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第15話 席は、まだ七つ空いています

西の関は、門ではなかった。


石造りの建物が街道をまたいでいて、その下を抜けるようになっている。


抜ける前に、列に並ぶ。


いちばん長い列は、荷馬車と商人。札を持っている人たちだ。


真ん中の列は、机が出ていて、男が羽根ペンを構えていた。その前に、札のない旅人が順番に座らされている。


「代書です。銅貨八枚で、うちの家人ということにして通します」


呼び込みの声が、朝からよく通っていた。


そして、いちばん短い列は、板塀で囲われていて、中が見えない。


立て札が一枚。


『無籍の者、これへ。届け出の上、教会へ送致』


ミナが、そちらを見た。


「わたしの列、あれですね」


「……はい」


「三つ目って、並ぶ列じゃないですよね。あれ」


「集める列です」


真ん中の列で、旅の女が立たされていた。


「銅貨八枚だ」


「……六枚しか、ありません」


「なら明日また来い。明日は十枚だがな」


女は板塀のほうを一度だけ見て、それから六枚を机に置いて、頭を下げ続けていた。


「ルカさん。あの人、明日にはあっちの列です」


「はい」


札を売る人と、札を取り上げる人が、同じ建物の、同じ軒下にいる。


よくできていた。


僕は、代書屋の机を見た。


天板の縁から、細い糸が一本だけ、上へ登っている。


読んだ。


《声、遠くまで。値、明日は十枚》


「……加護が、机に掛けてあります」


門柱も見上げた。


輪の紋が浮いている。キルスの北門と同じ意匠だ。


けれど、作りがまるで違った。


紋から出た糸が、列の全員の首を舐めて、一人ずつ数えて、建物の奥へ吸い込まれている。


「そっちは、解けますか」


「解けます。解いたら、この列の全員の通行記録が、今までのぶんごと落ちます」


僕は列の後ろを振り返った。荷馬車が二十台。人が、百人以上。


「この人たちは明日から、どこの関も通れません」


「……やめましょう」


「はい。あっちは、あとにします」


     ◆


関の脇に、窓口があった。


『西方管区支所』


「検分役ということで通ります。テルムでやった手です」


「わたしが喋りますか」


「はい。僕、読めるだけなので」


窓口の奥で、書記が帳面を繰っていた。細い、疲れた男だった。


「モルス家の検分。キルス支所の件で、帳面を拝見したく」


書記は顔も上げずに、奥の扉を指した。


「台帳室は左だ。触るな。数えるだけにしろ」


通った。


「……いいんですか、あれ」


「あの人は、人を見てません。用件を見てます」


台帳室は、天井まで棚だった。


綴じられた台帳が、壁一面に並んでいる。


その一冊ずつから糸が出て、束ねられて、天井を抜けて、西へ登っていた。


首の後ろが、ちりりと痛んだ。開いた片目の奥が、西を向きたがっている。


僕は一冊を開いた。


数字の列。街の名前。割当。


「……増えてない」


「え?」


「新しい街に配るとき、どこかの街から抜いてます」


線の左に足された数と、右で引かれた数が、いつも同じだった。


「加護って、作られてないんですよ。回してるだけです。器の数が上限なので」


だから足りない。


足りないから、増やそうとする。


増やすには、空の人間が要る。


僕は台帳を閉じて、棚のいちばん上を見上げた。


『送致便 控』


一冊抜いた、そのとき。


建物の奥で、何かが下ろされる音がした。


首の内側で、ヨナさんが息を呑んだ。


「ルカさん。……あの、おとです」


「音」


「にしから、きこえていた、おとです。にもつが、おろされる、たびに、しました」


暗い部屋で、何年も。


何の数か分からないまま、彼女は音を数えていた。


それが何の数だったのかを、彼女は今、この部屋で初めて知ったことになる。


「便の番号です。着いたぶんだけ、控が増えます」


「ヨナさん。着かなかった便は、ありますか」


しばらく、沈黙があった。


「……はち、あります」


「八便ぶん、番号だけが来たんですね」


「はい。ひとは、きませんでした」


該当のところに、たしかに線が引いてある。


番号が振られ、席が用意され、そのまま埋まっていない。


欠番だ。


「ミナさん。席があります。誰も座っていない席が」


「それ、偽物ですか」


「本物です。誰かのために開けられて、その誰かが来なかっただけの席です」


僕は、そこで一度止めた。


言いにくいことを先に言うのが、僕の決まりだった。


「三つ言います。一つ目。ここに君を結ぶと番号が埋まって、元の持ち主は、生きていても、もうどこへも戻れません」


「……はい」


「二つ目。ヨナさんの数が、ひとつ減ります」


首の内側が、静かになった。


「三つ目。ここは、器として本院へ送られる予定だった枠です。届いた扱いなので、君が送られることはありません」


「でも」


「はい。帳面の上では、君は器になります。数える側じゃなく、数えられる側に入ります」


ミナは、いつも人にそうしてきたのと同じ声で言った。


「はい。白いよりは、読めるほうがいいです」


「……ヨナさん。いいですか」


「……ひとつ、おねがいが」


「どうぞ」


「その、ばんごうを、ミナさんに、おぼえて、いて、ほしいです」


「名前は、ないんですか」


「ありません」


「じゃあ、番号ごと覚えます。帰る先が要るので」


僕は、台帳から出ている細い糸の端をつまんだ。


ぱち、ではない。


つ、と。


糸を通す、それだけの音がした。


ミナの首の、白くなった一本の隣に、新しい一本が下りた。


「……重くないです」


彼女は首に触れた。


「一本だけなので」


麦畑で僕が言った言葉を、彼女がそのまま返してきた。


「二本目です」


「じゃあ、二本だけなら持てます」


「ミナさん。席は、まだ七つ空いています」


     ◆


窓口で、書記が顔を上げた。今度は、ミナの首を見た。


「ああ。あんた、記載があるじゃないか。なぜ最初に言わん」


「並んでいました。無い者の列に」


「……そういうのが、いちばん困る」


男は判を押して、通行の札を滑らせた。


その首にも、番号が振ってあった。


「ここの方は、みなさん番号をお持ちなんですか」


「当たり前だろう。数えるほうが、数えられていないわけがなかろう」


外へ出ると、代書屋の女は、まだ机の前にいた。


明日また来いと言われた者は、その場を離れられない。


僕は、机の縁に垂れた糸に指をかけた。


「代償を言います」


「抜いたぶんは元帳の余白に落ちます。今日ここで一つ減ったと、帳面に残ります」


「調べに来ますね」


「はい。だから今日のうちに出ます。それと、あの机で食べていた人たちは、明日から八枚を取れません」


「それも、代償ですか」


「僕が決めたことで誰かの明日が細くなるなら、代償です」


机の主には、聞かなかった。聞けば、いいえと言うに決まっている。


聞かずにやるのは、これが初めてじゃない。


ぱち。


糸が、砂になった。


呼び込みの声が、急に近くなった。三歩先までしか届かない、ただの人の声だ。


「おい……聞こえてんのか。おい」


僕は女のところへ回った。


「席が一つあります。本物です」


そして、さっきミナに言ったことを、三つとも、もう一度全部言った。


女は板塀のほうを見て、それから、机の上の銅貨六枚を自分の手に取り戻した。


「……数えられる側で、いいです。あっちは、数えてもくれないので」


「ヨナさん。もう一つ、いいですか」


首の内側で、小さく返事があった。


「……はい」


つ、と。


席は、六つになった。


出がけに、台帳室の入口の掲示を読んだ。


墨が、まだ乾いていない。


『管区総数 九千四百十一』


一つ、減っている。


「増えてないんですね。二人ぶん埋めたのに」


「欠番は、もともと数に入っていました。埋めても、増えません」


減った一つが誰なのかは、僕の首の内側にいた。


その下に、赤い字で一行。


『欠損補充 一 明朝便 東方 キルス支所』


「明日の朝、東へ一便出ます。行き先は、キルスです」


ミナの息が、止まった。


「アデルさまの、ところに」


「はい。僕が一人連れ出したぶんを、埋めに行きます」


消えたぶんは、必ず誰かで埋められる。


そういう帳面だった。


「止めますか」


「止めません。ここで止めても、来月また出ます」


僕は、関の外に出た。


西の空が、よく晴れていた。


地平の際に、雲よりずっと高いところから、太い糸が一本、垂れている。


街道の糸も、台帳の糸も、この関の紋の糸も、全部そこへ登っていた。


やっと、根元が見えた。


「止めるのは、ここじゃないです」


僕は背負い袋を担ぎ直した。


「便を出してる、机のほうです」


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