1-27 「親友と片思い」
重い足取りで階段を上ると、階段の先の突き当たりにある部屋のドアがガチャっと開いた。
「…………津野か」
出てきたのは、少しやつれた顔をした古田。トイレだったようだ。
「……桐生は?」
「部屋。……あー、まじでもう」
古田は唸るように言うと、その場で座り込んで頭を抱えた。
「喧嘩でもした」
「違ぇよ。違うんだけど……あーもう、あいつ……」
何があったのか知らないけど、俺には関係ない。
「氷華さん、あんたのこと呼んでた」
「…………そうか」
古田はしばらく座り込んだ後、ゆっくり立ち上がった。
さっき俺が上ってきた階段を下っていく。
その姿を見届けてから桐生の部屋の前まで歩き、ドアノブに手をかけた。だけど、そこから手が動かない。
「古田?」
気配を察知したらしい桐生の呼びかけが聞こえて、ふぅ、と息を吐いてドアノブを押し込んだ。
「…………あ、蓮月か。おかえり」
ベッドの上に座る桐生のポニーテールが、少し乱れている気がする。
「お姉ちゃん、何だって?」
「…………ありがとうって」
桐生がベッドをぽんぽんと叩いた。
「へー。ほら、ここ。座りなよ」
黙って桐生の隣に腰を下ろす。
「どうしたの」
分からない。分からないけど。
「…………俺と、桐生は、親友だよな」
「何急に。そうだよ」
「……よかった」
これは本音だ。桐生が俺のことを好きじゃないことに安堵したのは、本音のはずだ。
ああ、俺はどうして――
「古田みたいなことを言うね」
「……言われたの?」
「うん。古田としずくは、友達? って」
随分踏み込んだなあの人。流石にもう、桐生は古田の好意に気づいてるんじゃ。
「変だよね」
――と思ったけどこの感じだと桐生は気づいていない。どこまでも鈍感で、腹立たしい奴。
「なんかね、変だった。あの人」
好きな女子と2人きりになったらそりゃ変になる、と口には出さずに内側で吐き出す。さっきあの人が悶絶してた理由を理解した。
「……ねぇ、ごめんね」
「…………何が」
桐生はぶらつかせていた足を止めて、体操座りをした。スウェットパンツの右脚の隙間から、俺が施したテーピングが覗く。
「いつも助けられてる」
「そんな事ない」
気づいたら即答していた。
「桐生、俺は――」
言いかけて、一旦やめる。内容を整理してから、もう一度口を開いた。
「……俺達は、桐生に、助けられてる、絶対」
「なんで」
……何も分かっていない。立花や宙が、桐生と一緒に居る理由。古田が桐生のことを好きな理由。
俺が、桐生に心を許してしまっている理由。
「…………桐生ってさ。騙されやすいって言われたことない?」
「たくさんある」
予想通りの返事に、もはや苦笑した。
「桐生って、人の良いとこばっかり見ようとするよね」
「……そう?」
うん、と相槌を打って隣を見ると、桐生もこっちを見ていた。
「それは桐生の良い所で、悪い所でもある。でも、俺らは桐生のそういうとこに救われてる」
何も、何も気にせずに、俺達と一緒に話したがる。遊びたがる。
「古田のことも、すぐに許しただろ」
「反省してたからね」
「そういうとこ」
なんとなくわかる。桐生が、前の学校で友達ができなかった理由。純粋すぎたんだ。
「……………現実逃避かも」
「え?」
その砂粒のようにこぼれ落ちた言葉を、俺は聞き逃さなかった。
「……疲れちゃう」
桐生はそれだけ言うと、これ以上この話をするつもりはない、と言うように目を瞑った。
――――――危ないな、桐生って。
数秒の沈黙の後、いきなりがばっと桐生が動いて俺の手首を掴んできた。いきなりのことに反応できず、俺はそのまま押し倒される。
「え、ちょ、な、何」
「…………うーん」
納得のいかない顔をしながら、桐生は手首の掴み方を変えたり、せわしなく脚を曲げたり伸ばしたりしている。1番納得いってないのは俺だ。は? 何この状況。
すると桐生は衝撃的な言葉を口にした。
「……古田がさっきこうしてきたんだけど。 多分友達同士って、こういうことしないよね」
うわ。……うわ。まじかよあいつやってんな。
「桐生っ、」
慌てて体をよじり、桐生の手を解いて起き上がる。
「ちょっ、それ以上は何かされなかった!? 正直に言って!」
「それ以上? 何もされてないけど」
きょとんとした桐生の顔を見て、ひとまず安心して胸を撫で下ろした。
「……まぁそうだよね。普通、しないよね」
桐生が自分の手首を見つめながら言った。
杉本と、古田。2人に掴まれた、折れてしまいそうなほど細い手首。
「……なんか、しずくも変」
桐生はそう呟いて、もう片方の手で手首をきゅっと掴んだ。
何だか言いようのない虚しさに襲われて、手の平で顔を覆う。
桐生に恋愛感情を抱くことができたなら、どんなに良かっただろう。
そしたらこんなに苦しまずに済むのに。
この危なっかしくてあどけない女子を、自分の手で守れるかもしれないのに。
氷華さんから言われた言葉を、コーヒーの苦味と共に思い出す。両想い? やめてくれ。
古田が羨ましい。あの人は変わった。
俺は変われてない。
あの春の日、古田達に絡まれた桐生を宙達と助けても。2人で話しても。桐生と2人で遊びに行っても。杉本の西田から桐生を逃がそうとしても。ありがとうと桐生が抱きついてきても。
変われなかった。結局俺は、あの太陽に依存したままだ。縋ってるままだ。どうせ、叶いやしないのに。日食の時期になったら、立ち直れやしないのに。
「蓮月」
桐生の白い手が、顔を覆ってる俺の手を優しく包み込んだ。
……何なんだよ。どっちなんだ。
顔から手を離して、桐生を見た。
「ゲームしたい」
それを聞いて文字通りズッコケそうになって、空気の読めない桐生が不思議そうに見つめてくる。
「…………はぁ。うん、いいよ」
盛大にため息をついて、ベッドから降りた。
古田が戻ってきたら、どうしようか。
気まずくなりながらゲームする? もう一度桐生のギターを聴く? ……それとも、話す?
どれにせよ、きっと俺は楽しんでしまうだろう。
桐生の『親友』として。
次回 「無自覚?」




