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第18話 欠けたぶんは、僕が持ちます

机が、どこまでも並んでいた。


同じ高さ。同じ幅。飾りのない木。その一つずつに帳面が開いていて、羽根ペンが立っている。


誰も座っていない。


「ルカさん。こっちの机、書いてます」


ミナが、三つ先の帳面を覗き込んでいた。


ペンがひとりでに傾いて、一行だけ足して、また立った。


寄って、読んだ。


『東方 ラハ支所 割当 減 二』


隣の机は、逆だった。


『南方 ドルヴァ支所 割当 増 二』


減った二と、増えた二。西の関の台帳室で見たのと、同じ数え方だ。


「……管区の端から端まで、ここが動かしてます」


「増えてません。移してるだけです」


「ここの人は、それでいいんですか」


「ここの人が、いません」


僕は、通路のまんなかに立った。


怒鳴る相手も、頼む相手も、頭を下げる相手もいない。


グレイドさんがいた。ヴァレン様がいて、ベルナール様がいた。糸をたどれば、必ず誰かの首に着いた。


ここには、首がない。


「ミナさん。僕、誰に怒ればいいんでしょうね」


ミナは、ペンが立ったままの机を、じっと見ていた。


「それ、たぶん、いちばんうまくできてます」


     ◆


奥のほうの机で、僕は自分の足跡を見つけた。


頁を戻していくと、見覚えのある並びが出てくる。


『西方 欠損 一 補充 東方 キルス支所より充当 明朝便』


ヨナさんが、帳面から欠けた日だ。


明朝便。東へ。


――まだ、戻っていない。往って還るだけの道のりが、まだ足りていない。


その少し先。


『西方街道 水場 二十二 読取 回復 欠損 二十二 補充要』


村の人たちに名前を返した日。


もう少し先。


『継所 回送 不着 欠損 十六 補充要』


継所の柱から、束をほどいた日。


指が、冷たくなっていった。


「ミナさん。僕が一人返すたびに、ここは一人足りないと書いてます」


「……はい」


「足りないと書いたら、補充便が出ます」


ミナが、帳面から顔を上げた。


「わたしたちが通ってきた道に、全部、便が」


「出ました。今も出ます」


返した数と、連れていかれる数が、きれいに揃っていた。


この机は、僕を止めようとしていない。


僕を、数えている。


「ルカさん」


首の内側で、ヨナさんが言った。


「いきを、して、ください」


「……はい」


「あなたが、わたしを、だしてくれた、ぶんが、だれかに、なっても」


「はい」


「それは、あなたが、わるいのでは、ありません」


「半分は、僕です」


僕は、正直に言った。


「残りの半分が、誰なのかを、探しに来ました」


     ◆


通路の奥で、紙のこすれる音がした。


背の高くない男が、机のあいだを歩いていた。


一つ目の机で立ち止まり、帳面の頁をめくる。二つ目でもめくる。三つ目でもめくる。


それだけを、ずっとやっていた。


「回収人、第六号です」


僕は、その首を見た。


糸が二本。両の手首から出て、天井へ登らず、机の列に沿って低く伸びている。


《この手は、めくるためにある》


「あなたが、動かしてるんですか」


「わたしは、めくるだけです」


第六号さんは、四つ目の机の頁に指をかけた。


「頁がめくられるまで、机は次の行を書けません。書かれない行は、便になりません」


「では、めくらなければ」


「便は出ません。今夜は」


彼は、めくった。


「そのかわり、明日の朝、管区じゅうの配給が一日ぶん遅れます。産婆の手も、窯の火も、井戸の水も」


「……止めろとは、言えませんね」


「言われたことは、ございます」


第六号さんは、初めてこちらを見た。


疲れた、ごく普通の中年の男の目だった。宿場の裏で頭巾を落とした、第一号さんと同じ目だ。


「一号も、二号も、そう申しました。わたしは、めくるだけです。決めておりません」


「決めてる人は」


「おりません」


彼は、五つ目の机へ移った。


「八十年、どなたも。あなたも、もうご覧になったでしょう」


「めくらなかった日は、ありますか」


第六号さんの指が、わずかに止まった。


「ございます。一度だけ。まとめて書かれました」


彼は、また手を動かしはじめた。


「机は、待てます。わたしは、待てませんでした」


「……それは、あなたのせいじゃないです」


「はい。ですから、誰のせいでもございません」


悪びれてもいない。居直ってもいない。習ったことを、そのまま言っている。


第一号さんは自分を閉じ、第二号さんは人質を抱え、第三号さんは目を貸され、第四号さんは空だった。


第六号さんは、手だ。決めない手がひとつ。それだけで、この長い建物は動いてきた。


僕は、いちばん奥の机を振り返った。


椅子が一つ。誰も座っていない。


(そうか)


止められないんじゃない。


止める場所が、ないんだ。


命令する者がいないから、命令を解くこともできない。首がないから、返す先もない。


代わりにあるのは、欠けた数と、それを埋めようとする癖だけだ。


「第六号さん。一つだけ、教えてください」


僕は、最奥の机へ歩いた。


帳面に、さっきの行がまだ残っている。


『欠損 一 補充要』


その『補充要』の三文字から、細い糸が一本だけ出ていた。


天窓へは登っていない。机の列を這って、搬入口のほうへ、つまり便のほうへ伸びている。


発注だ。


「この一本を解いたら、便は出ませんね」


「出ません」


「そのかわり、欠損は埋まりません」


「はい。埋まらぬものは、積まれます」


「積まれると」


「配給が、その一人ぶん細くなります。どこかの街の、どなたかの明日が」


僕は、その一本を指でつまんだ。


まだ弾かない。


「第六号さん。これ、あなたには見えていませんね」


「見えません。わたしは、頁しか」


「じゃあ、止めるとも言えませんね」


「はい。わたしの欄では、ございませんので」


誰も嘘をつかず、誰も自分の欄の外を見ない。それで九千四百十一人が座っている。


「ヨナさん」


「はい」


「聞いてください」


僕は、机の上に手を置いた。


「これを解くと、欠けた一人ぶんが宙に浮きます。その端を、僕が持ちます」


「もって、いる、と」


「一人ぶんが、僕の身体を通り続けます。テルムの橋で三十二本通したのと、同じです。あのときは通り過ぎました。今度は、下ろせません」


首の内側が、静かになった。


「代償を、三つ言います」


第六号さんが、頁をめくる手を止めていた。


「一つ目。僕は、この端から離れられません。張っていないと、欠損と読まれるので」


「はい」


「二つ目。通したぶん、刻印が進みます。もう片方の目も、たぶん開きます」


「……はい」


「三つ目。僕は今、着いていない荷です。誰にも読まれません。でも端を持てば、読まれます」


ミナが、息を呑んだ。


「見つかります」


「はい。ここにいると、向こうに分かります」


僕は、輪の内側へ声をかけた。


「あなたは、僕の中にいます。僕が重くなれば、あなたも重くなる」


「はい」


「解いていいですか」


長い沈黙があった。


やがて、ヨナさんは、下手な笑い方をした。


「わたしは、かぞえられる、がわ、でした」


「はい」


「きょうは、はじめて、きめる、がわです」


「答えを、どうぞ」


「――はい」


ぱち。


音は、それだけだった。


『補充要』から出ていた一本が、根元から砂になった。


宙に、端が残った。


僕は右手を伸ばして、その端をつまみ、まっすぐに張った。


――重い。


膝が鳴った。人ひとりぶんが、腕を通って、背中を抜けて、どこへも行かずに僕の中に溜まっていく。


首の後ろが、じん、と熱くなった。


閉じていたほうの目が、内側から押された。


「ルカさん!」


「大丈夫です。荷物持ちだけは、上手いので」


「それ、四回目です」


第六号さんが、帳面を閉じた。


頁をめくる以外のことをするのを、初めて見た。


「読まれるようになられましたね」


「はい」


「では、お渡しするものがございます」


彼は懐から、一枚の紙を出して、机の上に置いた。


送り状だった。


墨が、まだ新しい。


『東方 キルス支所 閉鎖』


『器 十二 回送 明朝 着』


『代理 一 同送』


代理。


椅子に座らされていた、あの人だ。


「ベルナール様」


指が、震えた。端を握っているほうの手ではなく、空いているほうの手が。


その下に、もう一行あった。


『欠損補充 一 現地にて充当』


現地。


キルスに、まだ一人だけ残っている。


「ルカさん」


ミナの声が、低かった。


「アデルさま、です」

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