第21話 俺、ついに願いを叶える宝珠へ辿り着く
目の前には、これまでとは明らかに雰囲気の違う巨大な扉が立っていた。細かな紋様が全面に刻まれ、その隙間から淡い光が漏れている。近付くだけで、俺でも分かるほど濃い魔力を感じた。
『この先が最後だ』
勇者が扉を見上げながら言う。戦士も表情を引き締め、聖女は杖を握り直した。
俺も扉を見る。この先を突破すれば、一人につき一つ、願いを叶えられる。人間になりたい。その願いが、さっきから頭の中を離れなかった。
◇
『一応言っとくけど、最後は今までより別格だからな』
勇者が俺を見る。俺は頷いた。
『ゲームだと、ここまで来ても最後で全滅することが普通にある』
なるほど。今までの奴らとは比べものにならないということか。
俺は少しだけ楽しみになっていた。外へ出てからというもの、出てくる魔物がことごとく一撃で終わってしまった。せっかく神々の試練なんて大層な名前なのに、俺にとっては散歩に近い。
もしかしたら最後くらいは、ちゃんと戦えるかもしれない。俺が拳を握ると、勇者が嫌そうな顔をした。
『お前、今ちょっと楽しみにしてるだろ』
俺は首を横へ振った。
『嘘つけ』
なぜ分かった。
◇
勇者が扉へ手を触れる。
ゴゴゴゴゴゴ……。
重い音を立てながら、巨大な扉がゆっくり開いていく。その向こうには、今まで以上に広い空間が広がっていた。中央に立っているのは、一体の巨大な魔物。いや、魔物と呼んでいいのか少し迷う。
人のような形をしているが、背丈は俺よりもさらに大きく、全身が白銀の鎧のようなもので覆われていた。背中には何枚もの翼に見える光が浮かび、両手には巨大な剣を持っている。
『あれが最後の守護者だ』
勇者が剣を抜く。
『ゲームじゃ、神将って呼ばれてた』
神将。強そうな名前だ。
◇
俺たちが部屋へ入ると、背後の扉が閉じた。同時に、神将の目に光が灯る。空気が変わった。
次の瞬間、神将が消える。
――!
速い。今までの魔物とは明らかに違った。勇者が剣を上げるより先に、神将の大剣が振り下ろされる。
『避けろ!』
俺は反射的に前へ出た。
ガァァァァン!!
大剣が俺の腕へ叩きつけられる。床が大きく砕け、衝撃が部屋中へ広がった。勇者たちは後方へ吹き飛びかける。
俺は自分の腕を見る。傷はない。神将も俺の腕を見ている。少しだけ首を傾げたような気がした。
気持ちは分かる。
◇
『大丈夫か!?』
勇者が叫ぶ。俺は頷いた。大丈夫というより、何ともない。
『……やっぱおかしいだろ、お前』
勇者が何か言っているが、今は神将の方が気になる。神将がもう一度剣を構える。今度は二本同時、左右からかなりの速さで振るってくる。
俺は両手を出した。
ガンッ!!
二本の剣を、それぞれ片手で受け止める。止まった。神将も止まる。俺も少し驚いた。
力は強い。今までの魔物より、かなり強い。でも、押されない。
◇
『今だ!』
勇者が横から斬り込む。戦士も反対側から攻撃し、聖女の魔法が後方から飛ぶ。勇者たちの攻撃が同時に神将へ叩き込まれた。
爆発。光。煙。神将が数歩後ろへ下がる。
『効いた!』
勇者が声を上げる。俺も少し安心した。ちゃんと勇者たちの攻撃も通る。これなら俺が全部やらなくても――。
そう思った瞬間、神将の身体から大量の光が溢れ、傷が消えた。
『……回復するの忘れてた』
勇者が小さく呟いた。
忘れるな。
◇
神将が両手の剣を掲げる。天井いっぱいに巨大な魔法陣が広がった。
『まずい!』
勇者の声と同時に、無数の光の槍が降ってくる。聖女が防御結界を展開する。光の壁へ次々と槍が突き刺さり、やがて結界に亀裂が入り始めた。
聖女の表情が苦しそうに歪む。俺はそれを見て、前へ出た。
◇
俺は聖女たちの前に立つ。光の槍が身体中へ降り注ぐ。
ガン。ガン。ガガガガガガガガン!!
でも、痛くない。むしろ少しくすぐったいくらいだった。光が収まり、自分の身体を見る。傷はない。
勇者が後ろで何か言いたそうな顔をしている。聖女も呆然としていた。俺は少しだけ胸を張った。
守れた。
何百年も、俺は人を吹き飛ばしてばかりだった。でも今は違う。初めて人を守れたことが、少し嬉しかった。
◇
神将が再び動く。今度は俺へ向かって真正面から突進し、大剣を振り上げた。俺も拳を握る。
手加減。今までずっと失敗してきた。でも、相手がこれだけ強いなら、少しくらい本気を出しても大丈夫ではないだろうか。
いや、危ない。
俺は学習している。まずは少し強め。それくらいで。
◇
神将の剣が振り下ろされる。俺は拳を前へ出した。
ドンッ!!
神将の上半身が消えた。
勇者たちは無言。俺も無言。いや、俺は元から喋れない。
神将の残った下半身が、その場でゆっくり倒れる。
ズズン。
静寂。
◇
勇者が俺を見る。俺も勇者を見る。
『今の』
俺は頷く。
『手加減した?』
もう一度頷く。勇者は両手で顔を覆った。
『もういい。聞いた俺が悪かった』
何でだ。今度は本当に少し強くしただけなのに。
◇
その直後、倒れた神将の身体が光へ変わり始めた。白銀の身体が崩れ、無数の光の粒となって空へ昇っていく。
俺は少し身構えた。復活か、第二形態か、それとも巨大化か。そういう可能性を警戒していると、勇者が言った。
『大丈夫。これで終わりだ』
俺は勇者を見る。
『クリア』
本当に?
勇者が頷く。
『神々の試練、攻略完了だ』
◇
部屋の奥にあった壁が、ゆっくり開いていく。その向こうから、柔らかな光が漏れた。俺たちは警戒しながら進む。
そこには小さな部屋があり、中央には台座。その上に三つの光る球が置かれていた。
これか。
『願いを叶える宝珠』
勇者が言う。俺は光る球を見つめる。大きさは、人間の頭より少し小さいくらい。見た目だけなら、不思議に光る水晶玉だ。
でも、これが願いを叶える。
◇
『一人一つ』
勇者が確認するように言った。戦士は宝珠を見たあと首を横へ振り、聖女と何か話している。俺には内容が分からない。
『ああ、こいつは今回の願いは使わないって』
勇者が通訳してくれた。なるほど。使うのは勇者、聖女、俺。三人。ちょうど三つ。
◇
勇者が宝珠を見ながら、少しだけ表情を変えた。
『俺は決めてる』
聞かなくても何となく分かった。
『元の世界に帰る』
やっぱり。勇者は転生者だ。この世界で生きてきた。それでも、日本へ帰りたいらしい。
俺は少し不思議だった。俺はもう、日本へ帰りたいとはほとんど思わない。何百年も経ちすぎた。帰ったところで、俺の知っている人間は誰もいない。
◇
次に聖女が宝珠の前へ進んだ。勇者がこちらを見る。
『聖女も願いは決めてる。魔王の復活を止めたいんだって』
俺は聖女を見る。魔王は倒しても、いずれまた復活する。なら、その復活そのものを止める。自分のためではなく、この世界のために使う願い。
すごい。
聖女が宝珠へ手を触れる。淡い光が強くなった。
◇
次の瞬間、部屋全体に声が響いた。男とも女とも分からない、不思議な声だった。
『魔王の永久消滅――実現不可能』
聖女の表情が固まる。勇者も顔を上げた。声は続く。
『現行の世界法則を維持したまま、魔王の復活そのものを永久に停止することはできない』
つまり、願いでも無理なことがある。何でも叶うわけではないらしい。
聖女が何かを言う。俺には意味が分からない。勇者が小さく通訳した。
『「可能な限り長く止めてほしい」って』
宝珠の光がさらに強くなる。
『実現可能範囲を算定』
しばらく、沈黙。そして。
『魔王の復活を百年間停止可能』
百年。
◇
聖女は少しだけ目を伏せた。永久には無理。それでも百年。
勇者が聖女へ何かを言う。二人のやり取りは分からない。だが、聖女はやがて顔を上げ、はっきりと頷いた。
宝珠へ向かって何かを告げる。勇者が俺へ訳してくれた。
『「それでお願いします」だって』
次の瞬間、宝珠が強く輝いた。
『願いを受理。魔王の復活を百年間停止する』
光が聖女の身体を包み、やがて消えていく。これで百年間、魔王は復活しない。
聖女が願ったのは永遠だった。でも、宝珠の力にも限界がある。その限界いっぱいが、百年。それでも、その百年の間にどれだけ多くの人が救われるのか。
そう考えると、やっぱりすごい願いだと思う。
◇
それに比べて俺は、人間になりたい。彼女が欲しい。恋愛したい。童貞も卒業したい。
……欲望まみれだな。
『お前は?』
勇者が俺を見る。俺は少し考える。いや、本当は考える必要なんてない。ずっと決まっている。
俺は床へ指を伸ばし、ゆっくり文字を書く。
『人間になりたい』
勇者が読む。
『人間?』
俺は頷き、さらに書く。
『できれば強さそのまま』
欲張りだとは思う。でも、せっかくなら。そして、もう一つ。念のため。
『男』
勇者が止まった。
『そこ確認する必要ある?』
ある。ものすごくある。
◇
俺はさらに書く。
『ちゃんとした男』
『恋愛できる』
『結婚できる』
『子供作れる』
勇者が途中から目を逸らした。
『分かった。もう分かったから』
何だ。大事だろ。非常に重要なところだ。
『願いって一つだからな?』
俺は頷く。だからまとめる。
『完全な人間の男になる』
これで完璧。勇者が床の文字を見る。
『……まあ、それなら全部含まれるか』
俺は強く頷いた。
◇
俺は宝珠を見る。人間になりたい。ずっとそう思っていた。
食べる。眠る。喋る。触れる。手を繋ぐ。抱きしめる。恋をする。そして、誰かと一緒に暮らす。
そんな普通のことを、ずっとやりたかった。俺は台座の前へ進み、光る宝珠へゆっくり手を伸ばした。
◇
この時、俺は一つだけ重大なことを確認していなかった。人間になる。そこまではいい。
問題は、何歳の人間になるのか。
そこだった。




