第4話「消えた記憶の影、閉ざされた図書室」
文化祭から数日が過ぎ、学校の空気はいつも通りに戻った。
けれど、ことねの胸には微かな不安が残っていた。あの舞台で自分の名前を呼んでもらえたはずなのに、ふとした瞬間に存在が薄れる感覚が戻るのだ。
放課後の図書室。ことねは一人、窓際の席に座って本を開いた。ページをめくるたび、文字が微かに揺れているように見える。
「……また、消えそう」
そのとき、図書室の奥から声がした。悠斗が手に古い日記帳を持って近づいてくる。
「ことね、これ見てほしい。君と似た現象が書かれてる本があるんだ」
日記帳を開くと、そこには消えた名前や忘れられた人々の記録が綴られていた。どうやら、この現象――『消失の余白』――は、単なる奇妙な偶然ではなく、ある種の法則に従っているらしい。
「ページに名前が書かれていないと、人は存在を忘れやすくなる。だから君は、ページに名前を書かない限り、誰にも認識されないんだ」
ことねは息を飲む。存在を証明する手段は、文字通り“名前を残すこと”しかないのか。
さらに、悠斗は言った。
「でも、消失の余白には弱点もある。人の記憶に強く刻まれることで、その余白を埋めることができる」
ことねは心の奥で疑問が渦巻く。
――私の記憶は、本のページだけに残るの? 人の心に残るには、どうすればいいの?
その夜、ことねは図書室に忍び込み、こっそり机の下に古い本を積み上げて名前を書き続けた。手が震え、鉛筆の芯が折れそうになる。でも、書くことで自分がここに存在する感覚が少しずつ強まっていく。
その瞬間、影が視界の端に揺れた。美術部の凛だった。
「ことね……また消えそうになってたの?」
「う、うん……」
「大丈夫、私もここにいる。描いた絵に、君の存在を閉じ込めたから」
凛の言葉に、ことねの胸は温かくなる。忘れられる恐怖の中でも、仲間たちが自分を認識してくれる。ページや絵、そして声――いくつもの“存在の証”が、ことねを支えていた。
だが、悠斗の顔が少し曇る。
「ことね……この現象は、必ずしも安心できるものじゃない。誰かがページから名前を消すと、記憶そのものも揺らぐことがあるんだ」
その言葉に、ことねの胸はざわめく。安心できる居場所はある。けれど、消えそうになる危険も、常に隣にあるのだ。
図書室の静寂が、さらに深まった。窓の外の夕暮れが、ページに映る文字を赤く染める。ことねは握った鉛筆を強く握り直した。
――忘れられる恐怖と向き合って、私はどう生きればいいんだろう。
――でも、ここに仲間がいる限り、少しずつ答えは見つかるはず。
ページに刻む名前の数だけ、存在の確かな足跡を残す。
図書室の影の中で、ことねは静かに決意した。
――私は、消えない。




