第30話 俺、普通の一歳児を目指します
友達ができた。
この世界に来てから千年以上。初めて、普通に遊べる相手ができたのである。
その名もリナ。二歳の女の子だ。
俺より一つ年上。
もちろん身体年齢の話であって、精神年齢で比べれば俺の方が圧倒的に上なのだが、そこは気にしないことにする。
何しろ彼女は、俺の人生における記念すべき初めての友達なのだから。
そして俺は今、その友達と次に遊ぶ日のために、ある特訓をしていた。
積み木である。
……いや、何だよ。
千年以上生きた男が積み木の特訓って。
自分でも思う。
◇
『アレン、お前まだやってたの?』
勇者が呆れたように言った。
俺は振り返らず、目の前の積み木へ集中する。
一個目。
二個目。
三個目。
四個目。
ここまでは順調だった。
問題は五個目だ。
小さな手で積み木をつまみ、慎重に上へ運ぶ。指先が思った通りに動かないので、少しずつ角度を調整する。
よし。
あと少し。
そっと置く。
ぐらり。
「……あ」
崩れた。
くそっ!
『お前、本当に負けず嫌いだな』
勇者が笑う。
うるさい。
これは遊びではない。
修行だ。
『いや、積み木だろ』
だから積み木の修行だよ!
◇
俺が不満そうに睨むと、勇者は隣へ腰を下ろした。
『でも、ちょうどいいかもしれないな』
何が?
『お前の身体の練習だよ。大人並みの力があるって分かったけど、細かい動きはまだ苦手だろ?』
俺は頷いた。
その通りだった。
今の俺は、一般成人男性と同じくらいの身体能力があるらしい。しかし、身体そのものは一歳児だ。
筋力があっても、手足の長さや重心の位置は普通の大人とはまったく違う。
おかげで歩くのも一苦労。
積み木を重ねるだけでも、この有様である。
『それに、普通の子供より力が強いってことは、気を付けないといけないこともある』
勇者が少し真面目な顔になった。
『特に、他の子供と遊ぶ時な』
俺は積み木から手を離した。
◇
『例えば、リナちゃんと手を繋ぐ時』
勇者は自分の指を差し出してきた。
『お前が大人と同じくらいの力で握ったら、痛がるかもしれないだろ?』
……確かに。
昨日、リナは俺の手を引っ張って歩いていた。
あの時は転ばないようにすることで精一杯だったが、もし俺が強く握り返していたらどうなっていただろう。
普通の一歳児とは違う。
それは分かっていたつもりだった。
『だから、強いことより先に、ちゃんと力を調整できるようになろうな』
俺は頷いた。
そこは異論なしだ。
千年以上生きた俺が、二歳の女の子を怪我させるなんて笑えない。
それだけは絶対に避けたい。
◇
『あと、もう一つ』
勇者が続けた。
『人前では、あまり変な力を見せない方がいいと思う』
俺は首を傾げる。
『お前、普通の一歳児じゃないだろ。大人が持つような荷物を軽々持ち上げたりしたら、周りの人が驚くと思うんだよな』
なるほど。
確かにそうかもしれない。
普通の赤ん坊が、成人男性並みの筋力を持っている。
そんな話を聞いたら、俺だって驚く。
『別に悪いことをしてるわけじゃないんだけどさ。面倒なことになるかもしれないから』
俺は頷いた。
分かった。
要するに、普通の一歳児らしく振る舞えばいいわけだ。
……。
普通の一歳児。
それって具体的に何をすればいいんだ?
◇
『まあ、難しく考えなくていいよ』
勇者が笑った。
『無理に大きな物を持ち上げない。人を強く引っ張らない。普通に遊んでればいい』
なるほど。
それなら何とかなる。
俺は小さく頷いた。
『それに、お前は昔から力加減が苦手だったしな』
ぐっ。
余計なことを。
『思い出すよなあ。初めて会った時も、ちょっと動くだけで大変だったし』
やめろ。
『こっちは命懸けで来たのに、ボスが話し相手欲しがってたとか』
やめろって。
『しかも千年以上童貞』
「だぁぁ!」
それは関係ないだろ!
勇者は声を上げて笑った。
……こいつ。
父親になっても、からかう癖がまったく直らない。
◇
その日の午後。
俺は再び、リナの家を訪れることになった。
聖女が用事で近くまで行くらしく、俺も連れていってくれるそうだ。
昨日の約束を覚えていたので、少し楽しみだった。
リナの家へ着くと、扉が開くより早く小さな足音が聞こえてきた。
「アレン!」
リナだ。
俺を見るなり、嬉しそうに駆け寄ってくる。
「またきた!」
俺は頷いた。
「あれん、きた!」
……ん?
何か変な返事になった。
自分の名前を名乗ってどうする。
でもリナは気にしていない様子だった。
「いっしょ、あそぼ!」
「うん!」
それだけで十分だった。
◇
今日の遊びは積み木から始まった。
リナは昨日の続きを覚えていたらしく、木箱を持ってきて俺の前へ座った。
「おうち、つくる!」
家。
なるほど。
俺は頷いた。
二人で積み木を並べ、壁らしきものを作っていく。
俺は昨日より慎重に指先を動かした。
一個。
二個。
三個。
今度は崩れない。
リナが嬉しそうに声を上げる。
「じょうず!」
ふっ。
見たか。
これが千年以上生きた男の本気だ。
……積み木だけど。
◇
しばらくして、家らしきものが完成した。
壁が四つ。
屋根は三角形。
入口まである。
なかなか立派だ。
リナは満足そうに頷くと、近くにあった人形を持ってきた。
「ここ、おうち!」
そう言って人形を中へ入れる。
俺も別の人形を持ち上げた。
「こ……こんにちは」
「こんにちは!」
リナが人形を動かして返事をする。
楽しい。
前回も思ったが、この遊びは意外と面白い。
何よりリナが楽しそうなのがいい。
俺は人形を動かしながら、少しずつ新しい言葉を覚えていった。
◇
事件が起きたのは、その少し後だった。
リナが人形を取り出そうとして、積み木の家へ腕を伸ばした。
しかし手が届かない。
「んー!」
もう少し。
そう思ったのか、リナは身体を前へ倒した。
その拍子に、肘が屋根へぶつかった。
がらがらっ!
「あっ!」
積み木の家が崩れた。
リナは目を丸くした。
そして、崩れた積み木を見つめる。
「……おうち」
その声が震えていた。
まずい。
これは。
泣くやつでは?
◇
俺は慌てて積み木を拾い始めた。
「だいじょぶ!」
リナが俺を見る。
「なおす!」
知っている単語を必死に並べる。
幸い、積み木は壊れていない。
もう一度積めばいいだけだ。
俺は急いで土台を作り始めた。
しかし。
焦ったせいで指先が滑った。
がらがらっ!
また崩れた。
「…………」
しまった。
俺まで失敗した。
リナの目に涙が浮かぶ。
やばい。
どうする。
◇
俺は一度手を止めた。
落ち着け。
こういう時こそ慎重に。
勇者にも言われたばかりだ。
力任せではなく、丁寧に。
俺は積み木を一つずつ並べ直した。
まずは壁。
次に入口。
最後に屋根。
今度は急がない。
時間をかけて、少しずつ積んでいく。
リナも黙って見ていたが、やがて一つの積み木を手に取った。
「リナも!」
俺は頷いた。
「いっしょ!」
そうだ。
一緒に作ればいい。
◇
二人で協力して、もう一度家を完成させた。
最初より少し大きい。
しかも屋根もしっかりしている。
リナは目を輝かせた。
「できた!」
「できた!」
俺も思わず声を上げる。
リナが嬉しそうに手を叩いた。
そして俺へ抱きついてきた。
「アレン、すごい!」
「うぁっ!」
突然だったので、俺は少しよろけた。
危ない。
でも、転ばずに済んだ。
俺は両手を広げ、リナをそっと受け止める。
強く抱きしめない。
ただ、支えるだけ。
勇者に言われたことを思い出しながら、慎重に力を調整した。
リナは嬉しそうに笑っていた。
……よし。
大丈夫だ。
◇
俺は少しだけ安心した。
ゴーレムだった頃なら、人間に触れること自体が怖かった。
少し動いただけで衝撃波を出し、何度も来訪者を全滅させてしまった。
でも今は違う。
成人男性程度の力しかないし、ちゃんと気を付ければ普通に触れ合える。
とはいえ、相手は二歳の女の子。
自分より弱い相手だということは忘れてはいけない。
俺はリナが離れるまで、じっとしていた。
するとリナが顔を上げる。
「アレン、やさしい!」
……。
何だろう。
ちょっと嬉しい。
いや、かなり嬉しい。
◇
それからも、俺たちは色々な遊びをした。
積み木。
人形。
木製の動物。
時々、リナが知らない言葉を使うので、そのたびに俺は首を傾げる。
するとリナは、身振り手振りを交えながら説明してくれた。
俺も少しずつ理解していく。
どうやらこの子は、教えるのが好きらしい。
できないことがあるとすぐに手伝ってくれるし、言葉を間違えると何度でも言い直してくれる。
まるで小さな先生だ。
俺はそんなリナを見ながら思った。
友達って、こういうものなのかもしれない。
どちらかが一方的に何かを与えるのではなく、一緒に遊んで、一緒に覚えて、一緒に笑う。
それが何だか、とても楽しかった。
◇
帰る時間になると、リナはまた少し寂しそうな顔をした。
「アレン、またくる?」
俺は頷いた。
「また、くる!」
リナが笑う。
「やくそく!」
小さな手が差し出された。
俺も手を伸ばす。
今度は、昨日より少しだけ上手く握れた気がした。
強く握らない。
でも、ちゃんと手を繋ぐ。
それだけのことが、少し嬉しかった。
◇
家へ戻る途中、勇者が俺の様子を聞いてきた。
『今日はどうだった?』
俺は笑って頷いた。
『そっか。楽しかったんだな』
もう一度頷く。
『リナちゃんと上手く遊べた?』
「うん!」
『おお、返事も上手くなったな』
勇者が感心したように笑う。
俺も少し得意げになった。
聖女との勉強に加えて、リナと遊ぶようになってから言葉を覚えるのが楽しくなってきた。
まだ長い文章は話せない。
でも、少しずつ会話ができるようになっている。
何百年も声すら出せなかったことを思えば、大きな進歩だ。
◇
『そういえばさ』
勇者が何か思い出したように言った。
『お前、リナちゃんに優しいって言われたんだって?』
……。
何で知ってる。
『聖女が教えてくれた』
なるほど。
そういうことか。
俺は少し照れくさくなって目を逸らした。
『いいじゃん。女の子に優しいって思ってもらえるの、大事だぞ』
それはそうかもしれない。
『千年以上童貞だったお前に、ついにモテ期が』
「だぁぁ!」
だから!
その話は関係ないって言ってるだろ!
『あははは!』
勇者は楽しそうに笑った。
俺は聖女へ助けを求めるように両手を伸ばした。
聖女は微笑みながら俺を抱き上げる。
よし。
避難成功。
◇
夜になり、俺は布団の中で今日のことを振り返った。
リナと一緒に家を作った。
失敗した。
泣きそうになったリナを見て、慌てて直した。
最後には、二人で完成させることができた。
考えてみれば、ゴーレムだった頃の俺なら、積み木の家なんて簡単に壊してしまっただろう。
何でも力で解決できた。
敵が出れば殴ればいい。
邪魔なものがあれば動かせばいい。
それで大抵のことは何とかなった。
でも、人間として暮らすのは違う。
力があればいいわけではない。
相手の気持ちを考えること。
失敗したら、もう一度やり直すこと。
誰かと協力すること。
そういうことが大切なのかもしれない。
◇
俺は自分の小さな手を見つめた。
この身体には、成人男性くらいの力がある。
普通の一歳児よりは遥かに強い。
でも、ゴーレムだった頃とは比べものにならない。
それでいい。
むしろ今は、それくらいでちょうどいいのかもしれない。
俺が欲しかったのは、誰よりも強い身体じゃない。
誰かと普通に暮らせる人生だったんだから。
まあ、将来冒険者になった時に強い方がいいとは思うけど。
それはそれ。
今は今だ。
◇
そういえば。
今日はリナに優しいと言われた。
……優しい。
女の子に。
俺が。
前世でもそんな経験はほとんどなかった。
千年以上の童貞歴を誇る俺にとって、これはなかなか珍しい出来事ではないだろうか。
いや、待て。
相手は二歳児。
俺は一歳児。
恋愛とか、そういう話ではない。
分かってる。
ちゃんと分かってるぞ。
ただ、誰かに良いところを見てもらえたのが嬉しいだけだ。
……本当だぞ?
◇
俺は布団を引き寄せ、目を閉じた。
何百年も孤独だった頃には、誰かにどう思われるかなんて考える必要すらなかった。
でも今は違う。
家族がいる。
友達がいる。
自分の言葉や行動で、誰かが笑ってくれる。
それが嬉しい。
明日もまた、何か新しいことを覚えよう。
言葉でもいい。
身体の使い方でもいい。
積み木でもいい。
少しずつ成長していけばいい。
俺には、これから十五年もあるんだから。
そう思いながら、俺は眠りについた。
――ただし、勇者。
明日こそ童貞ネタを封印しろ。
俺は今、真面目に一歳児をやってるんだからな。




