第5話「図書室に刻む、消えない名前」
文化祭の朝。校舎は生徒たちの活気に包まれていた。
図書室の一角には、小さな舞台が設置され、ことねと仲間たちが最終確認に追われている。
「ことね、大丈夫?」
演劇部の佐伯が笑顔で声をかける。
「うん……頑張る」
ことねの手は少し震えていた。でも、昨日までの孤独と恐怖を思い出すと、この舞台に立つしかない気がした。
悠斗は隣で静かにうなずく。
「君の名前は、僕が覚えている。それに、今日ここで、みんなに見てもらえば、余白を埋められるはずだ」
放課後、観客の視線が舞台に集まる。ことねは深呼吸を一つ、舞台に立った。
演劇が始まる。朗読される物語、演じる仲間たちの感情、静かに流れる音楽――それらがすべて、ことねの存在を映す鏡になった。
クライマックス。ことねは自分の名前を声に出して告げる。
「私は、ここにいる! 忘れないで!」
その瞬間、図書室の空気が震えた。教室や廊下にいたクラスメイトの視線が、一斉にことねに向かう。普段は見逃していた存在が、まるでページの中から飛び出してくるかのように、確かにそこにいる。
観客の記憶に、ことねの名前が刻まれていく。
そして、ふと胸に手を当てると、ページや鉛筆の跡以上に、自分の存在が確かに感じられた。
演劇が終わると、図書室は拍手に包まれた。ことねは少し涙ぐみ、悠斗に目を向ける。
「ありがとう……覚えていてくれて」
「覚えてるだけじゃない。君は、ちゃんとここにいたんだ」
美術部の凛はスケッチブックを差し出す。そこには舞台のことねが描かれていた。演劇部の佐伯は、笑いながら肩を叩く。孤高の小説家志望・秋山も、静かにうなずいた。
ことねは初めて、確信した。
忘れられる恐怖はまだある。でも、仲間と一緒に、名前を書き、声を出し、存在を示せば、決して消えない――。
図書室の静寂の中で、ことねの名前は確かに刻まれた。
ページにも、記憶にも、心にも――
――私は、消えない。
窓の外の夕日が、図書室をオレンジ色に染める。ページの文字が赤く輝き、仲間たちの笑顔が揺れる。
ことねは深呼吸をし、心から笑った。
忘れられそうだった日々は、今、確かな光に変わったのだ。




