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満願堂の仕上がり  作者: 高山 墨人
第三章 奥の部屋で待つもの

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第九十四話 モルの店番、もう一度

モルは、二度目の店番を任された。


一度目の店番は、湯沸かしが壊れた日だった。リゼットはオルスのところへ修理に行き、モルは冷めても香るお茶と焼き菓子だけで、どうにか満願堂を開けた。


あの日、モルは店番をした。


だが、リゼットは休んでいなかった。


店を開けるために外へ出ていただけだった。


二度目は、少し違った。


「ほんの半刻ほどです」


リゼットは言った。


「奥の棚の帳面を、ヴェルナーさんへお見せしに行きます。戻ってまいりますので、無理はしないでください」


「モル、できる」


モルはカウンターの上で胸を張った。


今回は準備があった。


火を使わないお茶。焼き菓子。受け取り印。願具を売らないための札。奥の棚へ触らせないための小さな衝立。ロイが並べたカップ。ココが書いた「本日は簡単なお茶のみです」の紙。


オルスが直した棚の金具は、以前よりしっかりしている。


エリアスはいつもの席に座り、静かに本を開いていた。


「何かあれば、私もいます」


彼女はそう言った。


モルは真剣に頷いた。


「エリアス、いる」


「ええ」


「ロイも、来る」


「たぶん」


「ココも、来る」


「きっと」


リゼットは少しだけ笑った。


「では、お願いします」


「まかせて」


モルは前足でカウンターを軽く叩いた。


リゼットが店を出ると、満願堂には一瞬だけ静けさが落ちた。


その静けさは、一度目より怖くなかった。前は、リゼットのいない満願堂が少し大きく見えた。今も大きい。けれど、どこに何があるか、モルは少しだけ分かっている。


受け取り印はここ。クッキーは一人一枚。お茶はロイが来たら注いでもらう。奥の棚は触らせない。願具は売らない。困ったらエリアスを見る。


モルは自分の首元の鍵を前足で押さえた。


「モル、店番」


最初に来たのは、やはりロイだった。


扉を開けるなり、彼は店内を見回した。


「リゼットさんは?」


「ヴェルナー」


「局長補佐のところへ?」


「帳面」


「そうか」


ロイは少しだけ緊張を解いた。


「手伝うことはあるか」


「ある」


モルはすぐに言った。


「お茶」


「分かった」


ロイは以前より自然にカウンターの内側へ入らなかった。まずモルを見て、エリアスを見て、それから一歩だけ入る。


「ここまでならいいか」


「いい」


「リゼットさんには?」


「モルが、いいって言った」


ロイは少し笑った。


「責任重大だな」


「じゅうだい」


モルは意味を完全には分かっていない顔で頷いた。


ロイが陶器の瓶からお茶を注いでいると、ココが来た。


「逓便局です、お届け物です!」


いつもの声だったが、店内を見てすぐに耳が跳ねる。


「モルさん、二度目の店番ですね!」


「うん。二度目」


「すごいです。前より準備が本格的です」


「ココの紙」


モルがカウンターの上の紙を示す。


ココは嬉しそうに胸を張った。


「分かりやすく書きました」


ロイが横から言う。


「少し丸文字だがな」


「親しみやすいと言ってください」


「親しみやすい丸文字だ」


「それならよしです」


モルは二人を見比べた。


「逓便、今日もにぎやか」


「満願堂も今日はにぎやかです」


ココは受け取り帳を差し出した。


「普通便です。納め物はありません」


「今日は、ない」


モルは短く言った。


ココは少し驚いた。


「分かるんですか」


「今日は、ない」


モルはもう一度言った。


エリアスが本から顔を上げる。


「モルがそう言うなら、今日はきっと普通の日ね」


「普通の日」


モルはその言葉を気に入ったようだった。


午前が過ぎ、昼が来た。


願具を見に来た客が一人いたが、モルは札を前足で押した。


「今日は、売らない」


「どうして?」


「リゼット、いない」


「見るだけなら?」


モルはしばらく考えた。


「見るだけ。触らない」


客は少し笑い、棚を眺めただけで帰った。


ロイは感心したように言った。


「前より店番らしいな」


「前も、店番」


「そうだった」


「今は、もっと店番」


「それは確かだ」


午後、オルスが顔を出した。


工具袋を肩にかけ、いつものように少し不機嫌そうな顔をしている。


「リゼットは?」


「ヴェルナー」


「また古い帳面か」


オルスは店内を見回した。


「棚は傾いてないな」


「オルス、直した」


「俺が直したからな」


「えらい」


「お前に褒められてもな」


そう言いながら、オルスはカウンターの端の少し緩んだ釘を見つけ、勝手に締めた。


「そこ、ぐらぐら」


モルが言う。


「もう直した」


「オルス、店番?」


「違う」


「でも、直した」


「直すのは俺の仕事だ」


エリアスが静かに微笑んだ。


「今日は皆さん、少しずつ店番なのね」


その言葉に、店内が一瞬だけ静かになった。


ロイはカップを洗っている。ココは紙袋の口を結んでいる。オルスは釘を締めている。エリアスはいつもの席で本を読んでいる。モルはカウンターの上で受け取り印の横にいる。


リゼットはいない。


それでも、満願堂は閉じていない。


その事実が、以前よりはっきり形になっていた。


夕方前、リゼットが戻ってきた。


扉の鈴が鳴ると、モルはぱっと顔を上げた。


「リゼット」


「ただいま戻りました」


リゼットは店内を見回した。


洗われたカップ。整えられた焼き菓子の皿。斜めではない受け取り印。奥の棚の前の衝立。直された釘。いつもの席のエリアス。少しだけ誇らしげなココ。真面目な顔でカップを拭いているロイ。工具袋をしまうオルス。


そして、胸を張るモル。


「モル、店番した」


「ええ」


リゼットはゆっくり微笑んだ。


「たいへん立派でした」


「もっと店番」


「そうですね」


リゼットはカウンターに手を置く。


「今日は、満願堂を皆さんに預ける練習になりました」


ロイが静かに顔を上げた。


ココはにこにこしている。


オルスは鼻を鳴らした。


「練習で釘まで締めさせるな」


「助かりました」


「礼を言われるほどのことじゃない」


エリアスは本を閉じた。


「いつもの席は、今日もいつもの席でした」


リゼットは彼女を見た。


「リゼットさんがいない間も?」


「ええ」


エリアスは穏やかに言った。


「少し違ったけれど、壊れてはいなかったわ」


その言葉は、満願堂の棚よりも深いところへ届いたようだった。


夜、店を閉めた後、リゼットはカウンターに残った紙を見た。


ココの丸い文字。ロイの整ったカップ。オルスが締めた釘。エリアスが置いた栞。モルの前足の跡。


満願堂は、リゼット一人の手だけでできているわけではない。


そのことを、店の中の小さなものたちが静かに示していた。


モルはカウンターで丸くなり、眠そうに言った。


「リゼット、また店番する」


「ええ」


リゼットは灯りを落としながら答えた。


「その時は、お願いします」


「まかせて」


モルの声は、すぐに寝息へ変わった。


リゼットはしばらく、その小さな音を聞いていた。


休むためではない店番から、探すための店番へ。


満願堂は、少しずつ形を変え始めていた。


店番の途中で、若い男が一人やって来た。


見慣れない客だった。身なりは悪くないが、目元が落ち着かない。表の棚の願具を見て、奥の棚を見て、カウンターの向こうにリゼットがいないことに気づくと、少し戸惑った顔をした。


「管理人の方は?」


「いない」


モルが答える。


男は目を丸くした。


「え、喋るのか」


「喋る」


「そうか……」


男は気を取り直したように棚を指した。


「願いを叶える品が欲しいんだが」


モルは前足で札を押した。


「今日は、売らない」


「少しだけでも?」


「リゼット、いない」


「管理人がいないと駄目なのか」


「うん」


モルは短く答えた。


ロイが横から静かに言う。


「願具は、説明を聞いてからでないと扱えません」


男は少し不満そうだった。


「なら、明日来ればいいのか」


「はい」


ロイが答える。


「今日は紅茶だけなら出せます」


「紅茶だけ?」


男は拍子抜けした顔をした。


満願堂へ来る者の中には、紅茶だけと言われてがっかりする者もいる。願いを持って来た人間にとって、座ることや飲むことは遠回りに見えるのだろう。


モルは男を見上げた。


「願い、急ぐ?」


男は言葉に詰まった。


「急いでいる、と思う」


「じゃあ、座る」


「急いでいるなら、座るのか?」


「うん」


モルは当然のように頷いた。


「走ると、こぼす」


ロイは笑いをこらえた。


男はしばらく迷い、結局席に座った。ロイが簡単なお茶を出す。男は願具を買わずに、しばらくカップを見つめていた。


帰る時、彼は棚をもう一度見た。


「明日、来るかもしれない」


「来るかも」


モルが言う。


「来ないかも」


「どっちだ」


「まだ」


男は困ったように笑い、店を出ていった。


リゼットが戻った後、モルはその話をした。


「願い、急いでた」


「買われましたか」


「買ってない」


「そうですか」


「座った」


リゼットは少しだけ目を細めた。


「それは、よい店番でしたね」


「願具、売ってない」


「売らないことも、満願堂の仕事です」


モルはその言葉を気に入ったようだった。


「モル、売らない店番」


「ええ」


リゼットは微笑む。


「たいへん大切です」


その場にいたロイは、胸の奥でその言葉を覚えた。


満願堂は、願いを叶える店ではない。


時には、願いを一晩だけ待たせる店でもある。


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