第34話 俺、聖女から魔法を教わります
魔法。
異世界転生ものには欠かせない、夢と浪漫の詰まった力である。
火を出したり、水を生み出したり、怪我を治したり。前世ではゲームや漫画でしか見られなかった現象が、この世界では当たり前に存在している。
もちろん、俺だって魔法の存在は知っていた。
何しろ千年近くゴーレムをやっていたからな。
身体を作る時には魔力らしきものを使っていたし、勇者たちが神々の試練を攻略している時にも、魔法を何度か見ている。
ただし。
自分で魔法を使ったことがあるかと聞かれれば、答えは微妙だった。
あの頃の俺は、魔力をどうやって動かしているのかすら分かっていなかった。何となく意識を向けるだけで鉱石を吸収できたし、興奮しただけで魔力が暴走したこともある。
要するに、感覚任せである。
……よくそれで千年も生きてたな、俺。
◇
その日の朝、いつものように聖女と文字の勉強をしていた時だった。
聖女が一冊の本を持ってきた。
表紙には見慣れない模様が描かれている。中央には杖を持った人物らしき絵があり、その周りを小さな光が取り囲んでいた。
俺は思わず身を乗り出した。
魔法。
どう見ても魔法の本だ。
聖女は俺の反応を見て微笑むと、ゆっくり本を開いた。
そこには、炎や水、風を表した絵が並んでいた。
おお。
やっぱり魔法だ。
俺は期待を込めて聖女を見上げた。
「まほー!」
……あ。
日本語が出た。
聖女は首を傾げたが、俺が本を指差しているのを見ると、何か理解したらしい。
嬉しそうに頷いてくれた。
◇
聖女は最初のページを指差し、この世界の言葉で説明を始めた。
正直、半分も分からない。
それでも、知っている単語が増えてきたおかげで、何となく内容は理解できた。
火。
水。
風。
土。
そして光。
どうやら、魔法にはいくつかの種類があるらしい。
聖女が指先へ小さな光を灯した。
「おお!」
俺は思わず声を上げた。
指先に浮かぶ、淡い光の玉。
蝋燭よりも柔らかい光が、ゆっくり揺れている。
聖女が指を動かすと、光も一緒についていった。
……綺麗だ。
ゴーレムだった頃にも魔法は見たことがある。
でも、こうして落ち着いて観察するのは初めてだった。
あの頃は、魔法を撃たれる側だったからな。
悠長に感動している場合ではなかった。
◇
聖女は光の玉を俺の目の前へ近付けた。
俺は恐る恐る手を伸ばす。
温かい。
でも熱くはない。
不思議な感覚だった。
指先が触れると、光がふわりと揺れた。
俺は目を輝かせる。
「すごい!」
聖女が笑う。
そして何かを説明してくれた。
魔力。
その単語だけは聞き取れた。
なるほど。
この光も魔力で作っているのか。
そう考えると、少し懐かしい気がした。
ゴーレムだった頃、身体の内部には常に魔力のようなものが流れていた。
あれと同じなのだろうか。
◇
『お、今日は魔法の勉強か』
ちょうどそこへ勇者がやってきた。
俺は振り返る。
「まほー!」
『おお、言えるようになったじゃん』
ふっ。
当然だ。
俺だって日々成長している。
勇者は聖女の隣へ座ると、本を覗き込んだ。
『ああ、生活魔法の初歩だな』
生活魔法。
なるほど。
戦闘で使うものとは違うのか。
『明かりをつけたり、水を出したり、物を乾かしたり。日常生活で使う簡単な魔法だよ』
何それ。
便利すぎない?
俺は勇者を見つめた。
『……何だよ』
いや。
前世の日本にあったら、絶対に大人気だろうなと思って。
電気代も水道代も節約できそうだ。
……魔力の消費量次第だけど。
◇
『お前、魔法に興味あるの?』
勇者が聞いた。
俺は全力で頷いた。
あるに決まってるだろ。
異世界に来たんだぞ。
魔法を覚えないでどうする。
『まあ、気持ちは分かるけどな』
勇者が笑う。
『俺も最初に魔法を見た時は感動したし』
お前もか。
やっぱり日本人ならそうだよな。
『ただ、お前はまだ一歳だからなあ』
……またそれか。
俺は少し不満そうな顔をした。
『いや、今回は年齢だけの問題じゃないぞ。魔法って結構危ないんだよ』
勇者が少し真面目な顔になった。
◇
『魔力を扱うのに失敗すると、思った通りに魔法が発動しないことがある。特に火や風なんかは危険だ』
なるほど。
確かにそうだ。
火を出そうとして、周囲のものまで燃やしてしまったら大変なことになる。
俺はゴーレム時代の失敗を思い出した。
初めて女性を見た時。
興奮しただけで魔力が暴走した。
その結果、勇者たちを全滅させてしまった。
……。
うん。
説得力しかない。
俺は大人しく頷いた。
『だから、最初は見るだけにしておこうな』
……見るだけ?
使わないの?
『そう。まずは仕組みを覚えてから』
ぐぬぬ。
また基礎からか。
◇
聖女は勇者の説明を聞いていたらしく、俺へ優しく微笑んだ。
そして指先の光を消し、今度は小さな器を取り出した。
中には何も入っていない。
聖女が手をかざす。
すると、器の中に透明な水が少しずつ現れ始めた。
おおお!
水だ!
何もないところから水が出てきた!
俺は思わず器へ顔を近付けた。
ちゃんと水が入っている。
聖女が器を傾けると、水面が揺れた。
……本物だ。
勇者が笑う。
『そんなに驚くことか?』
驚くわ!
お前、前世日本人だろ!
蛇口もないのに水が出てくるんだぞ。
感動するに決まってるだろ!
◇
俺が興奮していると、聖女は今度は小さな布を取り出した。
それを水へ浸してから、軽く絞る。
当然、布は濡れている。
聖女が手をかざすと、布の表面から薄い水蒸気のようなものが立ち上った。
そして、あっという間に乾いてしまった。
「おお!」
すごい。
洗濯が一瞬で終わるじゃないか。
いや、汚れまで落ちるかどうかは分からないけど。
少なくとも乾燥機はいらない。
異世界、便利すぎる。
俺は感動していた。
すると勇者が呆れたように言った。
『お前、神々の試練であれだけ無茶苦茶なことしてたのに、生活魔法でそんなに喜ぶんだな』
当たり前だ。
強いだけじゃ生活は便利にならないんだぞ。
むしろ、こういう魔法の方が日常では役に立つ。
……俺、今いいこと言った気がする。
口には出してないけど。
◇
それから聖女は、魔法を使う時の基本について説明してくれた。
魔力を感じること。
使いたい魔法を思い浮かべること。
そして、必要以上に魔力を流さないこと。
勇者が横から通訳してくれるので、今度はかなり理解できた。
なるほど。
魔法にはちゃんと理屈があるらしい。
ゴーレム時代の俺は、そんなこと一度も考えたことがなかった。
ただ意識を向けるだけで、周囲の鉱石を吸収できたからな。
むしろ、どうやっていたのか自分でも説明できない。
……俺、本当に適当だったんだな。
◇
『そういえばさ』
勇者が突然言った。
『お前、ゴーレムだった頃は魔力をどうやって使ってたんだ?』
……ん?
どうやって?
俺は少し考えた。
鉱石が欲しいと思う。
すると近くの鉱石が寄ってくる。
それを吸収する。
以上。
……説明になってないな。
俺は紙を一枚取り、覚えている日本語をゆっくり書いた。
『なんとなく』
勇者が固まった。
『……は?』
俺は頷いた。
そう。
何となく。
『お前、あれだけの魔力を何となくで使ってたの?』
もう一度頷く。
勇者はしばらく黙ったあと、頭を抱えた。
『……やっぱ、お前おかしいわ』
失礼な。
俺だって好きであんな身体になったわけじゃない。
◇
勇者は聖女へ何かを説明した。
聖女も少し驚いた顔をする。
そして俺を見つめたあと、真面目な表情で何かを話し始めた。
勇者が通訳してくれる。
『母さんが言うには、今のお前の魔力がどうなってるか、ちゃんと確認した方がいいって』
魔力。
そういえば。
俺、人間になってから魔法を使おうとしたことがなかった。
身体能力は一般成人男性並みになった。
でも、魔力はどうなんだろう。
ゴーレム時代と同じだけ残っているのか。
それとも、人間として普通の量になっているのか。
考えてみれば、結構重要な問題だ。
『とはいえ、いきなり魔法を使わせるのは危ないからな』
勇者が続ける。
『まずは魔力があるかどうかを調べるだけにしよう』
俺は頷いた。
異論なし。
◇
聖女が小さな透明の石を持ってきた。
手のひらに収まるくらいの大きさだ。
どうやら魔力を調べるための道具らしい。
俺は興味津々で見つめた。
聖女が石を手に乗せる。
すると、石の中心が淡く光り始めた。
綺麗だ。
勇者が説明する。
『魔力を流すと反応する石だって。これなら魔法を発動させなくても、魔力があるかどうか分かるらしい』
なるほど。
便利なものがあるんだな。
聖女は石を俺の前へ差し出した。
俺は慎重に受け取る。
小さい。
軽い。
ただの透明な石に見える。
『じゃあ、少しだけ魔力を意識してみて』
勇者が言った。
◇
少しだけ。
俺は石を見つめた。
魔力。
ゴーレム時代には、いつも身体の奥にあった感覚。
あれを思い出せばいいのだろうか。
俺は静かに目を閉じた。
身体の内側へ意識を向ける。
心臓が動いている。
血が流れている。
呼吸をしている。
ゴーレムだった頃とは、何もかも違う。
でも。
何かがある。
身体の奥に、小さな温かいものがあるような気がした。
俺はそこへ意識を向けた。
すると。
手の中の石が、ほんの少し光った。
◇
『おっ』
勇者が声を上げた。
俺は目を開ける。
透明な石の中心に、小さな光が灯っていた。
おお。
反応した。
つまり。
俺にも魔力がある!
俺は嬉しくなった。
勇者が笑う。
『良かったじゃん。魔力はちゃんと残ってるみたいだな』
俺は何度も頷いた。
何だろう。
少し安心した。
ゴーレム時代の圧倒的な力はなくなった。
でも、魔法を覚える可能性は残っている。
それだけで十分だった。
◇
ただし。
聖女は石を見て、少し考え込んでいた。
俺は首を傾げる。
何かおかしいのか?
勇者が何かを尋ねる。
聖女は首を横へ振り、もう一度石を確認した。
そして、俺の手から石を受け取る。
光はゆっくり消えていった。
『どうした?』
勇者が聞く。
聖女は少し説明したあと、俺の頭を撫でた。
勇者が通訳してくれる。
『魔力はあるけど、今の反応だけじゃ量までは分からないんだって』
なるほど。
そういうことか。
『だから、ちゃんと調べるのはもう少し大きくなってからにしようって』
……。
また延期?
俺は思わず勇者を見た。
勇者も苦笑いする。
『まあ、仕方ないだろ』
ぐぬぬ。
剣術に続いて、魔法まで。
俺の修行、延期されすぎじゃない?
◇
結局、その日の魔法の授業はそこで終わった。
聖女は魔法の本を閉じると、俺へ優しく笑いかけた。
そして、最初に見せてくれた小さな光をもう一度灯してくれる。
淡い光が指先で揺れた。
俺はそれをじっと見つめた。
いつか。
俺もこんな魔法を使えるようになるんだろうか。
火や水を出したり、怪我を治したり。
誰かの役に立てるような魔法。
そう考えると、少し楽しみだった。
◇
夕食のあと、俺は自分の部屋で魔法の本を眺めていた。
もちろん、まだほとんど読めない。
でも絵だけでも十分に面白かった。
炎。
水。
風。
光。
どれも前世ではゲームの中にしかなかったものだ。
それが今、現実に存在している。
しかも、俺にも使える可能性がある。
……素晴らしい。
異世界転生して良かった。
いや、マンホールに落ちたこと自体は全然良くないけど。
◇
その時、勇者が部屋へ顔を出した。
『まだ本見てたのか』
俺は頷いた。
『そんなに魔法が気に入った?』
「うん!」
『そっか』
勇者は笑った。
『まあ、焦らず覚えていけばいいよ。お前には時間があるんだし』
俺は本を閉じた。
そうだった。
今の俺には十五年ある。
人間として成長する時間。
言葉を覚える時間。
魔法や剣術を学ぶ時間。
そして、家族や友達と過ごす時間。
急ぐ必要はない。
◇
『たださ』
勇者が何かを思い出したように言った。
『魔法が使えるようになっても、変なことには使うなよ』
……変なこと?
俺は首を傾げる。
『例えば、女の子の前で格好つけようとして派手な魔法を使うとか』
……。
おい。
『お前、そういうこと考えそうだし』
「だぁ!」
考えてない!
……いや。
少しは考えたかもしれない。
でも、それはもっと大きくなってからの話だ。
今の俺は一歳児。
恋愛どころか、まともに歩く練習をしている段階なんだぞ。
『まあ、千年以上童貞だったからなあ』
「だぁぁ!」
それは関係ないだろ!
勇者は笑いながら部屋を出ていった。
……まったく。
この男。
本当に父親なのか?
◇
その夜、布団へ横になりながら考えた。
今日、俺は魔法を見た。
そして、自分にも魔力があることを知った。
それだけでも大きな進歩だ。
ゴーレム時代には、力の使い方なんて考えたこともなかった。
ただ何となく動き、何となく魔力を使い、何となく強くなっていた。
でも今は違う。
一つずつ教わっている。
どうして魔法が発動するのか。
どうすれば安全に使えるのか。
どんなことに役立つのか。
そういうことを知るのが、何だか楽しかった。
◇
俺は小さな手を見つめた。
成人男性くらいの力を持っていても、まだ自由に動かせるわけではない。
魔力があっても、魔法が使えるわけではない。
できないことは山ほどある。
でも、それでいい。
少しずつ覚えればいいんだから。
何百年も変化のなかった生活とは違う。
今は毎日、新しいことを知ることができる。
それだけで十分に幸せだった。
◇
ただし。
一つだけ決めたことがある。
いつか魔法を使えるようになったら、絶対に勇者を驚かせてやる。
あいつは俺のことを、いつも千歳児だの童貞だのとからかってくる。
その仕返しだ。
もちろん、危険な魔法は使わない。
ただ、ちょっと格好いいところを見せるだけ。
『お前、そんな魔法使えたのか!?』
驚く勇者。
得意げに笑う俺。
……いい。
実にいい。
俺は布団の中で小さく笑った。
その日が来るのが楽しみだ。
――こうして俺は、初めて魔法の授業を受けた。
ただし、剣術に続いて魔法の実践まで延期されることになった。
……俺、いつになったら修行できるんだろう。




