第24話 俺、十五年間この家族と暮らすことになる
神々の試練を出て、俺は初めて空を見た。
青くて、広くて、どこまでも続いている。
何百年も石の天井しか見てこなかった俺にとって、それだけで十分すぎるほど感動的だった。
ただし現在、俺は聖女の腕の中。
自分ではまともに歩けない。
喋れない。
どう見ても幼児。
感動と現実の落差が激しい。
◇
『そういえば』
勇者が立ち止まった。
俺は聖女の腕の中から勇者を見る。
『俺の願い、まだ結果ちゃんと確認してなかったな』
そうだった。
聖女は魔王の復活を百年間止めた。
俺は人間になった。
勇者は日本へ帰ると願った。
でも、今もここにいる。
俺は首を傾げた。
『俺も帰れると思ってたんだけどさ』
勇者が苦笑いする。
『どうも、すぐには無理らしい』
何で?
俺がそう思った瞬間、まるで待っていたかのように、あの宝珠の声が頭の中へ響いた。
『世界間転移条件を再算定』
俺はびくっとした。
まだ聞こえるのか。
◇
『現在、対象世界との次元接続率が不足』
難しい言葉が並ぶ。
勇者も空を見上げた。
『要するに、今は帰れないってことらしい』
なるほど。
『次回安定接続まで――十五年』
十五年。
俺は目を瞬いた。
結構長い。
勇者も同じ感想だったらしく、しばらく黙っていた。
『十五年か……』
聖女が何か心配そうに話しかける。
勇者は少し考えてから笑った。
『まあ、待つしかないな』
思ったよりあっさりしている。
もっと落ち込むかと思った。
『帰れるって分かっただけでも十分だよ。十五年後なら、その時帰る』
そう言ってから、勇者は俺を見る。
『それに、お前をこんな状態で放って帰るわけにもいかないし』
「だぁ」
余計なお世話だ。
……いや。
今は本当に世話にならないと死ぬ。
何も言い返せなかった。
◇
聖女が何かを言った。
勇者が俺へ通訳する。
『聖女も、お前を一人にはできないって』
俺は聖女を見る。
彼女は優しく笑っていた。
その瞬間、胸の奥が少しだけ温かくなった。
何百年も一人だった。
誰かに心配されることなんてなかった。
誰かに「一人にできない」と言われることもなかった。
俺は少し迷ってから、聖女の服を小さな手でつかんだ。
聖女が目を丸くする。
それから、さらに柔らかく笑った。
……駄目だ。
こういうのに弱い。
◇
『とりあえず、一回街まで戻るぞ』
勇者が言った。
俺は頷く。
『今のお前、色々と必要だからな』
色々?
『服』
なるほど。
『食事』
そうだった。
『寝る場所』
確かに。
『あとたぶん、子供用の生活用品全部』
「…………」
俺は固まった。
待て。
全部?
『見た感じ、一歳前後くらいじゃないか?』
勇者が俺を見ながら言った。
一歳。
俺は自分の身体を見る。
確かに新生児ではない。
手足は小さいが、それなりに動く。
さっき立とうとして失敗したのも、身体が完全に動かないというより、今まで巨大なゴーレムだった感覚と違いすぎて扱えていないだけかもしれない。
つまり。
俺は一歳児。
中身は三十歳プラス何百年。
外見、一歳。
ひどい。
◇
勇者が俺を見て笑う。
『何か納得いってない顔してるな』
「だぁ!」
『一歳くらいからやり直せるなら得じゃない?』
何が得なんだ。
俺は人間になったら、すぐ恋愛できると思っていた。
彼女を作る。
デートする。
手を繋ぐ。
段階を踏む。
そして最終的に、長年背負い続けた童貞という業から解放される。
その予定だった。
現実。
一歳。
恋愛どころではない。
◇
俺が絶望していると、勇者が何かを察したのか、嫌な笑みを浮かべた。
『まさかお前』
やめろ。
『人間になったらすぐ彼女作れると思ってた?』
「…………」
俺は目を逸らした。
『図星かよ』
「だぁぁ!」
うるさい。
何百年待ったと思ってる。
『まあ、十五年なんてすぐだろ』
勇者は軽く言う。
十五年。
お前にとってはそうかもしれない。
俺にとっては、これ以上待つのかという話だ。
でも。
ふと気付いた。
十五年後。
勇者が日本へ帰る頃。
俺は今の身体が一歳前後なら、ちょうど成人に近い年齢になる。
……あれ?
もしかして。
悪くない?
◇
一歳から十五年。
人間として育つ。
言葉を覚える。
この世界の常識を学ぶ。
友達を作る。
できれば女友達も。
そして成人。
その頃には、俺もまともに恋愛できる年齢になる。
そう考えると。
これはこれでありなのでは?
強くてニューゲーム。
しかも幼少期から人生やり直し。
俺は少し前向きになった。
『急に顔明るくなったな』
勇者が言う。
うるさい。
未来設計をしていただけだ。
◇
それから俺たちは、神々の試練から離れていった。
聖女に抱かれたまま見る外の世界は、何もかもが新鮮だった。
木。
草。
風。
遠くの山。
鳥。
全部、初めて見るものばかり。
何百年も同じ石の部屋にいたせいで、道端の草ですら少し感動する。
俺がきょろきょろしていると、聖女が楽しそうに何か話しかけてきた。
意味は分からない。
でも。
優しい声だということだけは分かった。
◇
途中、俺は聖女の腕の中で眠くなった。
これも初めての感覚だった。
ゴーレムだった時は眠る必要なんてなかった。
だから、意識がぼんやりしていく感覚が少し怖い。
目を閉じたら。
またあの暗い部屋に戻るんじゃないか。
そんな馬鹿な不安が浮かんだ。
俺は無意識に、聖女の服を強く握った。
聖女が気付く。
そして、俺の頭を優しく撫でた。
大丈夫。
言葉は分からない。
でも、そう言われた気がした。
◇
俺は少しずつ目を閉じた。
温かい。
人の体温。
誰かに抱かれたまま眠る。
前世でも記憶にない。
今世では当然初めて。
不思議だった。
何百年も一人でいた。
誰にも触れられず。
誰とも話せず。
誰にも心配されなかった。
でも今は違う。
勇者がいる。
聖女がいる。
戦士もいる。
俺は一人じゃない。
◇
意識が落ちる直前、勇者の声が聞こえた。
『十五年か』
少し間があった。
『……まあ、ちょうどいいか』
聖女が何かを返す。
『こいつが大人になるまで、俺たちで育てればいい』
俺は薄れゆく意識の中で、その言葉を聞いた。
育てる。
俺を。
十五年間。
家族みたいに。
何百年も一人だった俺が。
これから十五年。
誰かと暮らす。
その事実が、少しだけ嬉しかった。
俺はそのまま。
人間になって初めて。
眠った。




