第3話「記憶の余白と、放課後の約束」
放課後の図書室は、今日も静かだった。
ことねは悠斗の隣で、ページに名前を書き続けていた。鉛筆の跡が薄く残るたびに、胸の奥で小さな安心感が広がる。
「ことね、ちょっと来てくれる?」
扉の向こうから呼ぶ声。演劇部の佐伯だった。手には紙の束を抱えている。
「これ……文化祭の台本案なんだけど、君に参加してほしいんだ」
紙を差し出す佐伯の目は真剣で、でもどこか楽しそうだった。ことねは躊躇した。
――私、忘れられるんだよ。舞台で演じても、誰も覚えていないかもしれない。
「でも……」
悠斗がそっと肩に手を置いた。
「忘れられたって構わないよ。大事なのは、君がここにいること。そして、君の名前を僕は覚えてる」
その言葉で、ことねは少し勇気を持った。舞台に立つことは、自分の存在を示すチャンスかもしれない――たとえ消えそうな自分でも。
翌日、図書室には、ことねを中心に個性豊かな仲間たちが集まった。
美術部の凛は舞台装置のデザインを担当し、演劇部の佐伯は演出をまとめる。孤高の小説家志望・秋山も、こっそり物語のナレーションを担当することになった。
ことねは机の上に鉛筆を置き、深呼吸した。
――忘れられる私でも、ここにいる意味があるのかもしれない。
文化祭当日。図書室の一角に設けられた舞台は、静かな緊張感に包まれていた。観客の中には、ことねの名前を覚えていないクラスメイトも多い。
開演の合図とともに、舞台上のことねは物語の登場人物として動き出した。朗読される言葉、演じられる感情が、図書室に満ちる。
そして――
クライマックス、ことねが「消えそう」と感じる瞬間。観客の目の前で、彼女ははっきりと言葉を発した。
「私はここにいる! 忘れないで!」
空気が揺れるように、クラスメイトたちの表情が変わった。誰もがその声に耳を傾け、無意識のうちに記憶の隅に刻み込まれる。ことねの名前は、ただページに書かれるだけでなく、心にも残ったのだ。
公演後、図書室に戻ると、悠斗が静かに言った。
「どうだった?」
「……不思議。忘れられるかもしれないと思ってたのに、ちゃんと、ここにいたみたい」
ことねは微笑んだ。忘れられそうな自分でも、居場所を作り、名前を書き、声を出すことで存在を示せる――そのことを、初めて実感した。
そして、小さな勇気の連鎖は、仲間との絆を深め、ことねの心に新しい光を灯す。
消失の余白に押し込まれた自分でも、もう一人じゃない。
図書室の静寂は、今日も変わらずにあった。でも今度は、ことねの存在が確かにそこに響いていた。
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