第10話 利子のぶんは、まとめてお返しします
宿場を出て二日。
川が二本合わさる場所に、町があった。
テルム。橋のたもとに関所があって、荷馬車の列が朝から動かないらしい。
「ルカさん、人は多いですね」
「はい。……糸は、少ないですけど」
キルスなら、この人数なら空が黒く見えるはずだった。
ここは、ほとんど降っていない。
かわりに、町じゅうの細い糸が、一か所へ吸い込まれていた。
橋の北詰。瓦屋根の、やけに立派な二階家。
その軒先に、看板が出ている。
『加護 お預かりします』
橋を渡りきったところで、肩に石が当たった。
「帰れ!」
まだ幼い少年が、次の石を握っていた。
「解呪師だろ。キルスで全部ほどいて回ったってやつだ」
「……はい」
「ネルさんの針目もほどくんだろ! うちの母ちゃんの窯も!」
噂は、僕より三日早く着いていたらしい。
しかも、ずいぶん都合よく形を変えて。
人が出てきた。鍬を持った男が三人。荷紐を握った女が五人。
僕が口を開く前に、ミナが前に出た。
「違います」
彼女は自分の首すじを、はっきりと見えるように傾けた。
「モルス家の通行証です。読める方がいたら、読んでください」
誰も動かなかった。読めと言われて読める者など、普通はいない。読めるのは、いつも向こうの都合の時だけだ。
だからこそ、そう言えば効く。
「この方は、糸の検分役です。加護を預かっている店の、帳面を見に来ました」
ミナは一度も僕を見なかった。
「みなさんの糸には、一本も触りません」
鍬が、下がった。
少年は石を握ったまま、決まりの悪そうな顔をした。
人垣が割れて、道ができる。
歩き出してから、僕は小声で聞いた。
「……いつ考えたんですか、今の」
「橋の真ん中で」
「怖くなかったですか」
「怖かったです。でも、嘘って、途中で止めるほうが怖いですね」
「上手になりましたね」
「三日ぶんくらいですか」
「十日ぶんです」
ミナが、すこし笑った。
質店の中は、暗くて、紙の匂いがした。
帳場に男が座っていた。恰幅がよくて、指に指輪が二つ。
「カッセルだ。加護の預かりと、貸し出しをやっている」
男は僕を見て、それからミナの首を見た。
「モルス家。キルス支所。……ああ、印璽の砕けたところの」
読めるらしい。
「検分だそうだな。どうぞ、好きに見てくれ」
帳場の奥の棚に、木札が並んでいた。ひとつひとつに名前と数字が書いてある。
その札の一枚一枚から、糸が出ていた。
町へ、家へ、人の首へ。
「あの札、なんですか」
「質草だ」
カッセルは算盤を弾く手を止めなかった。
「ここらは配給が薄い。だが、暮らしは待ってくれん。だから預かる。針目を一年預けて、その間の飯代を貸す。返せたら、返す」
「返した人はいますか」
「三人に一人はな」
「残りの二人は」
「流れる」
土間で、女が順番を待っていた。
痩せた手に、針山を抱えている。
「ネルさん、ですか」
「……はい」
「その針目、いつからですか」
「十二の歳から、お預かりしてます。二度流して、二度買い戻して。今度で三度目で」
僕は、彼女の首から出た糸をたどった。
指先へ。針へ。
――ではなかった。
糸は、彼女の首から出て、いったん棚の木札へ登り、そこで結び直されてから、針へ戻っていた。
遠回りだ。
意味のない遠回りに見えて、意味は一つしかない。
通り道の途中に、関所を作ってある。
「カッセルさん」
「なんだ」
「この町の配給は、上からまとめて一束で届きますよね」
算盤が、止まった。
「分ける者が要る。当たり前だろう」
「はい。分けるだけなら」
僕は棚を見上げた。
「あなたは分けてない。いったん自分の札に通してから、細くして配ってる」
「……何を言っている」
「利子です。毎月、一本ずつ細くなってる。ネルさんの針目は、十二の歳の半分もありません」
土間が、静まった。
ネルが、自分の手を見た。
「だから、最近、目打ちが外れるように……」
「腕の話じゃありません」
カッセルが立ち上がった。
「文句なら教会に言え! 俺は代行だ。徴収の許しをもらってやってる。町の帳尻を合わせてるのは俺だぞ」
「知ってます」
僕は、彼の帳面に手を置いた。
「だから、あなたを縛ってる糸は、解きません」
「……は?」
「あなたの首の糸は、教会のものです。返す先は、僕じゃない」
僕は札の棚を見上げたまま、指を上げた。
「解くのは、この遠回りだけです」
そこで、一度止めた。
「先に、言っておきます」
僕は土間の人たちを振り返った。
「札を通す結びをほどくと、糸は持ち主のところへ真っ直ぐ戻ります。細くされたぶんは、戻ります」
ざわ、と声が上がった。
「ただし――借りていた人は、落ちます」
声が、止まった。
「この店から、自分の持ちぶんより多く借りて働いていた人がいます。荷運びの、そこの二人。石工の方。三人です」
三人の男が、ばつの悪い顔で顔を見合わせた。
「明日から、荷は半分になります。石は、たぶん割れなくなります」
「おい、そりゃ困る」
「困ります。だから聞きます」
僕は、鍬を握っていた男にも、針山を抱えた女にも、石を投げた少年にも、順番に目をやった。
「ほどいていいですか」
長い沈黙があった。
先に答えたのは、荷運びの男だった。
「……俺のは、借りモンなのか」
「はい」
「借りモンだって、知らねえで十年使ってたのか、俺は」
「はい」
男は頭を掻いて、それから吐き捨てるように言った。
「ほどけ」
「いいんですか」
「半分になるんだろ。半分は、俺のぶんだ」
ネルが、震える声で続いた。
「……はい」
少年が、石を放って言った。
「はい!」
はい、が、土間を埋めていった。
ミナが、指を折って数えていた。数えながら、一人ずつ名前を聞いていた。
「ネルさん。針目。……お名前、もう一度よろしいですか」
「なんで名前なんか聞くんだ」
「帰る先が要るんです」
そのときは、僕もまだ、彼女の言葉の意味を分かっていなかった。
僕は木札の結び目に指をかけた。
付け替えの結びだ。解く場所は一か所でいい。
「カッセルさん。ひとつだけ、感心しました」
「なんだと」
「あなた、糸を切ってない。結び替えてるだけだ」
自分で言って、指が止まった。
切らずに、根元だけを別の場所へ移す。
――そんなことが、できるのか。
「……覚えておきます」
ぱち。
音は、それだけだった。
棚の札が、いっせいに白くなった。
糸が、遠回りをやめた。
ネルの首から、指へ。針へ。真っ直ぐに。
「あ」
彼女が針を一本つまんで、布に落とした。
目打ちが、外れなかった。
「……十二の歳の、ときの」
歓声が上がって、そのすぐ横で、荷運びの男が荷を持ち上げそこねて尻もちをついた。
男は笑っていた。
「軽くねえ! くそ、これが俺か!」
カッセルが、帳場でよろめいた。
指輪が、指から抜け落ちた。
「な……なんだ、頭が、数が、数が読めん」
「《目利き》ですか」
「俺のだ! これは俺の――」
「借り物です」
僕は、彼の首から棚へ伸びていた細い一本が、砂になるのを見ていた。
「自分の札に通したぶん、自分にも一本通してたんですね。利子は、あなたも払ってました」
男は、算盤の玉を何度も指で弾いた。
音だけが鳴った。数は、出てこなかった。
「返す先は、僕じゃありません」
僕は帳面を閉じた。
「帳尻のことですけど」
「……」
「今月から、この町の数は合わなくなります」
カッセルの顔が、白くなった。
「上に、分かるぞ」
「はい」
「すぐ分かる。半月とかからん」
「知ってます」
僕はもう一度、帳面を開いた。
最後のところに、書きかけの手紙が挟まっていた。
墨が、まだ乾ききっていない。
『解呪師 テルム通過 報告済』
その下に、もう一枚。別の手で書かれた、乾いた紙が重ねてある。
『第二号 差し向ける』
「これ、いつ来ましたか」
カッセルが、乾いた笑いを漏らした。
「六日前だ」
「早いですね」
「お前がキルスを出る前に、こっちには届いてたんだよ」
僕は手紙を置いた。
「第二号さんは、西から来ますか」
「……いいや」
男は、僕の背中のほうを指した。
「あれは、お前の通った道から来る」




