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30歳童貞おっさんの転生物語  作者: 障子
第一章 ゴーレム編

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第14話 俺、筆談にすべてを賭ける

 初めて女性を見ただけで身体が暴走してから、俺はしばらく本気で落ち込んでいた。


 走って失敗。手を動かして失敗。地団駄を踏んで失敗。そして最後は、何もしなかったのに失敗。


「……もうどうしろっていうんだよ」


 俺は巨大な扉を眺めながら、床に座り込んでいた。何もしなければ安全だと思っていた。その最後の希望まで、あっさり裏切られた。


「女の子見ただけで爆発って……」


 言葉にすると最悪だった。


「違うからな。別に変な意味じゃないからな」


 誰もいない部屋で、誰に対してか分からない弁明をする。


 虚しい。


     ◇


 それからまた、長い時間が過ぎた。どれくらいかは相変わらず分からない。俺には時計も暦もなく、眠る必要すらないから、時間というものを正確に測る方法がない。


 ただ、一つだけ分かることがあった。来訪者は、すぐには来ない。一組来てから次の一組が現れるまで、とんでもなく長い間が空く。


「せめて週一くらいで来てくれないかな」


 無茶を言っている自覚はある。でも俺からすれば、来訪者は唯一の外界との接点なのだ。


「月一でもいい」


 沈黙。


「年一……?」


 当然、返事はない。


「……贅沢言わないから、人と話したい」


 その「話す」が一度も成功していないのだが。


     ◇


 暇な時間だけは山ほどある。だから俺は、これまでの失敗をもう一度整理した。


 まず直接接触は論外。握手なんて絶対に無理だ。大きな身振りも危険。小さな動きですら何が起きるか分からない。


 ジェスチャーは、そもそも文化が違えば通じない。


「となると……」


 残る方法は少ない。


 声。


「出ない」


 絵。


「下手」


 文字。


 俺は止まった。


「文字?」


 前にも少し考えた。この世界の文字は知らない。でも。


「日本語なら書けるじゃん」


 もちろん相手が読めるとは思えない。それでも、何もしないよりはマシではないだろうか。


     ◇


 俺は床にしゃがみ込み、人差し指を押し当てた。今の身体なら、石の床くらい簡単に削れる。ただし力加減には細心の注意が必要だ。


「ゆっくり……ゆっくり……」


 ガリ。


 少し削れた。


「よし」


 もう一度。


 ガリガリ。


 俺は慎重に文字を書いていく。


『こんにちは』


 書けた。俺は少し離れて確認した。


「……読める」


 当たり前だ。日本人の俺が書いた日本語なのだから。


「問題は、この世界の人が読めるかだけど」


 そこが一番重要だった。


     ◇


 次に。


『敵意はありません』


 書いてみる。長いな。もっと簡単な方がいい。


 削って消そうとして、床が余計にボロボロになった。


「またこれか」


 書き直す。


『敵じゃない』


 まだ長い。


『友達』


「重いな」


 初対面で床に「友達」と書いて待っている巨大ゴーレム。


「怖いわ」


 自分で却下した。


     ◇


 何を書くべきか真剣に考えた。


『話したい』


 悪くない。


『攻撃しない』


 これもいい。


『仲良くしよう』


 少し馴れ馴れしい。


『彼女募集中』


「絶対違う!」


 なぜ候補に出した。俺は慌てて削った。


「危ない。孤独が思考を侵食してる」


 もうとっくに侵食されている気もしたが、考えないことにした。


     ◇


 結局。


『話したい』


『攻撃しない』


 この二つを書くことにした。日本語だが、文章自体は簡単だ。もし転生者でも来れば、奇跡的に読めるかもしれない。


 自分で考えてから笑った。


「いや、そんな都合よく日本人来るわけないか」


 俺自身が日本から来ている時点で、絶対ないとも言い切れないのだが。この時の俺には、そこまで真剣に考える理由もなかった。


     ◇


 それから俺は、筆談の練習を始めた。鉱石を吸収。鍛錬。筆談。


 妄想。また鉱石を吸収。鍛錬。筆談。


 時々妄想。


「……妄想いる?」


「いる」


 即答だった。孤独な生活に必要な精神安定剤である。


     ◇


 文字を書く速度も少しずつ上がった。最初は一文字刻むだけでも慎重だったが、慣れてくると床を壊さず書ける。


『こんにちは』


『敵意なし』


『話したい』


『攻撃しない』


 そのうち。


『俺は悪いゴーレムじゃない』


 何か。


「スライムっぽいな」


 却下。


     ◇


 そんなことを続けているうちに、再び扉の向こうから足音が聞こえた。久しぶりの音だった。


「……来た」


 以前なら興奮していた。だが、もう俺も何度も失敗している。さすがに学習した。


「動かない。騒がない。興奮しない」


 そして今回は。


「文字」


 これがある。俺は来訪者から十分離れた床へ、あらかじめ大きく日本語を刻んでおいた。


『攻撃しない』


『話したい』


「完璧」


 読めれば。という重大な条件付きだが。


     ◇


 ゴゴゴゴゴゴ……。


 巨大な扉が開いた。入ってきたのは四人。


 剣を持った男。槍を持った男。杖を持った人物。そして弓を持った人物。


 今回は性別確認を後回しにした。


「成長したな俺」


 普通はそれが当たり前だ。


 四人は俺を見るなり、やはり武器を構えた。俺は動かない。ただ視線――の代わりになる感覚を、床の文字へ向ける。


「見ろ」


 頼む。


「床を見てくれ」


     ◇


 一人が気付いた。男が床を指差し、仲間へ何か言う。


「来た!」


 俺は心の中で叫んだ。


「読め!」


 頼む。


「読んでくれ!」


 四人が俺の刻んだ文字を見る。じっと、見る。


 そして、顔を見合わせた。


 嫌な予感。


 杖を持った人物が首を傾げる。剣士が何か叫ぶ。その後、全員が再び武器を構えた。


「やっぱり読めないぃぃぃぃ!!」


     ◇


 分かっていた。分かっていたけど。


「ちょっとくらい奇跡起きろよ!」


 異世界転生したんだから、日本語を知っている人間が一人くらいいてもいいじゃないか。いや、冷静に考えれば相当な無茶だ。


「じゃあ絵!」


 俺はすぐに別案へ移った。ただし身体は動かせない。今から描いたら怖がられる。


「前もって描いとけばよかった!」


 準備不足。痛恨。


     ◇


 四人が少しずつこちらへ近付いてくる。慎重に、武器を構えたまま。


「待って」


 俺は動かない。


「俺、攻撃する気ないから」


 伝わらない。剣士が何か叫ぶ。たぶん。


『戦え』


 とか。


『覚悟しろ』


 とか。そんな感じだと思う。


「嫌だよ」


 俺は心の中だけで答えた。今回は絶対に動かない。何をされても。


「石像」


 そう。俺は石像。


     ◇


 そして剣士が、一気に踏み込んだ。


 剣が、俺の胴体へ。


 ガキィン!!


 当たった。


 俺は動かない。剣士も動かない。


 というか、剣士、自分の剣を見ている。


「……折れた?」


 刃が欠けていた。


「ごめん」


 何もしていない。本当に何もしていない。なのに申し訳ない。


     ◇


 今度は槍。


 ガンッ!


 弾かれた。


 矢。


 カンッ!


 床へ落ちた。


 魔法。


 ドンッ!


 煙。晴れる。


「俺、無傷」


 四人、沈黙。俺も沈黙。


 いや、元から喋れない。


 気まずい。


     ◇


 だが、これは。


「いける?」


 今までと違う。俺は攻撃していない。誰も吹き飛んでいない。全滅もしていない。


「成功!」


 まだ早い。でも。


「今回いける!」


 俺の中に希望が湧いた。相手が攻撃しても、俺が反撃しなければいい。そのうち。


『あれ? こいつ戦う気ない?』


 と、気付いてくれるはず。


「そうだ!」


 俺は動かない。


「攻撃し放題!」


 言い方が悪い。


     ◇


 四人はしばらく攻撃を続けた。剣。槍。矢。


 魔法。何度も、何度も。俺は全部受けた。


 痛くない。そもそも効いてない。


 ちょっと申し訳なくなってきた。剣士の剣、ボロボロ。槍、先端が曲がっている。


 矢、ほとんどなくなった。杖の人、肩で息をしている。


 俺は思った。


「そろそろ止めた方がいい?」


 でも、動いたら危険。


 どうする。


     ◇


 その時、剣士が武器を下ろした。


 俺は期待した。


「気付いた?」


 俺が戦う気がないと。


「気付いてくれた!?」


 剣士は仲間を見る。何か話す。他の三人も武器を下ろした。


 来た。


「意思疎通成功!?」


 ついに!


 俺は何十年ぶりか分からないほどの達成感を感じた。


     ◇


 四人はゆっくり後ろへ下がった。うん、警戒は仕方ない。


 さらに下がる。まあ、安全な距離。


 さらに、下がる。


「ん?」


 扉まで戻った。


 一人、外へ。二人目、外へ。三人目。四人目。


 そして。


 ゴゴゴゴゴゴ……。


 扉が閉まった。


 俺は誰もいなくなった部屋で、立ち尽くした。


     ◇


「逃げたぁぁぁぁぁぁ!!」


 全滅はしなかった。


「生きて帰った!」


 これは、ものすごい進歩。


「でも逃げた!」


 会話、ゼロ。


「文字も読まれてない!」


 成果、ほぼゼロ。


「でも死んでない!」


 俺は悩んだ。成功なのか。失敗なのか。


 最終的に。


「半分成功!」


 そういうことにした。


     ◇


 この日から、俺は方針を少し変えた。来訪者を倒さない。まずそれでいい。意思疎通は、その次。


「段階!」


 そう。恋愛と同じ。


「まず生きて帰ってもらう!」


 次に。


「話す!」


 次に。


「仲良くなる!」


 その次に。


「女の子だった場合は――」


 俺は止まった。


「まだ早い」


 成長した。少しだけ。


     ◇


 俺は床に刻まれた日本語を見る。


『攻撃しない』


『話したい』


 今回も通じなかった。でも、俺は消さなかった。


「いつか」


 本当に、いつになるか分からない。


「これを読める奴が来たりしてな」


 そんなことを考えて、一人で少し笑った。


「……まあ、ないか」


 そして俺は、また鉱石を吸収し始めた。次の来訪者が現れるまで、また、気の遠くなるほど長い時間を過ごしながら。



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