第20話 俺、神々の試練を蹂躙する
さっきまで目の前にいた巨大な魔物は、壁を何枚もぶち抜いた先で完全に見えなくなっていた。俺は自分の拳を見る。勇者も俺の拳を見る。戦士も見る。聖女まで見る。
『……軽く?』
勇者がもう一度聞いた。俺は頷いた。嘘ではない。本当に軽く殴ったつもりだった。
『あれで?』
もう一度頷くと、勇者はしばらく黙ったあと頭を抱えた。
『お前、やっぱり鉄じゃないだろ』
俺もそんな気がしてきた。ただ、それを伝えるためだけに床へ文字を書くのも面倒なので、俺は自分の腕を見てから肩をすくめてみせた。
◇
吹き飛ばした魔物が戻ってくる様子はない。勇者は剣を構えたまま通路の奥を警戒していたが、やがてゆっくり武器を下ろした。
『たぶん、死んでる』
俺は少し気まずくなった。倒すつもりではあった。でも、一撃であそこまで吹き飛ばすつもりはなかった。
『ちなみに、あいつかなり強いからな』
俺が首を傾げると、勇者は続ける。
『ゲームだと、ここまで来たパーティーでも普通に全滅することがあるくらい』
そんなに強かったのか。俺はもう一度、自分の拳を見る。ちょっと怖くなってきた。
◇
『次からは、さらに弱く殴れ』
勇者が真面目な顔で言う。俺も真面目に頷いた。
『今の十分の一くらいで』
十分の一。かなり弱く。よし、覚えておこう。俺たちは再び先へ進み始めた。
◇
しばらくすると、次の広間へ出た。そこには今度は複数の魔物が待ち構えていた。巨大な狼のような魔物が三体。さらに空中には、翼の生えた蛇のような奴が二体。
『ここは俺たちもやる』
勇者が前へ出る。戦士も武器を構え、聖女は後方で杖を掲げた。俺は少し後ろへ下がる。
今回は見学だ。せっかくなので、勇者たちの戦い方を見ておきたい。
◇
勇者が一気に駆け出した。速い。普通の人間とは比べものにならない。剣に光をまとわせ、一体目の狼へ斬り込む。
戦士は別の一体を受け止め、聖女は二人へ支援魔法らしい光を飛ばす。ちゃんとパーティー戦になっている。俺の中にあった「勇者一行」のイメージそのままだった。
正直、格好いい。俺もいつか、仲間と連携して戦うようなことをしてみたい。
◇
その時、空中の蛇が大きく口を開いた。魔力らしい光が集まる。
『上!』
勇者が叫び、聖女が防御魔法を展開する。光の壁。次の瞬間、蛇の口から巨大な火球が放たれた。
危ない。そう思った瞬間、俺は反射的に手を出していた。
パァン!!
火球が消えた。正確には、俺が手で払った。勇者も戦士も聖女も固まる。俺も自分の手を見て固まった。
『今……魔法、素手で消した?』
俺は自分の手と勇者を交互に見て、首を傾げた。
たぶん。
◇
勇者が何か言いかけた。だが、その隙に巨大な狼が背後から飛びかかる。
『後ろ!』
俺は振り向く。手加減。十分の一。これを忘れない。
俺は本当にかなり弱く、指で狼の額を弾いた。
バンッ!!
狼が消えた。また壁へ飛んだ。俺は自分の指を見る。これで十分の一くらいのつもりだったのだが。
『絶対、加減できてないだろ』
勇者が呆れた顔で言った。
否定できない。
◇
残った魔物たちは、一瞬だけ動きを止めた。当然だと思う。仲間が指一本で消えたのだから。その隙に勇者と戦士が一体ずつ倒し、聖女の魔法が空中の蛇を撃ち落とす。
今度はちゃんと連携している。俺が少し安心したところで、もう一体の蛇がこちらへ飛んできた。
殴れば飛ぶ。指でも飛ぶ。なら、もっと弱く。俺は悩んだ末、そっと手を置いた。
ドンッ!!
蛇が床へ叩きつけられ、そのまま動かなくなった。
『お前、加減下手すぎるだろ!』
勇者が叫ぶ。俺は倒れた蛇を見た。
本当に、押さえただけなんだけどな。
◇
戦闘は終わった。魔物は全滅。こちらは無傷。俺は床に転がる蛇を見ながら、少しだけ頭を下げた。
申し訳ない。本当にそんなつもりではなかった。勇者は剣をしまいながら俺を見る。
『お前がいると、試練にならない気がする』
俺も、ちょっとそう思う。
◇
それから先も似たようなものだった。次の部屋では大型魔物が出た。俺が軽く押したら終わった。
さらに次では魔法を使う魔物が現れた。攻撃を受けてみたが無傷だったので、近付いて触れたら終わった。
その次は巨大な甲殻を持つ魔物。
『こいつ、物理攻撃ほぼ通らない』
勇者がそう説明した。俺が軽く殴る。甲殻ごと吹き飛んだ。
勇者が無言になる。
◇
さらに先へ進む。魔物が出る。倒す。また進む。
いつの間にか、戦闘が始まるたびに勇者たちの出番が減っていた。何だか申し訳なくなってきた。
『なあ』
勇者が言う。俺は見る。
『俺たち、必要?』
言っちゃった。
◇
俺は床へ文字を書く。
『必要』
勇者が読む。
『本当か?』
俺は頷き、さらに続ける。
『俺 言葉わからない』
『道わからない』
『仕組みわからない』
『勇者必要』
勇者は少しだけ納得した顔をした。
『戦闘以外全部か』
俺は頷く。
『それはそれで複雑だな』
◇
勇者は戦士と聖女にも説明したらしい。戦士は苦笑し、聖女はなぜか少し笑っていた。
笑顔。いいな。俺はすぐに意識を別の方向へ向ける。
落ち着け。爆発しない。今の俺は昔とは違う。
◇
その後も試練は続いた。勇者が苦戦する相手も、戦士が受け止めきれない相手も、聖女の魔法を防ぐ相手も、俺が触ればほぼ終わる。途中からは、戦闘が始まる前に勇者が俺を見るようになった。
『やる?』
俺が頷く。
『じゃあ頼む』
扱いがだいぶ雑になってきた。
◇
ある部屋では、巨大な魔法陣が床に現れ、そこから何十体もの魔物が召喚された。
『ここ、ゲームだとかなり面倒なんだよ』
勇者が言う。俺は魔物の群れを見る。一体ずつ殴るのは面倒そうだ。
なら、俺は手を軽く横へ振った。
ゴォォォォォォン!!
衝撃波が広がり、魔物たちがまとめて壁へ叩きつけられる。全部動かなくなった。勇者が口を開けたまま固まっている。
『お前……最初からそれやれたの?』
俺は頷く。
『じゃあ今まで一体ずつ殴ってたの何だったんだよ!』
俺は床へしゃがみ込み、一言だけ書いた。
『手加減』
『どこが!?』
◇
そんな調子で、俺たちは神々の試練を進んでいった。俺にとっては、外へ出て初めての冒険であり、初めての仲間との攻略だった。全部が新鮮で、楽しい。
ただ、勇者たちから見れば、たぶん何かが違う。
◇
さらに奥へ進むと、これまでとは明らかに雰囲気の違う巨大な扉が現れた。装飾も違う。漂う魔力も違う。空気そのものが重い。
勇者が足を止めた。
『ここだ』
俺も扉を見る。
『この先が、神々の試練の最終区画』
勇者はそう言ってから続ける。
『ここを突破すれば、願いを叶える宝珠が手に入る』
願い。その言葉に俺は反応した。
『一人一つ』
一人、一つ。俺の中で、長年ずっと抱えていた願いが浮かぶ。
人間になりたい。できれば男として。
そして何より、ちゃんと恋愛できる身体に。
そこは非常に重要だった。




