第23話 俺、勇者と聖女に育てられることになる
人間になった。その事実だけなら、何百年も願い続けてきた最高の結果だ。
問題は、赤ん坊だったこと。しかも、どう見ても生まれて間もないくらいの小ささで、立つことすらできない。俺は聖女の腕の中で、自分の小さな手を見ながら絶望していた。
「だぁ……」
人間になった直後の第一声がこれである。もっとこう、「ついに人間だ!」とか、「長かった!」とか、何か格好いいことを言いたかった。
現実は、ばぶばぶ。
悲しい。
◇
『どうする?』
勇者が聖女と戦士へ何か話しかける。当然、俺には内容が分からない。
さっきまでなら床へ文字を書けば良かったが、今の俺にはそんな芸当はできない。指は小さいし、力も入らないし、そもそも床へ降ろされたらまともに移動できない。完全に意思疎通手段を失っていた。
「うぁ、あぅ!」
俺は勇者へ向かって必死に声を出す。
『……何言ってるか全然分からんな』
知ってるよ。俺だって分からない。
◇
聖女は俺を抱いたまま、優しく背中を撫でている。落ち着けと言っているのだろうか。正直、かなり落ち着く。
温かい。柔らかい。そして、いい匂いがする。
待て。俺は何を考えている。
相手は今、完全に俺を赤ん坊として抱いているだけだ。ここで変なことを考えたら、人として終わる。いや、中身は何百歳か分からないおっさんなのだが。
余計に駄目だ。
◇
勇者が俺の顔を覗き込む。
『たぶん、このまま外まで連れていくしかないよな』
俺は全力で頷いた。連れていって。絶対に置いていかないで。今の俺をここへ一人で残されたら、餓死する未来しか見えない。
さっきまでなら何百年でも飲まず食わずで平気だったのに、今は普通に喉が渇くし、空腹らしき感覚まである。
人間って不便だ。でも、ずっと欲しかった不便でもある。
◇
勇者たちはしばらく相談していた。聖女は何度か俺を見て、何かを強く主張している。戦士も途中で頷いた。
そして勇者が、俺へ向かって日本語で言った。
『お前、俺たちと一緒に来るか?』
俺は全力で頷いた。
『だよな』
当たり前だ。他に選択肢がない。
『とりあえず、しばらく俺たちで面倒見ることになった』
俺は固まった。面倒を見る。つまり、育ててもらう。
誰に?
勇者と聖女に。
俺、勇者と聖女に育てられるの?
◇
何百年も一人だった。家族なんてものとは、とっくに無縁になっていた。それが人間になった途端、いきなり勇者と聖女に育てられることになる。
人生、急展開すぎる。
俺が呆然としていると、聖女が笑いながら俺を少し高く抱き上げた。
「うぁっ!」
怖い。でも嫌ではない。何というか、不思議な感じだった。
◇
勇者たちは、神々の試練の出口へ向かって歩き始めた。俺は当然、自分では歩けないので聖女に抱かれたまま移動する。
今まで自分の足で歩いていた時とは、景色の高さがまるで違う。すべてが大きく見える。勇者も、戦士も、壁も、通路も。
何より、聖女の顔が近い。
近い。本当に近い。
赤ん坊だから当然なのだが、人生でここまで女性の顔を間近で見た記憶がない。俺は必死に別の方向を見る。
◇
『顔真っ赤じゃない?』
勇者が俺を見て言った。
うるさい。赤ん坊は体温高いんだよ。たぶん。
『熱あるんじゃないか?』
違う。
『大丈夫?』
聖女も心配そうに俺の額へ手を当てる。
さらに近い。
やめて。いや、やめないで。でもやめて。
俺の精神が危ない。
◇
その後も出口までの道を進む間、勇者は何度かこちらを見て笑っていた。絶対に何か察している。
許さない。いつか喋れるようになったら絶対に文句を言う。俺はそう決意した。
ただ、その前に言葉を覚え直さないといけない。いや、頭では日本語が分かる。問題は、この身体がちゃんと発音できるようになるまで待たなければならないことだ。
赤ん坊、不便すぎる。
◇
神々の試練を抜けると、外の空気が流れ込んできた。俺は思わず目を見開いた。
風。冷たい。でも心地いい。
そして、空。
◇
初めて、この世界の空を見た。
青い。本当に青い。
何百年もの間、俺が見ていたのは石の天井だけだった。あの部屋。通路。ダンジョン。それが俺の世界のすべてだった。
でも今、目の前にはどこまでも空が広がっている。
◇
俺は聖女の腕の中で、ただ空を見続けた。何も言えない。声もまだまともに出ない。
でも、少しだけ泣いた。自分でも分かるくらい、涙が出た。
聖女が驚いたように俺を見る。そして、優しく抱きしめた。
◇
俺はそのまま、泣きながら思った。外に出た。人間になった。
今度は、生きてみよう。本当に、人間として。今までできなかったことを、全部少しずつ。
◇
ただし、その前に一つ重大な問題がある。
俺、今、何歳?
見た目はどう考えても赤ん坊。でも、中身は何百年もの孤独を経験したおっさん。しかも、これから育ててもらう相手は勇者と聖女。
人生二周目どころか、何周してるのかもう分からない。でも、これだけははっきりしている。
俺の新しい人生が、今、始まった。




