第27話 俺、この世界で名前をもらう
翌朝、目を覚ました俺は、布団の中で昨日のことを思い出していた。
名前。
今日、俺の新しい名前を決めるらしい。
人間になってから、食事をしたり、言葉を覚えたり、歩く練習をしたりと、毎日色々なことが起きている。でも、名前をもらうというのは、その中でも少し特別な気がした。
ゴーレムだった頃にも、前世の名前は覚えていた。
ただ、それを呼んでくれる相手はいなかった。
何百年もの間、俺はずっと一人だった。名前を呼ばれることも、誰かに返事をすることもなかった。
それが今度は、勇者と聖女が新しい名前を考えてくれるという。
何だろう。
少し楽しみだ。
◇
朝食を終えると、勇者が俺を抱き上げて食堂の机へ連れていった。
昨日までなら少し緊張していたところだが、もう慣れてきた。むしろ自分で歩くより早いので、最近は抱き上げられても素直に従っている。
……これでいいのか、俺。
『さて』
勇者が俺を椅子に座らせた。
『今日はお前の名前を決めるぞ』
来た。
俺は背筋を伸ばした。
『何か希望ある?』
希望。
そう言われても困る。
格好いい名前がいい。できれば覚えやすくて、この世界でも違和感のない名前。
あと、あまり変な意味がないやつ。
前世の知識で適当に名付けたら、こっちの世界では妙な単語だった、なんてことになったら悲惨だ。
俺は少し考えてから首を横へ振った。
『ないのかよ』
だって言葉が分からないんだもの。
◇
聖女が勇者の隣へ座った。
手には紙が一枚ある。そこには、いくつかの名前らしき文字が並んでいた。
当然、俺には読めない。
聖女がその紙を見ながら、一つ目の名前を口にした。
「レイム」
俺は首を傾げた。
レイム。
悪くない。
でも、何か違う。
勇者が俺の顔を覗き込む。
『どう?』
俺は少し悩んでから首を横へ振った。
『却下か。じゃあ次』
聖女が二つ目の名前を読む。
「ルーク」
お。
結構格好いい。
ただ、前世で知っていたゲームの登場人物に同じ名前がいた気がする。
しかも確か、途中で裏切る奴だったような。
……いや、やめよう。
縁起が悪い。
俺は首を横へ振った。
『これも駄目?』
すまない。
◇
それから何個か名前を聞いた。
短いもの。
長いもの。
少し発音しにくいもの。
中には、何となく貴族っぽい響きの名前もあった。
聖女は一つずつ丁寧に説明してくれているらしいが、俺にはまだ意味が分からない。
勇者が時々通訳してくれる。
『これは勇気があるって意味だって』
なるほど。
『こっちは神様の祝福とか、そんな感じらしい』
重い。
名前から神様を背負いたくない。
ただでさえ神々の試練で散々な目に遭ったんだぞ。
俺は首を横へ振った。
『お前、意外と注文多いな』
大事なことだからな。
一生使う名前なんだ。
慎重にもなる。
◇
何個目かの名前を聞いた時だった。
聖女が少し考えてから、紙にはない名前を口にした。
「アレン」
俺は顔を上げた。
アレン。
短くて覚えやすい。
発音もしやすそうだ。
それに、何となく気に入った。
勇者が聖女へ何かを尋ねる。
聖女は笑いながら答えた。
『アレンって名前、この辺りじゃそこまで珍しくないらしい。意味も悪くないってさ』
なるほど。
普通の名前。
それはいい。
俺は別に、最初から特別扱いされたいわけではない。
普通に人間として暮らしたいんだ。
普通に友達を作って、普通に恋愛して、普通に結婚する。
……いや、結婚まで行くかどうかは相手次第だけど。
とにかく、そういう生活がしたい。
だから。
アレン。
悪くない。
◇
『どう? 気に入った?』
勇者が聞いた。
俺は何度も頷いた。
『お、珍しく即決したな』
聖女も嬉しそうに笑っている。
どうやらこの名前は聖女が考えたものらしい。
それなら、なおさらいい。
俺は聖女を見る。
彼女は優しく微笑みながら、もう一度名前を呼んだ。
「アレン」
俺は頷いた。
「……あれ」
口を動かす。
もう少し。
「……あれん」
言えた。
自分の名前を。
聖女が目を丸くした。
その直後、嬉しそうに俺を抱き上げた。
「アレン!」
「……あれん!」
もう一度。
ちゃんと言えた。
◇
『おお、すごいじゃん』
勇者が感心したように言う。
『自分の名前だって分かったんだな』
そりゃ分かる。
俺を何歳だと思ってる。
……見た目は一歳か。
仕方ない。
聖女は何度も俺の名前を呼んでいる。
そのたびに俺が返事をすると、嬉しそうに笑ってくれる。
何だろう。
ちょっと恥ずかしい。
でも、悪くない。
いや。
かなり嬉しい。
◇
勇者が紙へ何かを書き始めた。
俺は聖女の腕の中から覗き込む。
見慣れない文字が並んでいる。
『これでアレンって読むんだって』
なるほど。
俺は文字をじっと見つめた。
この世界の文字。
俺の名前。
何度も形を覚えようとする。
聖女が気付いたのか、紙を俺の前へ持ってきて、文字を指差した。
「アレン」
俺も指を伸ばす。
「……あれん」
聖女が頷く。
そうか。
これが俺の名前なんだ。
◇
『じゃあ、今日からアレンだな』
勇者が言った。
俺は頷く。
『よろしくな、アレン』
そう言って、勇者が手を差し出してきた。
握手。
俺は少し驚いた。
こんな小さな身体でも、ちゃんと握手してくれるのか。
俺は自分の手を伸ばし、勇者の指を握った。
大きい。
俺の手なんて、勇者の手のひらにすっぽり収まってしまう。
でも、ちゃんと握手だ。
『お前、これから十五年くらいは俺たちと一緒なんだからな』
勇者が笑う。
十五年。
そうだった。
勇者が日本へ帰るまで、俺はこの二人に育ててもらうことになっている。
長いようで、短い時間なのかもしれない。
少なくとも、ゴーレムだった頃の俺にとっては。
◇
その後、勇者が何か思い出したように言った。
『そうだ。名前が決まったなら、ちゃんと色々手続きもしないとな』
手続き?
俺は首を傾げる。
『この世界でも、身元がはっきりしない人間って色々面倒なんだよ』
なるほど。
確かにそうかもしれない。
俺はダンジョンから突然現れた一歳児。
両親不明。
出生地不明。
年齢も推定。
しかも中身は千年以上生きた元ゴーレム。
……怪しすぎる。
『だから、しばらくは俺たちの子供ってことにしようと思うんだけど』
「…………」
俺は固まった。
今。
何て?
◇
『もちろん、聖女とも相談してある』
勇者が続ける。
『お前が普通に暮らすには、その方が都合がいいだろ』
それは分かる。
でも。
子供?
勇者と聖女の?
俺が?
聖女を見る。
彼女は優しく笑って頷いた。
どうやら本当に、そのつもりらしい。
俺は少し混乱した。
いや、だって。
昨日までは千年近く生きたゴーレムだったんだぞ。
それが今度は。
勇者と聖女の子供。
人生の展開が急すぎる。
◇
勇者が俺の顔を見て笑った。
『何だよ。嫌なのか?』
嫌。
……ではない。
むしろ、少し嬉しい。
でも、どう反応すればいいのか分からない。
俺は聖女を見上げる。
彼女は何も言わず、俺を抱きしめてくれた。
温かい。
柔らかい。
そして、安心する。
何百年も一人だった。
ずっと誰かと話したかった。
誰かと一緒にいたかった。
それが今。
家族になってくれると言っている。
俺は小さな手で、聖女の服をつかんだ。
そして、ゆっくり頷いた。
◇
『決まりだな』
勇者が言う。
『今日からお前は、俺たちの息子だ』
息子。
その言葉が、妙に胸へ響いた。
聖女が俺の頭を撫でる。
勇者も笑っている。
戦士は少し離れたところで俺たちを見ていたが、何かを言いながら頷いてくれた。
意味は分からない。
でも、祝福してくれているような気がした。
俺は少しだけ目を伏せた。
何だろう。
胸が熱い。
ゴーレムだった頃には感じなかった、不思議な感覚だった。
◇
ただ。
ここで重大な問題に気付いた。
勇者と聖女の子供。
ということは。
聖女は俺の母親。
勇者は俺の父親。
……父親。
勇者が。
俺の。
父親。
俺は勇者を見る。
『何だ?』
いや。
別に。
何でもない。
ただ。
お前、俺より何百歳も年下だよな?
それなのに父親?
何だこの逆転現象。
◇
俺が複雑な顔をしていると、勇者が察したように笑った。
『ああ、そうか。お前、中身は俺より年上なんだよな』
そうだよ。
『じゃあ、何だ? 千歳児?』
「だぁ!」
やめろ。
変な単語を作るな。
『千歳児の息子って、俺すごくない?』
すごくない。
むしろ意味が分からない。
『いやあ、俺もまさか転生してから千歳超えの息子ができるとは思わなかったわ』
俺だって思わなかったよ。
聖女が不思議そうに勇者を見る。
勇者は笑いながら何かを説明した。
頼むから余計なことは言うな。
俺の年齢の話をするな。
◇
その後、聖女は俺を抱いたまま部屋を出た。
勇者は必要な手続きについて確認してくるらしい。
俺は聖女の腕の中で、さっきの言葉を思い出していた。
息子。
家族。
アレン。
今日、一気に色々なものを手に入れた。
名前。
帰る場所。
そして、親と呼べる人たち。
正確には、俺は本当の赤ん坊ではない。
中身は三十歳から始まり、千年近く孤独に過ごしてきた男だ。
でも、今の身体は一歳児。
誰かに育ててもらわなければ、まともに生活することもできない。
それなら。
少しくらい甘えてもいいのかもしれない。
◇
聖女が何かを話しかけてきた。
俺は顔を上げる。
彼女は自分を指差し、ゆっくり言った。
「マーマ」
俺は固まった。
マーマ。
この世界でも、母親はそんな感じの呼び方なのか。
聖女はもう一度、自分を指差す。
「マーマ」
そして俺を見る。
……言えと?
俺は少し迷った。
中身は千年以上生きたおっさん。
相手は若くて美人な聖女。
その人を母親と呼ぶ。
何だか妙に恥ずかしい。
でも。
聖女は期待したような顔で俺を見ている。
そんな顔をされたら。
断れないじゃないか。
◇
俺は覚悟を決めて口を開いた。
「ま……」
聖女の表情が明るくなる。
「まー……ま」
言えた。
聖女は一瞬、驚いたように目を見開いた。
そして。
ぎゅっと抱きしめてくれた。
「アレン!」
名前を呼ばれる。
頭を撫でられる。
嬉しそうに笑ってもらえる。
俺は何だか、少し泣きそうになった。
でも、我慢した。
だって俺は千年以上生きた男だ。
こんなことで泣くなんて。
……いや。
少しくらいなら、いいか。
◇
その日の夜。
俺は布団の中で、天井を見つめていた。
今日から俺の名前はアレン。
勇者と聖女の息子。
この世界で、新しい人生を送ることになった。
何百年も前、マンホールに落ちた時には想像もしなかった未来だ。
暗い部屋で目覚めて、玉になっていた。
百年近くかけてゴーレムの身体を作り、それからもずっと一人だった。
何度も勇者が来て、そのたびに失敗して。
ようやく日本語が通じる勇者と出会い、外へ出られた。
そして今。
人間になった。
名前をもらった。
家族ができた。
俺は小さな手を胸へ当てた。
心臓が動いている。
温かい血が流れている。
その感覚が、何だか嬉しかった。
◇
ただし、一つだけ問題がある。
勇者が父親。
聖女が母親。
ということは。
俺が将来、彼女を作った時。
勇者に紹介することになるのか?
『父さん、彼女ができました』
……。
駄目だ。
想像しただけで笑いそうになる。
絶対にからかわれる。
間違いない。
それに、俺の童貞歴を知っているのも勇者だけだ。
そんな奴が父親役。
俺の青春、最初から弱点を握られてない?
俺は布団の中で頭を抱えた。
何ということだ。
せっかく人間になったのに、最大の敵が身内にいる。
◇
でも。
しばらくして、俺は小さく笑った。
何百年も一人だった頃なら、そんな心配すらできなかった。
誰かにからかわれる。
誰かと喧嘩する。
誰かに心配される。
そういう当たり前のことが、今は少し楽しみだった。
勇者。
聖女。
そして俺。
変な家族だと思う。
でも、悪くない。
俺は目を閉じた。
明日もきっと、何か新しいことがある。
そう思いながら、俺は眠りについた。
――俺の名前は、アレン。
今日からこの世界で生きる、一人の人間だ。




