第29話 俺、初めて友達ができる
この世界でアレンという名前をもらい、勇者と聖女の息子として暮らし始めてから、数日が経った。
俺の生活は順調だった。朝起きて、飯を食って、言葉を覚えて、歩く練習をする。昼間は勇者が身体の使い方を教えてくれて、夜は聖女が絵本を読んでくれる。
何百年も同じ部屋で過ごしていた俺からすれば、毎日が新鮮だ。
ただ、一つだけ不満がある。
……暇だ。
いや、ゴーレム時代に比べれば圧倒的に楽しい。食事は美味いし、寝床は柔らかいし、何より誰かと一緒にいられる。
でも、今の俺は一歳児。
外へ出るには誰かの付き添いが必要だし、言葉もまだ十分に話せない。勇者や聖女が忙しい時は、部屋の中で大人しくしているしかない。
そして何より。
娯楽が少ない。
スマホもない。漫画もない。ゲームもない。
俺は床に座り、目の前に積まれた木の積み木を見つめた。
……これで遊べと?
千年以上生きた男に?
何とも言えない気持ちになった。
◇
『アレン、何してんの?』
勇者が部屋へ入ってきた。
俺は積み木を指差す。
『遊んでたのか』
違う。
退屈していたんだ。
『何だ、その不満そうな顔』
分かるなら何とかしてくれ。
俺がじっと見つめていると、勇者は少し考え込んだ。
『そういえば、お前って同年代の友達いないよな』
同年代。
俺は首を傾げた。
……同年代?
千年以上生きた俺と同年代の人間なんて、この世界に存在するのか?
いや、エルフとかならいるかもしれないけど。
『いや、見た目の話だよ』
勇者が苦笑いする。
『お前、今は一歳児なんだからさ。同じくらいの子供と遊んでみたら?』
なるほど。
子供の友達。
考えたこともなかった。
前世では三十歳まで生きたし、その後はずっとゴーレムだった。今さら一歳児と遊ぶことになるとは思わなかったが、確かに悪くないかもしれない。
ただし。
会話は成立するのか?
◇
翌日、聖女に連れられて近所の家を訪れることになった。
どうやら聖女の知り合いが、小さな子供を育てているらしい。俺が街へ出た時に話しかけてきた女性とは別の人で、以前から聖女と親しくしているそうだ。
勇者も一緒に来てくれた。
理由は簡単。
通訳である。
『お前、まだこっちの言葉ほとんど分かんないだろ』
その通り。
『まあ、子供同士なら言葉が通じなくても遊べると思うけどな』
そうなのか?
俺は少し不安になった。
何せ、人生初の幼児交流会である。
前世でも子供と遊ぶ機会なんてほとんどなかった。
……大丈夫だろうか。
◇
家へ着くと、若い女性が出迎えてくれた。
聖女と親しそうに挨拶を交わしている。
俺は勇者の腕の中から、家の中を覗き込んだ。
すると。
「……あ!」
小さな声が聞こえた。
部屋の奥から、一人の女の子がこちらへ歩いてくる。
柔らかな栗色の髪。大きな瞳。年齢は二歳くらいだろうか。小さな手に布製の人形を抱えている。
女の子は俺を見ると、ぱっと笑顔になった。
「ママ! あかちゃん!」
……ん?
今の言葉、分かったぞ。
赤ちゃん。
たぶん、そう言った。
聖女との勉強の成果が出ているらしい。
しかし。
赤ちゃん。
俺のことか。
まあ、そうだよな。
◇
『この子はリナ。二歳だってさ』
勇者が教えてくれた。
なるほど。
リナちゃん。
俺より一つ年上ということになる。
身体年齢だけなら。
リナは俺の目の前まで来ると、興味深そうに顔を覗き込んできた。
「アレン?」
お。
名前を知っているのか。
俺は頷いた。
「あれん」
するとリナは嬉しそうに笑った。
「リナ!」
自分を指差している。
なるほど。
自己紹介か。
俺も胸へ手を当てた。
「あれん!」
「リナ!」
「あれん!」
「リナ!」
……。
何だこれ。
名前しか言っていない。
でもリナはとても楽しそうだった。
まあ、いいか。
◇
聖女が俺を床へ下ろした。
リナはすぐに俺の手を取った。
「こっち!」
何か言っている。
たぶん、ついて来いという意味だろう。
俺は手を引かれるまま歩き始めた。
ただし、今の俺は一歳児。足取りはまだ安定していない。
少し急がれると転びそうになる。
「うぁっ!」
危ない。
俺は慌てて踏ん張った。
リナが振り返る。
そして不思議そうに首を傾げた。
「だいじょぶ?」
お。
今のも何となく分かった。
大丈夫かって聞いているんだな。
俺は頷いた。
「だいじょぶ」
……言えた。
何気なく返事をしただけなのに、ちゃんと言葉になった。
俺が少し感動していると、リナがにっこり笑った。
「よかった!」
何だろう。
この子、すごく素直だな。
◇
連れていかれた先には、おもちゃがたくさん置いてあった。
積み木。
木製の動物。
布の人形。
小さな車輪の付いた玩具。
リナはその中から、一体の人形を持ち上げた。
「これ!」
俺へ差し出してくる。
どうやら遊べということらしい。
俺は受け取った。
布製の人形。
柔らかい。
しかも手作りっぽい。
……何をすればいいんだ?
俺が困っていると、リナは別の人形を持ち上げた。
「こんにちは!」
人形を俺の人形へ近付ける。
なるほど。
人形遊びか。
俺は少し考えたあと、自分の人形を動かした。
「こ……んにちは」
リナが嬉しそうに笑った。
「いっしょ!」
何が一緒なのかは分からない。
でも楽しそうだからいいか。
◇
それからしばらく、俺はリナと人形遊びを続けた。
正直に言おう。
最初は馬鹿にしていた。
千年以上生きた男が、二歳児と人形遊びなんて。
そう思っていた。
でも。
意外と面白い。
リナは次から次へと新しい展開を考える。
人形がお腹を空かせた。
ご飯を作る。
人形が眠くなった。
布団へ寝かせる。
人形が怪我をした。
治療する。
単純な遊びなのだが、リナが本当に楽しそうなので、俺まで少し楽しくなってきた。
それに。
言葉の勉強にもなる。
リナの使う言葉は短く、発音も比較的ゆっくりだ。聖女が教えてくれる時と違い、実際の会話として覚えられる。
これはいい。
もしかして俺、今すごく効率的な勉強をしているのでは?
◇
しばらくすると、リナが積み木を持ってきた。
「つくる!」
どうやら何かを作りたいらしい。
俺は頷いた。
二人で積み木を並べ始める。
リナは慣れた手つきで積み上げていくが、俺はまだ小さな指先の使い方に苦戦していた。
筋力は成人男性くらいある。
でも、細かい動作が得意なわけではない。
積み木を一つ置く。
二つ目。
三つ目。
ぐらり。
崩れた。
「…………」
またか。
俺は積み木を見つめた。
昨日も勇者と練習したのに。
何でこんなに難しいんだ。
するとリナが俺の手元を見て、にこっと笑った。
「こう!」
積み木を一つ取り、ゆっくり重ねて見せる。
俺はその動きを真似した。
今度は成功。
リナが嬉しそうに手を叩いた。
「じょうず!」
……褒められた。
二歳児に。
千年以上生きた俺が。
複雑だ。
◇
でも、悪い気はしなかった。
リナは俺より年上だからと威張るわけでもなく、できないことを笑うわけでもない。
ただ、普通に遊んでくれる。
俺が失敗すれば教えてくれるし、上手くできれば喜んでくれる。
それが何だか新鮮だった。
勇者や聖女は、俺の事情を知っている。
俺が元ゴーレムで、中身は千年以上生きた男だと理解している。
でもリナは違う。
ただの一歳児として俺と接している。
アレンという名前の、小さな子供として。
それが少しだけ嬉しかった。
◇
しばらくして、リナの母親が飲み物を持ってきた。
俺たちの前へ小さな器を置く。
リナは嬉しそうに受け取った。
俺も手を伸ばす。
中には薄い果汁のようなものが入っていた。
口をつける。
甘い。
美味い。
俺は思わず目を見開いた。
リナがこちらを見る。
「おいしい?」
俺は全力で頷いた。
「おいし!」
リナが笑った。
「リナも!」
そのまま二人で飲み物を飲む。
何でもない時間。
ただ一緒に遊んで、喉が渇いたから飲み物を飲んでいるだけ。
なのに、妙に楽しかった。
◇
少し離れたところでは、勇者と聖女がリナの母親と話していた。
時々こちらを見て笑っている。
何を話しているのかは分からない。
ただ、勇者が妙に楽しそうなのが気になる。
嫌な予感がした。
俺がじっと見つめていると、勇者がこちらへ近付いてきた。
『アレン、楽しそうだな』
俺は頷いた。
『良かったじゃん。初めての友達だな』
友達。
俺はその言葉を心の中で繰り返した。
そうか。
これが友達か。
確かに、そうなのかもしれない。
『しかも女の子だぞ』
……。
ん?
何か嫌な流れになってきた。
『お前、千年以上童貞だったのに、人間になった途端に女の子と仲良くなるとか』
おい。
やめろ。
その話は関係ないだろ。
『いやあ、成長したなあ』
「だぁ!」
違う!
そういう意味じゃない!
◇
俺が抗議していると、リナが不思議そうに勇者を見上げた。
「アレン、どうしたの?」
勇者は笑いながら何かを答える。
するとリナは俺の頭を撫でた。
「だいじょぶ!」
……。
何だろう。
俺、慰められてる?
しかも二歳児に。
勇者は肩を震わせて笑っている。
絶対に余計なことを言ったな。
俺は睨みつけた。
しかし勇者はまったく気にしていない。
『いい友達ができて良かったな、アレン』
ぐっ。
それを言われると、否定できない。
◇
帰る時間になると、リナが俺の服をつかんだ。
「もうかえる?」
寂しそうな顔をしている。
俺は少し驚いた。
そんな顔をされるとは思わなかった。
聖女が何かを説明すると、リナは俺を見つめた。
「また、あそぶ?」
また。
遊ぶ。
俺はその言葉を理解した。
そして頷いた。
「うん!」
リナの顔が明るくなる。
「やくそく!」
そう言って、小さな手を差し出してきた。
俺は少し迷ってから、その手を握った。
小さい。
温かい。
そして柔らかい。
ゴーレムだった頃なら、こんなふうに人間と手を繋ぐことなんて考えられなかった。
でも今は違う。
俺も人間だ。
普通に手を繋げる。
そのことが、少し嬉しかった。
◇
帰り道。
聖女に抱かれながら、俺は今日のことを思い出していた。
リナ。
二歳の女の子。
俺にとって、この世界で初めてできた友達。
何百年も孤独だった俺が、普通に誰かと遊んだ。
それだけのことなのに、何だか胸が温かい。
『楽しかったか?』
勇者が聞いた。
俺は頷いた。
『そっか』
勇者は少し笑った。
『なら良かった』
その声は、いつものからかうような調子ではなかった。
俺は勇者を見上げる。
何だよ。
急に父親っぽいこと言うなよ。
◇
『お前、ずっと一人だったもんな』
勇者が続けた。
『これからは友達も作れるし、好きなこともできる。普通に子供として過ごしていいんだぞ』
俺は黙った。
普通に子供として。
その言葉が、妙に胸へ残った。
俺は千年以上生きた。
でも、そのほとんどは何もできない時間だった。
誰かと遊ぶことも、話すことも、笑い合うこともできなかった。
それを思えば。
今は子供でいいのかもしれない。
焦って大人にならなくても。
せっかく手に入れた人生なんだから。
◇
家へ戻ると、聖女が俺を床へ下ろしてくれた。
俺はゆっくり歩き、自分の部屋へ向かう。
そこには、昨日まで退屈だと思っていた積み木が置かれていた。
俺はそれを見つめた。
そして、少し考える。
明日、リナと遊ぶ時に上手く積めたら格好いいよな。
……よし。
練習するか。
俺は床へ座り、積み木を一つ手に取った。
一個。
二個。
三個。
崩れた。
くっ。
もう一回。
◇
しばらくして、勇者が部屋へ顔を出した。
『お前、また積み木やってんの?』
俺は頷いた。
『そんなに気に入った?』
違う。
練習だ。
次にリナと遊ぶ時、もう少し上手くできるようになりたい。
俺が真剣に積み木を重ねていると、勇者は何かを察したように笑った。
『なるほど。女の子にいいところ見せたいわけか』
「だぁ!」
違う!
……いや。
少し違わないかもしれない。
でも、そういう意味じゃないぞ。
俺はただ、友達と楽しく遊びたいだけだ。
『まあ、頑張れよ』
勇者は笑いながら部屋を出ていった。
絶対に勘違いしている。
まったく。
◇
その夜、布団へ横になりながら考えた。
人間になってから、毎日色々なことが起きている。
名前をもらった。
家族ができた。
街へ出た。
そして今日、初めて友達ができた。
何百年も一人だった俺が、今ではこんなにも多くのものを手に入れている。
不思議だった。
でも、悪くない。
むしろ。
すごくいい。
俺は小さな手を握った。
これから十五年。
勇者と聖女に育てられながら、人間として成長していく。
きっと、まだまだ知らないことが山ほどある。
友達も増えるだろう。
楽しいことも、嫌なこともあるかもしれない。
でも、それでいい。
俺はもう、あの暗い部屋に閉じ込められたゴーレムじゃない。
アレンという名前を持った、一人の人間なんだから。
◇
ただし。
一つだけ、どうしても言っておきたい。
勇者。
お前、俺が女の子と仲良くなったからって、すぐに童貞ネタへ結び付けるのはやめろ。
俺は確かに千年以上童貞だった。
今すぐ卒業したいという気持ちもある。
でも、今は一歳児だ。
相手は二歳児だ。
そういう話じゃない。
ちゃんと成長して、普通に恋愛できるようになってから考えることだろう。
俺は布団の中で小さくため息をついた。
……まったく。
父親になっても、あいつはあいつだ。
でも。
少しだけ笑ってしまった。
そんなことを言い合える相手がいる。
それだけでも、今の俺は幸せなのかもしれない。
俺は目を閉じた。
明日も、きっと楽しい一日になる。
そう思いながら、俺は眠りについた。
――こうして俺は、この世界で初めての友達を手に入れた。




