灯りの祭り
要塞都市に、最初の祭りが来た。
誰が決めたのかは、はっきりしない。防壁の第一区画が完成した夜、石工たちが酒を開け、連邦の整備兵が発光管を防壁に吊るした。翌日には市場の女たちが屋台の相談を始めていて、三日後にはもう「灯りの祭り」という名前がついていた。二つの世界の人間が、初めて一緒に何かを祝う夜だった。
「行ってきなよ」
市場で会ったクロエは、リラの背中を遠慮なく叩いた。
「私は屋台の番があるから。……ほら、あの無口な騎士様、誘ってあげな」
「だ、だから、そういうのじゃ——」
「はいはい。じゃ、そういうのじゃない人と、そういうのじゃない祭りを楽しんできな」
クロエは笑って人混みに消えた。昔と同じ、逃がしてくれない幼馴染だった。
* * *
カイは誘われた時、露骨に嫌な顔をした。
「人混みは嫌いだ」
「クロエの屋台、荷運びが要るのよ。それに——」リラは指を一本立てた。「あなた、この街に来てから一日も休んでいないでしょう。護衛だと思えばいいわ。私の」
カイは黙った。黙ったまま、作業用の手袋を外した。
この人は理屈が通っている時だけ負ける。市場の日と、同じだった。
* * *
日が落ちると、街が別のものになった。
石造りの軒には、この世界の蝋燭のランタン。鋼鉄の梁には、エルド・ラインの青白い発光管。橙と青の光が同じ通りに混ざって、水路の水面で揺れていた。屋台からは揚げ菓子の匂いと、嗅いだことのない香辛料の匂いが一緒に流れてくる。
荷運びは、日暮れ前に終わっていた。クロエは「あとはいいから」と二人を屋台から追い払った。追い払われてしまうと、急に、祭りの中にただ二人でいることになった。
「帰るか」とカイが言った。
「まだ早いわ」とリラが言った。
同時だった。カイが視線を逸らした。リラは笑いをこらえた。
人の流れが増してきた。楽師の音が近づいて、通りの真ん中で誰かが踊り始める。押されて、リラの体が人波に流れかけた。
手首を、掴まれた。
「はぐれるだろ」
カイは前を向いたままだった。人混みを割って歩く背中はいつもの、戦場の歩き方だった。ただ、掴む力だけが荷物を掴む力ではなかった。強くはないのに、絶対に離れない力だった。
(手首なのね)
リラは、その少し不器用な位置を見た。手のひらまで、あと少し。でも、そこまでは来ない。
(……この人らしい)
物語なら、ここで指が絡むところだ。そう思いかけて、やめた。定番の続きは要らなかった。手首に残る体温だけで、もう手一杯だった。
* * *
人混みを抜けた先に、建設中の見張り台があった。梯子はもう掛かっていて、上には誰もいなかった。
「上がるか」
カイが先に登り、上から手を差し出した。リラはその手を借りて足場に上がった。借りた手は、上がりきると同時に、当たり前のように離れた。
眼下に、街があった。
橙の灯りと、青の灯り。石の家並みと鋼の梁のあいだで、二つの世界の光が境目なく一枚に混ざって、夜の底に敷きつめられていた。遠くで楽師の音が続いている。
「……きれい」
リラは言った。それしか言えなかった。
カイは答えずに、街を見ていた。
「エルド・ラインにも、祭りはあったの」
「あった。……昔は」
短い答えだったが、続きのある間だった。リラは待った。
「戦争が長くなってからは、灯火管制だ。夜に灯りをつけること自体が禁止だった。灯りは、的になるからな」
カイは街を見たまま言った。
「だからこういう夜は——見たことがない」
リラは、隣の横顔を見た。
青と橙の光が、その頬で混ざっていた。戦士の顔でも居候の顔でもなかった。ただ、生まれて初めて祭りの灯りを見ている、一人の男の子の顔だった。
(この顔を、覚えておこう)
本の中ではなく、自分の中に。
「ねえ、カイ」
「なんだ」
「物語みたい、って言おうとしたの。今」
「言えばいいだろ」
「ううん」リラは首を振って、街を見た。「物語より、いい」
カイはすぐには何も言わなかった。それから、ふ、と息だけで笑った。
「……そうか」
楽師の音が変わった。眼下の広場で灯りが一斉に揺れて、歓声が上がる。誰かが光の紙吹雪を撒いたらしく、橙と青の紙片が夜の中をゆっくり落ちていった。
リラは、手すりの上の自分の手を見た。すぐ隣にカイの手があった。触れてはいない。でも、いつでも触れられる距離だった。
動かさなかった。今夜は、この距離が一番よかった。
祭りの音は、夜半まで続いた。




