第31話 俺、初めて友達を守ります
人間になってから、俺には日課ができた。
朝は聖女から言葉を教わり、昼は勇者と身体の使い方を練習する。そして時々、友達のリナと遊ぶ。
何百年も同じ部屋に閉じ込められていた俺にとって、これほど充実した生活はない。
最近では歩くのもだいぶ上達した。まだ走るのは難しいが、転ばずに部屋を移動するくらいなら何とかなる。
言葉も少しずつ覚えている。
そして何より、積み木が上達した。
……いや、笑うなよ。
今の俺にとっては重要なことなんだから。
◇
その日、俺は聖女に連れられてリナの家へ向かっていた。
どうやら今日は、近所の子供たちと庭で遊ぶらしい。
リナ以外の子供。
つまり、友達を増やす機会である。
これは大事だ。
何しろ前世の俺は、友達が多い方ではなかった。社会人になってからは仕事ばかりで、休日に誰かと遊ぶこともほとんどなかった。
そして異世界へ来てからは、千年近く完全に孤独。
人付き合いの経験値という意味では、相当な問題児である。
……俺、ちゃんと仲良くできるだろうか。
少し不安になった。
◇
リナの家に着くと、庭から楽しそうな声が聞こえてきた。
聖女に抱かれたまま門をくぐる。
そこには、何人かの子供がいた。
リナを含めて四人。
年齢は二歳から四歳くらいだろうか。みんな小さな身体を動かして、庭の中を走り回っている。
俺はその光景を見つめた。
……元気だな。
特に少し年上らしい男の子は、木の棒を持って勇者ごっこのようなことをしていた。
「えいっ!」
「わー!」
子供たちが笑いながら逃げていく。
なるほど。
異世界でも勇者ごっこは人気なのか。
そういえば、俺の父親役は本物の勇者だったな。
……何だろう。
急に変な気分になった。
◇
「アレン!」
リナが俺を見つけて駆け寄ってきた。
聖女が俺を地面へ下ろすと、リナはすぐに手を差し出してきた。
「いっしょ!」
俺は頷く。
「うん!」
小さな手を握り返す。
もちろん、力加減には気を付ける。
リナは嬉しそうに笑うと、他の子供たちのところへ俺を連れていった。
「アレン!」
どうやら俺を紹介してくれているらしい。
男の子たちがこちらを見る。
そのうち一人が首を傾げた。
「ちっちゃい」
……。
まあ、そうだよな。
俺は一歳児。
ここにいる子供たちの中では一番小さい。
分かってる。
分かってるけど。
千年以上生きた俺が小さいと言われるのは、少し複雑だった。
◇
しばらくして、みんなで遊ぶことになった。
最初は木の輪を転がす遊びだった。
年上の子供が輪を転がし、他の子供たちが追いかける。
俺も参加しようとした。
しかし。
足が遅い。
いや、正確には思ったように走れない。
頭の中では大人の動きが分かっている。ゴーレム時代には、あれほど大きな身体で自由に動き回っていた。
なのに今は。
「うぁっ!」
少し急いだだけで転びそうになる。
俺は慌てて両手をついた。
何とか転倒は避けられた。
でも、木の輪は遥か彼方へ。
……くそっ。
筋力は成人男性並みでも、身体の動かし方が追いついていない。
こればかりは練習するしかないらしい。
◇
「アレン、だいじょぶ?」
リナが戻ってきた。
俺は頷いた。
「だいじょぶ!」
リナは安心したように笑う。
そして、俺の手を取った。
「ゆっくり!」
そう言って、歩く速度を落としてくれた。
……優しい。
俺が上手く走れないと分かって、合わせてくれているのだろう。
その気遣いが少し嬉しかった。
何百年も一人だった俺には、こういう経験がほとんどない。
誰かが自分の歩幅に合わせてくれる。
それだけで、何だか特別なことに思えた。
◇
しばらく遊んでいると、少し年上の男の子が木の棒を持ってやってきた。
「ぼく、ゆうしゃ!」
胸を張っている。
なるほど。
勇者役か。
「まもの、たおす!」
そう言って木の棒を振り回す。
他の子供たちも楽しそうに笑っていた。
俺は少し離れたところから眺める。
……勇者ねえ。
本物を毎日見ている身としては、何とも言えない。
しかもあいつ、家では俺をからかってばかりだからな。
勇者という言葉に、あまり格好いい印象を持てなくなっている。
……世界を救った英雄なのに。
何ということだ。
◇
「アレンも!」
リナが俺を指差した。
どうやら一緒に勇者ごっこをしようということらしい。
俺は頷く。
すると男の子が、別の木の棒を差し出してきた。
「これ!」
俺は受け取ろうとして、少し迷った。
木の棒。
武器。
ゴーレム時代の俺が持ったら、間違いなく危険だった代物だ。
でも今は人間だ。
身体能力も一般成人男性程度。
それでも、相手は小さな子供たちだ。
下手に振り回すわけにはいかない。
俺は木の棒を受け取り、ゆっくり持ち上げた。
……よし。
大丈夫そうだ。
◇
遊びが始まった。
男の子が勇者。
もう一人の子が仲間の戦士。
リナはお姫様らしい。
そして俺は。
「アレン、まもの!」
……。
魔物?
俺が?
男の子は楽しそうに笑っていた。
別に悪意はないらしい。
ただ役を決めているだけだ。
それは分かる。
でも。
元ゴーレムの俺が魔物役。
妙に現実味があるんだが。
……いや。
ここは大人として付き合おう。
俺は小さく頷いた。
「がー!」
精一杯、魔物らしい声を出す。
子供たちが笑った。
どうやら好評らしい。
◇
男の子が木の棒を構える。
「えいっ!」
俺へ向かって突き出してきた。
遅い。
ゴーレム時代なら、目を閉じていても避けられるほどの速度だ。
今の身体でも、動きを見ることくらいはできる。
俺は少し身体を横へずらした。
木の棒が空を切る。
「えっ?」
男の子が驚く。
しまった。
避けなくても良かったのか。
子供の遊びなんだから、適当にやられるべきだった。
俺は慌ててその場へ座り込んだ。
「やられたー!」
……。
遅いか?
男の子が首を傾げた。
リナは笑っていた。
まあ、いいか。
◇
事件が起きたのは、その直後だった。
勇者役の男の子が、さらに格好いいところを見せようとしたのか、大きく木の棒を振り上げた。
「とうっ!」
勢いよく踏み出す。
その足が、地面に転がっていた木の輪へ乗った。
「あっ!」
男の子の身体が傾く。
持っていた木の棒が手から離れた。
棒はくるくると回りながら飛んでいく。
その先にいたのは。
リナだった。
◇
俺は反射的に動いた。
危ない。
頭の中では、それだけだった。
ゴーレム時代の身体なら、一瞬で間に入れただろう。
でも今は違う。
俺は一歳児の身体。
走ることすら、まだ満足にできない。
それでも。
何もしないわけにはいかなかった。
俺はリナの方へ手を伸ばした。
「リナ!」
声が出た。
そして、一歩踏み出す。
身体が前へ傾く。
転びそうになる。
それでも何とか踏ん張り、リナの腕へ手を添えた。
自分の方へ引き寄せる。
もちろん、強く引っ張らないように気を付けながら。
次の瞬間。
木の棒が俺の肩へ当たった。
こつん。
◇
「…………」
俺は止まった。
痛い。
いや、少しだけだ。
でも痛い。
ゴーレムだった頃なら、木の棒が当たったくらいで何も感じなかった。
今は人間だ。
ちゃんと痛覚がある。
俺は肩を押さえた。
……なるほど。
これが痛みか。
何百年も忘れていた感覚である。
男の子が慌てて駆け寄ってきた。
「ごめん!」
顔が青ざめている。
リナも俺を見ていた。
「アレン?」
心配そうな声だった。
俺は慌てて笑った。
「だいじょぶ!」
本当に大丈夫だ。
少し当たっただけだし、怪我もない。
でも、リナは何故か泣きそうな顔になっていた。
◇
「いたい?」
リナが俺の肩を指差した。
俺は首を横へ振る。
「だいじょぶ!」
もう一度言う。
するとリナは、ゆっくり俺へ近付いてきた。
そして、小さな手で肩を撫でてくれた。
「いたいの、いたいの……とんでけ!」
……。
何だこれ。
可愛い。
いや、そうじゃない。
俺は自分の肩を見る。
当然、痛みが消えるわけではない。
でも、何故だろう。
少しだけ気持ちが軽くなった。
リナは真剣だった。
俺が痛がっていると思って、一生懸命慰めてくれている。
それが嬉しかった。
◇
騒ぎを聞いた大人たちがやってきた。
聖女もすぐに俺の元へ駆け寄ってくる。
肩を確認され、腕を動かしてみせる。
問題なし。
勇者がいたら、きっと大袈裟にからかってきただろう。
『千歳児が木の棒に負けたのか』
……言いそうだ。
絶対に言う。
でも、聖女はそんなことをしなかった。
心配そうに俺を見つめ、優しく抱き上げてくれた。
俺は小さく頷く。
「だいじょぶ」
聖女が安心したように息を吐いた。
◇
その後、男の子も改めて謝ってくれた。
「ごめんね」
俺は首を横へ振った。
「だいじょぶ!」
わざとじゃない。
それに、今回は誰も怪我をしなかった。
だからいい。
そう伝えたかったが、今の俺にはまだ長い文章が話せない。
少しもどかしい。
でも、男の子は俺の表情を見て安心したらしい。
小さく笑ってくれた。
良かった。
◇
帰り道。
聖女に抱かれながら、俺は今日のことを考えていた。
木の棒が飛んできた。
リナが危なかった。
俺は助けようとした。
でも、できたのは少し引き寄せることだけだった。
ゴーレム時代なら、木の棒が当たっても何ともなかっただろう。
そもそも飛んでくる前に止めることだってできたかもしれない。
今は違う。
俺は普通の人間だ。
少し強いとはいえ、限界がある。
しかも身体はまだ一歳児。
できないことだらけだ。
でも。
それでいい。
◇
俺は聖女の服を小さくつかんだ。
今日、リナが俺を心配してくれた。
勇者ごっこをしていた男の子も謝ってくれた。
聖女はすぐに駆け寄ってきてくれた。
俺が誰かを心配するように。
誰かも俺を心配してくれる。
何百年も一人だった頃には、そんなこと考えもしなかった。
誰かを守るというのは、ただ敵を倒すことではない。
相手が怪我をしないように気を付けること。
困っていたら手を貸すこと。
そして、時には誰かに助けてもらうこと。
そういうものなのかもしれない。
◇
家へ戻ると、勇者が待っていた。
『おかえり、アレン』
俺は頷く。
「ただいま!」
最近覚えた言葉だ。
勇者が少し驚いた顔をした。
『おお、ちゃんと言えたじゃん』
ふっ。
当然だ。
俺だって日々成長している。
すると聖女が、勇者へ今日の出来事を説明し始めた。
勇者は真剣な顔で話を聞いている。
……。
待て。
何だか嫌な予感がする。
◇
『アレン』
勇者が俺の前にしゃがんだ。
『リナちゃんを助けようとしたんだって?』
俺は頷いた。
『そっか。偉かったな』
……。
あれ?
からかわないのか?
俺が不思議そうにしていると、勇者は少し笑った。
『でも、自分が怪我するような無茶はするなよ』
俺は頷いた。
『お前はまだ小さいんだから。困った時は大人を呼んでいいんだ』
そうか。
確かにそうだ。
自分一人で全部解決しようとする必要はない。
俺はもう、一人じゃないんだから。
◇
勇者は俺の頭を撫でた。
『まあ、それにしても』
……ん?
来たか?
『千年以上生きた元ゴーレムが、木の棒一本で負傷するとはなあ』
「だぁぁ!」
やっぱり言った!
『しかも相手は子供の勇者ごっこ!』
うるさい!
分かってる!
『いやあ、強くてニューゲームも大変だな!』
こいつ!
絶対に楽しんでるだろ!
俺が抗議すると、勇者は声を上げて笑った。
まったく。
父親らしいことを言ったと思ったら、すぐこれだ。
◇
その夜、布団へ横になった俺は、自分の肩へ触れた。
痛みはもうほとんどない。
でも、今日のことは忘れないだろう。
誰かを助けようとして、少しだけ痛い思いをした。
そして、たくさん心配された。
不思議だった。
何百年も孤独だった頃なら、痛みなんて嫌なものだと思っていたはずだ。
でも今は、それだけではない。
誰かのために動いた結果なら、少しくらい痛いことがあっても悪くない。
もちろん、怪我はしない方がいいけど。
俺は小さく笑った。
◇
明日もまた、リナと遊べるだろうか。
今日の男の子たちとも、また遊びたい。
今度はもっと上手く走れるようになりたいし、言葉も覚えたい。
それに、勇者ごっこの魔物役以外もやってみたい。
……そうだな。
今度は勇者役でもいいかもしれない。
いや。
待てよ。
父親役が本物の勇者なのに、俺まで勇者をやるのか?
……何だか複雑だ。
まあ、いいか。
俺は目を閉じた。
今の俺には、明日を楽しみにできる理由がたくさんある。
それだけで十分だった。
――こうして俺は、人間になって初めて、友達を守るために身体を動かした。
ただし。
千年以上生きてきた俺の戦績に、木の棒による軽傷が追加されたことだけは、できれば誰




