。
それは嬉しい。
『だから、今の練習を続ければ、きっと上手くなるってさ』
俺は頷いた。
そうか。
それなら頑張ろう。
千年ぼっちだった時間が、少しでも役に立つなら悪くない。
……まあ、できれば別の形で役に立ってほしかったけど。
◇
昼過ぎになると、練習は終了した。
聖女は石を片付け、俺の頭を撫でてくれる。
どうやら今日はここまでらしい。
俺は少し残念だったが、仕方ない。
無理に魔力を使うのは危険だと言われている。
それに、今日は十分な成果があった。
魔力を感じられた。
石を少し光らせられた。
そして、自分に集中する才能があるかもしれないと分かった。
……千年ぼっちのおかげで。
何だか複雑だ。
◇
夕食のあと、俺は自分の部屋で今日のことを振り返っていた。
魔力。
身体の奥にある、小さな温かさ。
目を閉じると、何となくその感覚を思い出せる。
でも、まだ自由に扱えるわけではない。
聖女からも、無理に魔力を動かさないように言われている。
だから今日は、これ以上何もしない。
……偉いだろ。
ちゃんと言いつけを守っているんだぞ。
千年以上生きた男として、これくらい当然だけどな。
◇
その時、勇者が部屋へ顔を出した。
『アレン、まだ起きてたのか』
俺は頷いた。
『今日の勉強、楽しかった?』
「うん!」
『そっか』
勇者が笑う。
『まあ、お前は覚えること自体が好きそうだもんな』
それはそうだ。
何百年も同じ部屋で過ごしていたからな。
新しいことを知るだけで、十分楽しい。
『でも、あんまり無理するなよ』
俺は頷いた。
分かってる。
今の俺には時間がある。
焦る必要はない。
◇
『それにしても』
勇者が何か思い出したように言った。
『千年ぼっちが魔法の才能になるとはなあ』
……。
またそれか。
『いやあ、人生何が役に立つか分からないもんだな』
「だぁ!」
うるさい!
俺だって好きで千年ぼっちだったわけじゃない!
『でも、結果的に役に立ってるんだからいいじゃん』
良くない!
……いや。
少しは良いのかもしれない。
でも、あの時間を肯定されるのは何だか複雑だった。
◇
勇者が部屋を出ていったあと、俺は布団へ横になった。
今日、俺は新しいことを知った。
魔力を感じる感覚。
そして、自分の中にある集中力。
ゴーレムだった頃の経験が、今の人生にも少しずつつながっている。
それが何だか不思議だった。
あの千年は、ただ無駄に過ぎた時間だと思っていた。
誰とも話せず、外へ出られず、妄想だけで過ごした日々。
でも、その経験が今の俺を作っている。
そう考えると。
少しだけ、意味があったのかもしれない。
◇
俺は小さな手を見つめた。
まだ一歳児。
身体能力は一般成人男性並みでも、自由に動かせるわけではない。
魔力もあるが、総量は分からない。
魔法だって、まだ使えない。
できないことは山ほどある。
でも。
少しずつ成長している。
昨日できなかったことが、今日はできる。
それが嬉しい。
何百年も変化のなかった生活とは違う。
今は毎日、新しい何かがある。
俺は小さく笑った。
◇
ただし。
一つだけ、どうしても言いたい。
勇者。
千年ぼっちを才能扱いするのはやめろ。
俺は別に、孤独の達人になりたかったわけじゃない。
むしろ、誰かと一緒にいたかった。
友達が欲しかった。
できれば彼女も欲しかった。
……いや、今は一歳児だから恋愛はまだ早いけど。
でも、いつかは。
普通に恋愛して。
ちゃんと段階を踏んで。
千年以上続く童貞という業から解放されたい。
その夢は、まだ諦めていない。
◇
俺は目を閉じた。
明日もまた、魔力を感じる練習をするかもしれない。
言葉の勉強もある。
身体の使い方も覚えなければならない。
そして、リナとも遊びたい。
やることがたくさんある。
でも、それが楽しい。
何百年も暇だった頃とは大違いだ。
俺は小さく息を吐いた。
――こうして俺は、魔法の勉強を通じて、自分の中に意外な才能があるかもしれないと知った。
ただし、その才能の正体が「千年間の暇つぶし」だということだけは、できれば誰にも知られたくない。




