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30歳童貞おっさんの転生物語  作者: 障子
第一章 ゴーレム編

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第28話 俺、勇者の息子として街へ出る

 アレンという名前をもらってから、初めての朝を迎えた。


 目を覚ましても、特に何かが変わったわけではない。身体は相変わらず一歳児だし、喋れる言葉もまだ少ない。昨日までと同じように、布団から起き上がるだけでも少し苦労する。


 ただ、一つだけ違うことがある。


 俺には名前がある。


 しかも、それを呼んでくれる人がいる。


「アレン」


 ちょうど扉が開き、聖女が顔を覗かせた。


 俺は振り返る。


「……あれん!」


 聖女が嬉しそうに笑った。


 自分の名前を呼ばれて、自分で返事をする。それだけのことが、今の俺には少し新鮮だった。


 何百年も誰にも呼ばれなかったからな。


     ◇


 朝食を終えると、勇者が俺の前へやってきた。


『アレン、今日は街へ行くぞ』


 街。


 俺は顔を上げた。


『昨日話しただろ。お前の身元を登録するために、色々手続きが必要なんだよ』


 そうだった。


 俺は勇者と聖女の息子として、この世界で暮らすことになった。だが、俺には出生を証明するものもなければ、まともな身分証明書もない。


 そもそも、ダンジョンから突然現れた元ゴーレムである。


 普通に説明しても、絶対に信じてもらえない。


『だから、余計なことはするなよ』


 勇者が真剣な顔で言った。


 俺は頷いた。


『変なことを聞かれても、赤ん坊らしくしてればいいから』


 なるほど。


 それなら得意だ。


「だぁ!」


『……今の、絶対分かっててやってるだろ』


 俺は首を傾げた。


 何のことでしょう。


     ◇


 外へ出ると、朝の空気が頬を撫でた。


 少し冷たい。でも気持ちいい。


 聖女に抱かれたまま歩いていくと、遠くから色々な音が聞こえてきた。人の話し声、荷車の車輪が回る音、動物の鳴き声。


 俺は思わず身を乗り出した。


 人がいる。


 しかも一人や二人ではない。


 通りには大勢の人間が行き交っていた。


 商人らしき男。


 荷物を抱えた女性。


 剣を腰に下げた冒険者。


 子供たち。


 みんな普通に歩き、話し、笑っている。


 俺はその光景に見入ってしまった。


 何百年も人間と会話することすらできなかったのに、今は目の前にこんなにも人がいる。


 ……すごい。


     ◇


『お前、さっきからきょろきょろしすぎ』


 勇者が笑った。


 仕方ないだろ。


 俺にとっては、見るもの全部が初めてなんだ。


 道の両側には店が並んでいる。焼きたてのパンを売る店、色鮮やかな果物を並べた店、武器や防具を飾っている店もあった。


 どこからか肉を焼く匂いが漂ってくる。


 俺の腹が反応した。


 きゅる。


「…………」


 勇者が俺を見る。


『さっき朝飯食ったよな?』


 食った。


 でも、いい匂いがするんだもの。


『お前、食いしん坊だな』


「だぁ!」


 違う。


 何百年も食事をしていなかった反動だ。


 勇者は俺の抗議を無視して笑っていた。


     ◇


 しばらく進むと、一人の女性が聖女へ声をかけてきた。


 買い物帰りらしい。腕には籠を抱えている。


 聖女が笑顔で応じると、女性は俺を見て目を丸くした。


 何かを尋ねている。


 当然、俺には分からない。


 すると聖女は俺を少し抱き上げ、嬉しそうに何かを説明した。


 女性の表情がぱっと明るくなる。


 そして俺の顔を覗き込んできた。


 ……近い。


 俺は少し身体を引いた。


 女性は笑いながら、俺の頬を指でつついた。


「うぁっ!」


 突然の攻撃。


 しかも頬。


 俺は思わず声を上げた。


 女性はさらに楽しそうに笑う。


 聖女も笑っている。


 何だこれ。


 赤ん坊という生き物は、初対面の女性に頬をつつかれても許される存在なのか。


 いや、逆か。


 赤ん坊だからこそ、つつかれるのか。


 なかなか奥が深い。


     ◇


 女性が去ったあと、勇者が俺へ言った。


『今の人、お前のこと可愛いってさ』


 可愛い。


 俺が?


 前世で三十年生きて、誰かにそう言われた記憶はほとんどない。


 ゴーレム時代に至っては、可愛いどころか恐怖の対象だった。


 それが今では可愛いと言われる。


 ……悪くない。


『ちなみに、聖女がお前は俺たちの息子だって紹介したからな』


 俺は聖女を見る。


 彼女は満足そうに微笑んでいた。


 そうか。


 もう周囲の人間にも、そういうことになっているのか。


 少し不思議な感じだった。


     ◇


 街の中心部へ進むと、石造りの大きな建物が見えてきた。


 入口には衛兵らしき男が二人立っている。


 勇者が何かを話しかけると、衛兵たちは慌てて姿勢を正した。


 そして深く頭を下げる。


 俺は首を傾げた。


 何だ?


『ああ、俺って一応勇者だから』


 勇者が小声で言った。


 そうだった。


 こいつ、ただの日本人転生者じゃないんだ。


 本物の勇者なんだった。


 魔王を倒して世界を救い、神々の試練まで攻略した英雄。


 しかも今は聖女の夫。


 ……何だこの勝ち組。


 俺は思わず勇者を見つめた。


『何だよ、その目』


 別に。


 ちょっと羨ましいだけだ。


     ◇


 建物の中へ入ると、広い受付があった。


 勇者が職員らしき男へ話しかける。


 相手は何度も頷き、書類を取り出した。


 聖女が俺を抱いたまま椅子に座る。


 勇者は書類へ何かを書き始めた。


 俺はその様子を眺める。


 文字が読めない。


 昨日、自分の名前の綴りを覚えたばかりだから当然だ。


 でも、自分に関する書類を自分で読めないというのは、何となく落ち着かない。


 この世界の文字も早く覚えたいな。


 そう考えていると、勇者が俺を見る。


『アレン、ちょっと確認な』


 俺は頷いた。


『名前はアレン。年齢は推定一歳。俺たちが保護して、これから養育する。ここまではいいな?』


 もう一度頷く。


 異論なし。


『問題は出生地なんだよな』


 勇者が小さくため息をついた。


 ……そうだよな。


     ◇


 俺の出生地。


 神々の試練。


 しかも中ボス部屋。


 普通に考えたら意味が分からない。


 勇者が職員と何か話している。


 相手は難しい顔をしたあと、書類を確認し始めた。


 少しして、勇者が俺へ説明した。


『出生地が分からない保護児童として登録する形になるらしい。俺と聖女が保護者になるから、生活する上では問題ないって』


 なるほど。


 それなら安心だ。


『ただ、後で色々確認が入るかもしれないからな』


 俺は頷いた。


 まあ、仕方ない。


 出自不明の赤ん坊なんて、普通なら色々調べられるだろう。


 でも、少なくとも今は勇者と聖女がいる。


 それだけで何とかなる気がした。


     ◇


 手続きが一段落すると、聖女が俺の前に紙を差し出した。


 そこには、見覚えのある文字が書かれていた。


 アレン。


 昨日覚えたばかりの、俺の名前だ。


 俺は思わず指を伸ばした。


「……あれん」


 聖女が嬉しそうに頷く。


 勇者も笑った。


『そう。お前の名前だ』


 俺はもう一度、紙を見る。


 今までは何百年も、誰にも呼ばれなかった。


 それが今では、書類にまで名前が残る。


 この世界に、俺という人間が存在していることを証明するもの。


 たった一枚の紙なのに、何だかすごく大切なものに思えた。


     ◇


 建物を出る頃には、昼近くになっていた。


 勇者が大きく伸びをする。


『よし。とりあえず終わったな』


 聖女が何かを言う。


 勇者は頷いてから、俺を見る。


『せっかくだし、帰る前に買い物していくか』


 買い物。


 俺は顔を上げた。


『お前の服とか、色々必要だしな』


 なるほど。


 そういえば、俺は人間になってからずっと借り物の服を着ている。


 サイズは合っているものの、今後の生活を考えれば着替えも必要だろう。


 勇者が笑った。


『ちゃんと子供用の服を買ってやるからな』


 俺は頷いた。


 服。


 悪くない。


 人間としての生活が、また一つ進む。


     ◇


 最初に入ったのは衣服を扱う店だった。


 店の中には様々な服が並んでいる。


 男物。


 女物。


 子供用。


 そして小さな赤ん坊用の服まであった。


 聖女が俺を抱いたまま、何着か選び始める。


 俺はその様子を眺めていた。


 正直、服のことはよく分からない。


 前世でもファッションには疎かった。


 だから、似合うものを選んでもらえるなら助かる。


 そう思っていた。


 最初の一着を見るまでは。


     ◇


 聖女が持ってきたのは、白い服だった。


 柔らかそうな生地。


 小さな飾り。


 丸みのある襟。


 ……可愛い。


 いや。


 可愛すぎる。


 俺は男だぞ。


 前世三十歳童貞。


 千年以上生きた元ゴーレム。


 その俺が、こんな可愛らしい服を着るのか?


 聖女は満足そうに俺へ当ててみる。


 店員らしき女性も笑顔で何か言っている。


 勇者まで笑っていた。


『似合ってるってさ』


 そうか。


 似合ってるのか。


 ……いや、待て。


 俺は格好いい男になりたいんだ。


 可愛い方向ではない。


     ◇


 俺が首を横へ振ると、聖女は少し不思議そうな顔をした。


 勇者が通訳してくれる。


『これ嫌なの?』


 俺は頷いた。


『何で?』


 説明できるなら苦労しない。


 俺は少し考え、近くにあった別の服を指差した。


 落ち着いた色の、小さな男児用の服。


 飾りも少ない。


 これだ。


 こういうのでいい。


 聖女が俺の指差した服を見る。


 そして、少し笑った。


 勇者が頷く。


『ああ、なるほど。格好いい方がいいんだな』


 俺は全力で頷いた。


『一歳児のくせに』


 うるさい。


 一歳児にも好みはある。


     ◇


 結局、俺の希望を取り入れた服を何着か買うことになった。


 聖女は少し残念そうだったが、最後には笑って頷いてくれた。


 ただし、一着だけ。


 最初に選んだ可愛らしい服も買っていた。


 ……何で?


 勇者に目で訴える。


『いや、聖女がどうしてもって』


 おい。


『まあ、たまには着てやれよ』


 何でだよ。


 俺は男だぞ。


 そう思ったが、聖女が嬉しそうに服を抱えているのを見ると、それ以上抵抗できなかった。


 ……仕方ない。


 一着くらいなら。


     ◇


 買い物を終え、帰り道を歩いていると、聖女が俺を抱き直した。


 俺は彼女の肩越しに、街の景色を見る。


 人が行き交っている。


 笑い声が聞こえる。


 店からは食べ物の匂いが漂ってくる。


 何もかもが新鮮だった。


 何百年も暗い部屋に閉じ込められていた俺が、今は普通に街を歩いている。


 しかも、家族と一緒に。


 少し前までなら、想像すらできなかった光景だった。


     ◇


 勇者が俺の顔を覗き込む。


『どうだった、アレン。初めての街は』


 俺は頷いた。


 楽しかった。


 ものすごく。


 色々な人を見た。


 色々な店を見た。


 自分の名前が書かれた書類も見た。


 そして、服まで買ってもらった。


 全部、初めての経験だった。


『これからは何度でも来られるからな』


 勇者が言う。


 俺は少し驚いた。


 何度でも。


 そうか。


 もう、あの部屋へ戻る必要はないんだ。


 閉じ込められていない。


 外へ出たいと思えば、外へ出られる。


 その当たり前のことが、何より嬉しかった。


     ◇


 家へ戻ると、聖女が買ってきた服を広げ始めた。


 勇者は手続きの書類をまとめている。


 俺は床へ座り、二人の様子を眺めていた。


 何でもない光景。


 普通の家族なら、きっと当たり前の日常。


 でも、俺には特別だった。


 聖女が振り返る。


「アレン」


 俺は顔を上げた。


「……あれん」


 聖女が笑う。


 勇者もこちらを見る。


『お前、だいぶ名前に慣れたな』


 俺は頷いた。


 アレン。


 この世界で生きる俺の名前。


 悪くない。


     ◇


 その夜、布団へ横になりながら考えた。


 今日、俺は勇者と聖女の息子として登録された。


 正確には保護された子供という扱いらしいが、これから一緒に暮らしていくことには変わりない。


 そして初めて街を歩いた。


 人間として。


 アレンとして。


 何百年も一人だった俺が、今は誰かに名前を呼ばれ、服を買ってもらい、帰る家まである。


 これから十五年。


 俺はこの二人と暮らしていく。


 言葉を覚えて。


 身体を成長させて。


 この世界の常識を学んで。


 いつか、一人前の人間になる。


 俺は小さな手を握った。


 まだできないことは多い。


 でも、毎日少しずつできることが増えている。


 それが楽しかった。


     ◇


 ただし。


 一つだけ、気になることがある。


 勇者と聖女の息子として登録されたということは。


 俺、将来彼女ができたら。


 ちゃんと両親に紹介することになるんだよな?


 しかも、その両親が勇者と聖女。


 勇者には俺の童貞歴まで知られている。


 ……。


 絶対にからかわれる。


『ようやく彼女できたのか、千歳児』


 そんな未来が簡単に想像できた。


 俺は布団の中で頭を抱えた。


 何ということだ。


 まだ一歳なのに、すでに将来の恋愛が不安になっている。


 でも。


 ふと笑ってしまった。


 何百年も一人だった頃なら、そんな心配すらできなかった。


 今は違う。


 家族がいる。


 未来がある。


 そして、いつか恋愛できるかもしれない。


 俺は目を閉じた。


 明日はどんな一日になるんだろう。


 そんなことを考えながら、俺は眠りについた。


 ――俺はアレン。


 勇者と聖女の息子として、この世界で生き始めたばかりだ。

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